群馬「絹の道」旅行記


8月29日 桐生

 8時過ぎホテルの朝食をとりにラウンジに降りた。コロナ禍で変わったのはトレーがお弁当型になっていたことだ。お弁当型にする理由は、部屋に持ち運べるようにするためである。ただ、ラウンジで食べてもいいというので、僕たちはラウンジで食べることにした。朝食はバイキング方式なのだが、料理を取るときは手袋をしてトングを持つようになった。また、テーブルにアクリル板があったが、これは同じ部屋に泊っている人たちには全く無用なものである。

 9時過ぎにチェックアウトして桐生の市内観光へ向かった。東の桐生、西の西陣と呼ばれるように桐生は織物の街である。僕の母の実家は桐生から程近い薮塚というところだった。母の実家は代々サラリーマンの家系なので織とは関係ないが、家の目の前には桑畑が広がり、裏の家では蚕を飼育していた。富岡製糸場のあったことからもわかるように養蚕の盛んな地域である。

 始めに織の中心的な施設の桐生織物記念館にいった。ここは、一階は絹製品の販売、二階は織物に関する展示をしている。まずは二階の展示を見ることにした。展示は古い織機や桐生の織物の歴史、織の種類などが広いワンフロアに展示されていた。桐生織産業の歴史を編集したビデオを観た後、織体験ができるというので妻が参加したが、これは期待外れだった。横糸を一往復させるだけだったのである。後からわかったのだけど織に関しては織物参考館“紫”の方がよかった。こちらの方が展示も豊富で織りや染の体験もできる。残念ながら、月曜日は休館日だった。

 次に江戸時代繭を奉納した桐生天満宮へ向かった。道すがらコンビニを探したが、一店も見つけることができなかった。街並みも古い家が多いが、昭和40年代以降くらいの家の大半なため、ただ古いなという感じである。

 桐生天満宮は意外と長い参道のある素敵な神社である。社殿まえには小川が流れ、通行禁止になっているが、石で作られた半円形の橋も架かっている。お参りを済ませ、木立の中で涼んでいると妻がスマホで織の体験のできる施設をみつけ、この近くだというのでいくことにした。天満宮前の道を東に向かって歩いていくとベーカリーレンガという赤レンガで造られた建物があり、この裏手に工房風花があるのだけど、入口がわからず辺りをうろうろしていたら、表にある店から紳士風のおじさんが出てきて見学しませんか?と声をかけられた。

 この店は洋服のセレクトショップなのだが、店内の調度が自慢でぜひ見て行ってほしいという。大正時代に造られたレンガの倉庫で床板や壁もそのままだというが、前のオーナーがピカピカにリフォームしてしまったため、元に戻したそうだ。床などはピカピカに塗られていた塗装をはがし、新たに大正時代の風合いの色で塗り直し、さらに紙やすりを使って手作業でところどころ肌合いを変えたという。照明器具や窓ガラスなどにもこだわり、当時の雰囲気を演出したそうだ。肝心の衣服も品のいいものばかりで財布に余裕があれば一品でも求めたくなるようなものばかりだった。帰り際に店主に訊いて工房風花の入口がわかった。

 風花に入ると中年の女性が2人いた。織の体験について訊くとショールを糸張りからやってもらうため、ほぼ1日かかってしまうという。ここでは身体障がい者の方でも織の体験ができるように、特殊な織機を使っている。経糸の張りを実演してくれたが、織機をくるくると回転させるだけのため、簡単にできるようだ。ここは絹糸の売っていて、かなり格安で買えるため、妻も2つばかり求めた。

 障がい者に織の体験をしてもらったりと社会的な活動をしているためか、2時からFMラジオを取材があるという。絹糸を作るところをみせましょうをいわれ、工房の奥に案内されると、大型の扇風機に当たりながら、小柄な人の良さそうなおじさんが一人で作業をしていた。

