朝から緊張していた。龍飛崎への行き、帰りは、列車の本数が少ないため、ひとつのミスも許されないからである。一本乗り逃がすことは、即、龍飛崎へ行けない、もしくは龍飛崎から帰れないことを意味する。そんな僕の気持ちを知らず、朝から妻はのんびりしているため、そうそうに喧嘩になってしまった。 しかし、よくよく考えてみれば、列車の乗り継ぎには、時間的な余裕があり、乗り逃がすなどということは、あまり考えられないことで、龍飛崎へ逸る気持ちが、ついつい焦りを生んでしまったのかもしれない。 奥羽本線、弘前発10時2分の列車で青森へ向かい、青森着10時51分。津軽線、青森発10時57分の列車で蟹田着11時35分。青森から蟹田に向かう列車では、僕たちのちょうど反対側の席に、3人組の中学生くらいの女の子が座った。3人とも瞼や目尻にルージュを入れたりして、濃い化粧をしていて、終始、楽しそうに話していた。3人は途中の駅で降りたが、改札とは逆方向に歩いて行ってしまい、車掌さんに呼び戻されていた。持っていたバッグから判断すると、海水浴に行くらしい。その化粧がねぶた祭の最中だからなのか、それともいつものことなのか気になった。 蟹田から三厩行きの列車の出るまで20分くらい間があったので、駅の改札を出て、駅前を歩いた。改札を出るとすぐ右手に、新築の待合室があった。駅の外にあることからも、バスのものかもしれないが、それにしてはかなり立派で、実際に列車を待っている人もいた。その待合室の並びに物産館のようなところがあったので、入ってみると、生活用品を売っている市場だった。観光客というより、地元住民のためのもののようで、ソフトクリームを妻は食べたがったが、三厩行きの列車の発車時刻が迫っていたので諦めさせた。 津軽線、蟹田発11時58分、三厩着12時37分。この蟹田から三厩までの列車は、これぞローカル線という感じだった。車内にエアコンはなく、天井につけられた扇風機が回っていた。そのため、車内は暑く、ほとんどの窓は開け放たれていたが、ときどきびっくりするくらい冷たい風が来たりする。窓が開け放たれているので、トンネルに入るとものすごい轟音に車内は包まれ、窓際にいる乗客は窓を閉めることになる。僕はものぐさなので、トンネルに入っても窓を閉めず、轟音を我慢していたら、耐えきれなくなった妻に怒られた。 三厩は正に終着駅という感じだった。ホームから先に続く線路を目で追うと、草木のお茂なかにぽっかりと暗い入口が見えた。恐らく電車の車庫なのだろう。雪を防ぐために、シェルターになっていて、遠目からだとトンネルのように見えるのかもしれない。 最果ての駅というのは日本にいくつかあると思うが、ひとつあげろと言われれば、僕は三厩駅をあげるだろう。周囲を山で囲まれ、草木は線路のすぐそばまで迫っており、何の造作もないホームの半分は砂利が引かれている。来るところまで来てしまったという感じである。 改札を出て、龍飛崎行きの村営バスを探そうと思ったが、バスは駅前にすでに止まっていた。町営バスだから、ローカルな雰囲気なのかなと思っていたら、ブルーを基調にカラフルに塗装された新しいものだった。外見からだと観光バスのような印象を受けるが、実際は生活に密着した路線バスで地元のお年寄りと観光客が半々くらいの割合であった。料金のことを運転手さんに訊くと、一律200円で券は何もないから乗って待っていてくれと言われた。 バスは狭い三厩集落のなかを所々停車しながら龍飛崎へ向かって行った。海沿いの道では、いたるところで、砂利の上に海藻が干されていた。龍飛漁港まで行くと、村営バスはUターンをして元来た道を戻り始めた。少し不安になったが、国道339号線は龍飛漁港からは、階段になってしまうため、バスは通れないから、龍飛崎へ通じる道まで戻らなくてはならない。 急坂を上り、青函トンネル記念館前を過ぎ、ようやく終点の龍飛崎灯台に着いた。最後まで乗っていた人は僕たちも含めて5、6人だったが、みんな帰りのバスの時刻をバス停に表示されている時刻表で確認していた。バスの最終は16時35分、これで三厩発17時55分の津軽線の最終に乗れる。 時計は1時半を少し回ったくらいで、お腹が減ったため、近くにあった食堂に入ったが、失敗したかなと思った。昼をとっくに過ぎているのに、多くの客がいて、時間がかかりそうな気がしたからだ。この食堂は以前といっても、もうずいぶん前になってしまうが、入ったことがある。その時は、時期の関係もあるだろうが、ほとんど客がいなかった記憶がある。 僕は前に来た時と同じイカ焼き定食、妻は牛丼を注文した。料理は思ったより、早く出てきた。他の客はそばやラーメンばかりで、そのせいかもしれない。明らかに僕たちより先に来ていた客で、まだ料理が出ていないグループもあった。しかし、こういった食堂に入って、そばやラーメンを注文するとは、何を考えているのだろう。龍飛といえば、やはりイカではないか。まあ、妻も牛丼を注文しているので、偉そうなこともいえないのだが…。 このイカ焼きは美味しかった。以前、食べた時よりも断然美味しかった。これは時期ということなのだろうか?思い起こせば、龍飛崎はこれで3回目である。過去の2回はいずれも失業していた時に、車で来たものだった。失業していたときの心境が、僕を龍飛に向かわせたように思う。