東北ローカル線旅行記 −2008年8月4日〜8日−


その2 仙台〜松島〜盛岡

 8月5日、ホテルで朝食をとった後、榴ヶ岡から仙石線に乗った。仙石線は仙台近辺が地下鉄になっている。何でも日本初の地下路線だったらしい。ただ現在の地下部分(あおば通り駅から陸前原ノ町駅)は2000年に再地下化したものだそうだ。松島海岸までは約40分の旅である。

 松島海岸駅は高架になっていて駅のホームからも、入り江に浮かぶいくつかの小島を見ることができる。松島海岸駅前は日本三景の観光地らしく、食事処やホテルが複数あり、それなりの賑わいを見せていたが、昔ながらの商店もあり、そこで妻はお菓子を買った。

 駅前公園から瑞巌寺に行った。参道にはお土産物屋が並び、山門をくぐったその奥には洞窟遺跡群がある。亡くなった人を供養する場所だったようで、塔婆や五輪塔がある。遺跡群に沿って歩いて行くと瑞巌寺に出るのだけど、参拝料が700円ということもあり、パスしてしまった。帰りに妻はお土産物屋で「松島」という文字の入った茶碗をひとつ買った。

 国道45号線を横切り、観光船乗り場を過ぎて、朱色の橋を渡り、伊達政宗が再建したという五大堂に行った。この橋は足元から下の海面が見えるような造りになっている。「しっかり足元を見て歩け」ということらしい。五大堂は東北最古の桃山建築ということで、枯れた雰囲気で趣があった。ただ、松島は有名な観光地だけに、次から次へと団体客が押し寄せ、ゆっくりできる間のなかったことが残念だった。

 五大堂を後にして、福浦島に向かった。松島湾の東に浮かぶ小さな島で、200円の通行料を払えば橋を歩いて渡ることができる。ここまで来ると多少人も減って、ゆっくりと散策を愉しめる。島一周の遊歩道があり、松島湾を見ながらの散歩は気持ち良かった。

 再び国道45号線に戻り、松島駅に向かった。お昼近かったが、昼食は松島駅周辺で取るつもりだった。途中に松島オルゴール博物館があり、立ち寄った。一階はオルゴールが販売されていて、2階が博物館になっていた。博物館を見学するには見学料が必要なのだけど、妻は別に見なくてもいいというので一階だけ見ることにした。万華鏡のついたものや美しい人形のものなどいろいろな種類のオルゴールがあったが、妻はフィレンツェに近いピサ近郊やボルテラ地方で採取された自然石を使っているアラバスターボックスというオルゴールがほしくなり、値段もそれほど高くもなかったので買うことにした。

 オルゴール博物館にかなり長い時間いたので、お腹もすっかり減ってしまい、黙しがちに松島駅に向かった。しかし、駅に近づけば近づくほど辺りは寂しくなっていくようで、松島海岸周辺にはあれほどあった食堂もとんと見かけなくなった。駅前まで行けばと思ったが、松島駅前は閑散としており、数台のタクシーが暇そうに止まっているだけであった。

 何かあるだろうと、辺りを歩き回っていると喫茶店があった。やっているのだろうかと外から中をうかがっていると、ドアが開いておばさんが出てきて「どうぞ!」と言った。食事できる場所は他になさそうだし、僕たちは入ることにした。

 中は地元の人と見られる中年の男性がふたり高校野球を見ながらアイスコーヒーを飲んでいた。コーヒーの設備なども本格的だし、それほど悪い店でもないのかなと思った。メニューを見ると‘昔ながらのナポリタン’とあったので僕はそれにすることにし、妻はシーフードスパゲティにした。

 しばらくすると店の主人が出てきてスパゲティ2つだと時間がかかるので、ひとつはご飯ものにして欲しいと言った。列車の時刻までにはまだ間があるので、多少遅くなってもいいとは思ったが、妻がすかさず「じゃー、私、シーフードピラフにします」と言った。

 出てきたナポリタンは美味しかった。北海道をバイクで旅しているとき、喫茶店に入って洋食の無性に食べたくなることがある。食べたくなるものはだいたいオムライスかナポリタンなのだけど、その理由がわかったような気がした。それは洋食が食べたくなるというようよりも、その後のコーヒーが飲みたいのだ。いや、いや正確にいえば、コーヒーが飲みたいというよりも、コーヒーを飲みながらぼんやりと時間を過ごしたいのだ。

