8月7日、列車の時刻に余裕があったので、千秋公園を少し散策した。昨日は閉じていたハスの花が開いていたので、妻をベンチに座らせて写真を撮った。駅前のドトールで朝食を済ませた後、9時50分秋田発の羽越本線で酒田に向かった。 旅も4日目となると疲れが出てくるようで、妻は列車の中で早速、船を漕ぎ出した。僕はいつものように眠れず、目を開けたり閉じたりしていたが、車窓から海が見えたので妻を起こした。妻にとっては初めて見る日本海である。「水の色が青じゃないね。ちょっと灰色っぽい感じがする」と珍しそうに見ていた。土地が変われば海の色も違ってくるのかもしれない。昨年見たリマの海は何色だったっけ?と考えた。 酒田にはお昼くらいに着いた。昼食は、食事処もあるようなので酒田米穀取引所の倉庫として建造され、現在はその一部が庄内米歴史資料館になっている山居倉庫で取ろうということになった。駅から山居倉庫までは徒歩で20分くらいの距離だろうか、商店街にはアーケードが付いていたので助かったが、炎天下の中歩くのは辛く、暑さに弱い妻は少々ばて気味になってしまった。 明治時代に造られたという山居倉庫は味わいのある建物で、歴史を感じさせた。中に入りまず、資料館を見学した。昔の米の検査風景や農家の暮らしぶり、米の種類などが展示されていて面白かった。山居倉庫の裏手はケヤキ並木の遊歩道になっていて、涼しく美しい風景があった。ここでしばらく涼んでから、お土産物屋によって僕の実家や妻の姉夫婦や叔母さんへのお土産を買った。併設されている辻村寿三郎の創作人形が展示されている華の館にも寄った。ただ、食事は値段が高かったため、別のところで取ることにした。 まず、食事ということで、ガイドブックに載っていた麺一筋50年という店に入り、ワンタンメンを食べた。麺が美味しいのはもとより、スープもやさしい味で良かった。また来た道を戻る格好で、旧鐙屋に行った。 鐙屋とは海運で繁盛した廻船問屋、鐙屋惣左衛門の屋敷である。入館料を払い、屋敷の中を見学した。いくつも部屋があり、日本の家は狭いという認識を持っていた妻は「昔の日本の家はこんなに広いの」と驚いていたが、「これはお金持ちの家だよ」というと納得したようだった。それにしても、このような空間にいると、時間がゆっくりと過ぎて行くような気がする。 縁側に座り、そよ風を感じながら庭を見ていると、子供の時、群馬にある母の実家に行ったとき、一日の長かったことを思い出した。都会にいるとどうして忙しなく時は過ぎていくのだろう。 用意されていた冷たい水を一杯飲んで旧鐙屋を後にして、日和山公園に向かった。日差しが容赦なく降りそそぎ、とにかく暑い。日和山公園には‘文学の散歩道’があるようだけど、あまりの暑さに海を見張らせる東屋で休憩をした。今日は酒田で一泊しようと思っていたのだけど、妻は他の所がいいという。 街もだいぶ歩いたし、それにあまり面白くないと言った。アーケード街の商店も閉まっている店ばかりで、活気のないのがイヤだという。僕も移動したいと思っていたので、駅に戻ることにした。明日は帰らないといけないから、首都圏に近づいておいた方がいいと思い、新庄まで行くことにした。 時刻表を調べてみると、16時47分発の陸羽西線がある。これを逃すと次の列車まで1時間以上待たないといけなくなる。駅までの時間を考えるとあまり余裕はなく、一生懸命歩くことになってしまった。 暑さに弱い妻はすぐに遅れ出した。旅の疲れは体だけでなく、心にも及び始めていた。同じ人間と旅を続けると、相手のちょっとしたことに腹が立ったりするが、このときもそんな状態だったかもしれない。僕は妻の足の遅いのにいらいらし、妻は僕の冷たさに腹を立てていた。しかし、妻は精神的に非常に健康な人間なので、信号待ちをしていた僕に追いついてからは競歩のような歩き方をして、僕を笑わせた。何とか列車には間に合った。 陸羽西線も印象に残った。車窓から長く入ってくる西日を受けながら、最上川沿いに線路は進んでいった。悠々と流れる川を見ていると、妙に心が落ち着き、のんびりとした気持ちになった。新庄には6時ちょっと前に着いた。 さてホテル探しだけど、駅には宿泊施設も載っている地図があったので、実際にホテルを見て決めることができた。こじんまりとしたきれいなホテルで料金も安く、朝食は無料とのことで和食と洋食、どちらか一方を選べる形式になっていた。昔は朝食をつけると1000円くらい余分に取られたものだけど、今では朝食はサービスというところが増えてきた。今度も旅でも4つのホテルのうち、ふたつが無料だった。 ホテルで休憩を取った後、夕食をとりに外出した。駅前の通りに出ると喫茶店があったが、まだ夕食には時間が早いと妻がいうので、駅でもらった地図をたよりに、最上公園(新庄城址)に向かいながら探そうということになった。公園に向かう途中にアーケードの商店街があったが、時間の遅かったせいかほとんどの店はシャッターが下りていて、食事をできそうなところもなかった。 公園にある戸沢神社に旅の安全をお願いしてから、もときた道を引き返した。その道程に中華料理屋があったので入った。客は誰もおらず、僕と妻のふたりきりだった。料理がでてきて、さあ食べようと妻が割り箸をコップ型の割りばし入れから取り出すといっしょにゴキブリが出てきた。しょうがないので、隣のテーブルにあった割り箸を使った。こんなことなら駅前にあった喫茶店に入っていればよかったと後悔した。(2008.9.27) ―つづく― |