どんづまりまで行くことによって、現実からの逃避と開放感を得たかったのかもしれない。 食堂を出た後、階段国道339号線を歩いた。初めて来た時に比べて、かなり整備され街灯などもロマンチックなものに変わり、紫陽花が所々に咲いて、美しかった。龍飛漁港の見晴らしも良く、気分よく歩ける。階段国道を下り終えると、民家の軒先を通る路地のような道になる。玄関を出て涼んでいるおばあさんと観光客が「暑いですね」などと言葉を交わしていた。 路地を抜けると車の走ることのできる道になる。この道の行き止まりに、太宰治の記念碑があったのだが、行ってみるとなく、それは龍飛岬観光案内所になっている龍飛館の前に移動されていた。 龍飛館は太宰治が津軽を旅行した際に、友人Nさんと宿泊した奥谷旅館を改装したもので、内部は無料で見学でき、太宰治が‘津軽’執筆時に友人Nさんと泊った部屋も再現されている。ギャラリーには高野元孝が龍飛を描いた‘北の浜’など、龍飛に関する絵画や、昔の龍飛の写真が数多く展示されていた。 龍飛館を出て、しばらく近くにあった東屋で休んだ。北にくれば、涼しいだろうという目論見だったが、見事に外れてしまった。さすがに東京のような身の危険を感じるような暑さはないが、涼しくないことだけは確かである。龍飛の海岸線を、ぶらぶら歩いて、階段国道まで戻り、それを上って再び龍飛崎に戻った。 咲き誇る紫陽花の中をくぐりぬけるようにして、龍飛崎の先端へ向かった。龍飛漁港付近ではほとんど観光客の姿は見えなかったが、さすがに龍飛灯台、龍飛崎付近は人が多くはないが、それなりにいた。北海道が間近に見え、右手には下北半島が薄く広がっていた。 あまりの暑さにアイスが欲しくなり、レストハウスに行ったが、冷たいものは何もなかった。やっているのは食事のみで、ジュースなどは自動販売機で求めるしかない。龍飛崎でコーヒーでも飲めたら、旅情もあるのにと残念に思いながら、何も買わずに立ち去った。 最終バスの時刻が迫ってきたので、停留所に行ってみるとバスはすでにあったが、運転手は停留所近くの日陰で涼んでいた。バスの中は冷房されておらず、乗って待つことはできなかった。まだ、発車時刻までは10分以上あるので、近くで露店販売していたお土産物屋を覗いてみた。 そこは初老のおばあさんが一人で切り盛りしており、ホタテの貝柱など試食をさせてくれた。美味しかったが、3袋でいくらという売り方で1袋ごとのバラ売りはしないという。お菓子類も同じで、3箱でいくらという方式で、結局、何も買わずにバスに戻った。 龍飛崎灯台からバスに乗ったのは僕たちふたりだけだった。青函トンネル記念館前で、行きのバスに乗っていた男性が乗り込んできた。三厩村内に入ると、中学生の乗り降りが多くなったが、バスを降りた彼らはみんなバスに向かって手を振っていた。 三厩駅に着き、まだ津軽線の出発時刻まで間があるので、しばらく駅周辺を歩くことにした。駅前から海岸線に向かって歩き、国道339号に出るとコンビニがあったので、そこでアイスを買って堤防に腰かけ、海を見ながら食べた。周囲を見回すと、家を出て涼んでいる人の姿も見えた。 三厩発17時55分で蟹田着18時36分。蟹田発19時12分で青森着19時52分。ねぶた祭が何時までやっているのかわからないが、少しは観られるだろう。だが、その前に食事である。お腹が減ってどうにもならない。以前来たときに入った食堂に行こうと、アーケードの下を歩いた。ねぶた祭で人出はすこぶる多く、帰る人、これから観に行く人が交錯して、歩きづらい。 しばらく歩くと、記憶の中の店があった。「ここだ」と妻に言って、中に入ったが、何かおかしい。中が記憶とは違うのである。空いているテーブルに座ってメニューを見て、記憶違いだったことを確信した。以前、来たときに入った店は、刺身や焼き魚を出す魚介類の店だったが、入った店は、魚介は魚介でもホタテの専門店だった。 メニューを見てもホタテ料理中心で、中にはホタテ、ウニ、イクラがのった三色丼などもあるが、料金が高くて手が出ない。今さら店を出るわけにもいかず、一番安いホタテ煮丼を注文した。あまり期待していなかったが、これが結構美味しかった。ホタテにしみ込んだ甘辛い出汁がいい塩梅で、横手の焼肉定食や龍飛の牛丼の味付けに文句をいっていた妻も美味しいとほめた。 食べおえた後、ねぶた祭を観に、人の多い方に急いだ。ねぶたの巡行場所に着くとロープが張られていた。警備員さんが「観るならロープの中に入ってください」というので、ロープを越え、人の薄いところを選んで、山車の来るのを待った。 太鼓と横笛が奏でるリズムに乗って武者と鬼を模った極彩色の山車が現われた。正に勇壮という言葉がこれほど当てはまるものも少ないのではないだろうか。山車は僕たちの目の前で止まり、回転し、その全体を見せた。山車の後にはハネトと呼ばれる踊り子が続き、彼らは「ラッセーラ」と掛け声を上げ、その名前の通り、跳ね続けた。 時間が遅かったため、山車は4つしか観ることができなかったが、ねぶた祭の熱気は、それなりに感じることができた。昨晩、弘前のねぷたを観られなかったことが、悔やまれる。21時34分の列車で弘前に戻った。列車はねぶたの観客を乗せて、満員だった。(2010.9.19) ―つづく― |