 碓氷製糸で製糸作業中に出た生糸の廃棄物をもらってきて再生しているという。繭の毛羽を乾山のようにたくさんの針のある鉄の円柱に巻き付け、それを回転させるうちに徐々に平たく成形されていき、最終的にはそこから糸を紡いでいく。大学の研究者も見学にくるそうで、こんな小さな機械で行っているのみせるのは申し訳ないと恥ずかしそうにいった。

 お昼時になり、天満宮まえの本町通りに戻った。この通りの天満宮近くは伝統的構造物群保存地区に指定され、格子窓の家など明治・大正時代に建てられたと思われるような建築物が残っている。適当な飲食店を探しながら歩いていくと天然染色研究所というお店があった。このような屋号だと立派なビルのお店を想像してしまうが、実際は古い町屋をリノベーションしたお店だった。絹製品が店頭に並んでいたので、見ていると予約は必要だが染の体験もやっているようだった。店内に入ろうとすると「ちょっと休憩中」と書かれた紙が置かれていたので店主は「どうぞ、どうぞ」といってくれたが遠慮した。店主が昼飯をとっていたからである。僕たちもお腹がへってきたので飲食店を探した。休みだったり、店構えがもう一つだったりなかなか決まらなかったが、やや奥まったところにある桃太郎という蕎麦屋に入った。ここも古い町屋をリノベーションしたお店である。

 昼時を過ぎていたということもあるかもしれないが、僕たち以外にお客はいなかった。ふたりともひもかわうどんと天ぷらを注文した。ひもかわうどんというのは、幅広いうどんである。幅広いが特に硬いとか柔らかいとかなく、ちょうどいい食感でとても美味しかった。このことはさらに翌日実感した。店の二階はギャラリーになっていてアンティークな家具などが展示されている。

 この日は営業していなかったが、次の時のため場所を確認する意味もあって織物参考館‘紫’に行った。ここは、廃業した織工場の建物を利用した施設である。次に桐生に来た時はここに寄りたいと思った。本町通りの東側には現在も操業している織工場や染工房などがあり、外から見学したりした。

 今日の宿泊は前橋にしようと思っていたので桐生駅にいくと、ちょうど両毛線が出発したばかりで1時間以上待たなくてはならなかった。妻は駅構内にある観光物産館に行ったが、僕は長い時間歩いて疲れていたので改札前のベンチに座ってぼんやりとしていた。しばらくするとぞくぞくと授業を終えた高校生がやってきた。目の前を通り過ぎる高校生をみて、つくづく日本の高校生は個性がないなと感じた。みんな同じ服装で(これは制服のため仕方ないのだろうが)リックの背負い方もほとんどみんな同じだった。肩紐を長く伸ばして後ろに垂れ下げている。同じであることが、彼らにとっては居心地がいいのだろう。

 前橋に着いたのは17時30分くらいだった。ホテルの予約はしていなかったので、探さなくてはならない。妻のスマポで予約してしまおうと思っていたのだが、料金の支払いがカード決済しかダメで、結局、電話で問い合わせるしかなかった。スマホの検索で空いていたところに電話をするとあっさりと「満室です」と断れてしまった。次に駅前にあったホテルに電話をしたら部屋を取ることができた。

 この日は妻の誕生日なので、妻に夕食のお店を決めてもらおうと思っていた。駅前の路上広告に1ポンドステーキの店というのがあり、妻はそこがいいというので向かった。長い距離歩いてやっと店に着いたが、店内は暗く、どうみても営業している感じはしなかった。それでも店の周りを歩いてみると「店主が体調不良のため、しばらく休業します」という貼り紙があった。

 どうしようかと思っていると、同じ通りに韓国料理の看板が見え、その下に小さく焼肉と書いてあった。それをみると妻は「焼肉がいい」と言い出した。その店に入ると店の中はガラガラで他の客は2組しかいなかった。僕はハイボール、妻はビール、肉は何を頼んでいいのかよくわからなかったので、三種の肉の盛り合わせ(カルビ・ロース・ホルモン)サラダ付きを注文した。

 久しぶりの焼肉は美味しく、肉を追加したり海鮮チヂミを注文したので、お会計が1万円近くになってしまった。(2022.9.24)

―つづく―


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