 旅というのは、一時的ではあるが日常の関係から解き放たれ自由になる。ただ動いているとその時間は見えてこない。全ての関係から解き放たれた自由な時間を実感するためには、ゆっくりと流れる時の中に身を置かなくてはならない。喫茶店で食事をした後の満腹感を覚えながら、ぼんやりとコーヒーを飲むことによってそれを強く認識できるのである。しかし、この時はいささか勝手が違ってしまった。

 アイスコーヒーを飲んでいた先客がいなくなると、店主はテレビの高校野球を消して、クラシック音楽をかけ始めた。そして「これからどちらに行かれるんですか?」と僕たちに訊いた。「盛岡方面です」というと、「そうですか」と言い、それから東北の夏祭りの話になった。

 食事が終わり、コーヒーを店主が持って来た時「急いで飲めば13時9分の列車に間に合いますね!」と言った。彼はどうやら僕たちが13時9分の盛岡方面の列車に乗るものだと思っていたようだった。それもそのはずで13時9分を逃すと次は13時46分まで列車はなく、それは小牛田で止まってしまうため、盛岡行に乗るのは14時4分まで待たなくてはならなくなる。

 もともと僕たちは松島でゆっくりしようと思っていたので、14時4分か、またはその次の15時8分でもいいと思っていたのだけど、たまたま予定より速い時間になってしまったのだ。店主にそう言われて「14時4分でもいいと思っていたのですが…」といったが、この何もないところで1時間潰すのももったいない気がして、コーヒーを急いで飲み、何とか13時9分に乗ることができた。 列車はまあまあ混んでいた。それでも地元の人の乗車率が多いためか、小さな駅でひとりふたりと下りていき、いくつかの駅を過ぎた頃にはふたりとも座ることができた。小牛田と一関で乗り換え、盛岡には4時過ぎに着いた。

 盛岡に着いたのが早かったため、街を歩きながら宿を探し、北上川沿いに安いホテルを見つけることができ、そこに荷物を置いた後、盛岡市内の散策に行った。まだ明るさの残る北上川沿いを盛岡城址公園に向かって歩いた。内陸に入ったせいか、昨日の仙台よりも空気が熱く感じられる。

 盛岡城跡公園に着いたときは、辺りは薄暗くなっていたが、坂を上ったところにある東屋までくると風が心地よく、途中で買った冷たいお茶を飲んで一休みした。汗が引いてから、城址公園の中を散歩した。公園内には啄木の歌碑などもあり、静かな空間だった。朱色の橋のところでは数人の女の子が携帯で写真の撮影会のようなことをやっていて、その笑い声が異質な感じで響いていた。

 お腹も減ってきたので、夕食をとりに冷麺の専門店に入った。ガイドブックによると盛岡というと冷麺らしく、それでは食べてみようということになったのである。しかし、店内に入ると冷房が強く、また冷麺の上にスイカが乗っているのも気がかりで、結局ふたりとも冷麺ではなく、温麺をたのんだ。乳白色の麺は弾力があり、スープもあっさりしていて美味しかった。

 ホテルの部屋に戻って、時刻表を見てがく然としてしまった。明日は盛岡から比較的近い角館に行こうと思っていたのである。9時くらいに出発すれば、10時半くらいに着くから、電車ばかり乗っているのもつまらないので、ゆっくりと街を歩いてそこで泊まろうと考えていた。しかし、時刻表を見ると列車がないのだ。

 いや、あることはある。盛岡発5時22分が…。しかし、その後となると14時10分まで角館行きの列車はない。5時22分発に乗るのは、とてもではないが無理だ。かといって、2時過ぎまで盛岡で時間を潰すのも、もったいない気がする。いっそ函館まで行ってしまおうか…。

 時刻表で調べるが、函館に着くのは5時を過ぎてしまう。お昼過ぎくらい、せめて2時くらいに着けるのならゆっくりもできるが、5時過ぎだと‘ただ行っただけ’になってしまう。宮古、八戸或いは平泉まで戻るか…。そうだ、これからのことを考えたら平泉まで戻るのが最良のような気もする。だけど…。(2008.9.15)

―つづく―


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