群馬「絹の道」旅行記


8月28日 たくみの里

 今年は何処を旅行しようかと考え、何となく千葉の房総半島をのんびりと一回りしてみようかと思っていた。そんなとき、テレビの旅番組で群馬県水上のたくみの里が紹介され、それをたまたま観ていた妻が「ここへ行きたい」と言い、群馬へといくことになった。

 8月28日、7時30分のバスに乗って最寄り駅へ向かった。予定では高崎まで乗り継ぎ無しで行ける電車に乗るはずだったが、日曜日にもかかわらずバスを使う人の多かったせいか、駅に着く時刻が遅れ一本後の電車になってしまった。今回は2泊3日の旅行なので、青春18きっぷを1枚だけ買い、それを二人で利用することにした。

 改札で青春18きっぷを駅員に提示して「二人分です」と伝え、1回目と2回目ところにスタンプを押してもらった。高崎に直通でいける電車を乗り過ごしてしまったのだけど、たくみの里の最寄り駅の後閑に着くのは何時になるのだろうと妻にスマホで調べてもらうと1時間くらい後になってしまうことがわかった。高崎に着くのは数分しか違わないはずなのにと思ったが、高崎から出ている上越線との乗り継ぎのせいだった。

 電車が埼玉に入ると雨が車窓を叩き出した。雨は徐々に激しくなっていった。雨の中を歩き回るのはイヤだなと思っていたら、高崎に着いたときにはすっかり上げっていた。上越線の発車時刻までは1時間近くあるので、駅舎の外に出て街をぶらぶらすることにした。観光案内所に訊きにいくと、祭りで使われる櫓があるので…といわれたのでそれを見に行くことにした。西口を出て城址公園の方へ歩いていった。

 空はどんよりと曇り、涼しくて歩きやすかったが、肝心の櫓が何処にあるのか今一つわからなかった。市役所には祭りで使うお神輿が二機展示されていたが、それではないだろう。公園の緑はきれいだったが、特に見るものもなく、駅へ戻って駅ビルの中のベーカリーに入り、パンとコーヒーを買い簡単な食事をした。

 12時2分発の上越線で後閑へ向かった。北へ向かうにつれ、天気は回復してきた。時折、雲の合間から陽が差し込んできたりした。後閑に着いたのは1時少し前だった。駅の広いロータリーを見回すと道路側にバス停があり、時刻表を確認するとバスが来るのは40分後だった。丸い銀縁の眼鏡をかけてノートパソコンを手に持った若い女性も時刻を確認すると何処かに歩いていった。「その辺りをぶらぶらしましょう」と妻がいうので、駅周辺を歩くことにした。

 駅前には食堂があったが、寂れた田舎町といった雰囲気である。ただ、僕はこういう町はきらいではない。長閑な中を歩いていると、何とも言えない安堵感を覚える。少し歩いていくと小さなたこ焼きの店があった。営業中の看板が出ていたが、中をのぞいても人の姿はみえない。妻が食べたいといい声をかけると、カウンターの中に隠れるように座っていた中年の女性が立ち上がり、「いらしゃいませ」といった。たこやきはチーズ味など三種類があったが、コーンというものをもらった。最近の物価高はここまで及んでいるらしく、たこ焼きの数は8コから6コに減っていた。ソースも3種類あったが、一番無難そうなたこやきソースにした。

 「何処に行くんですか?」とたこ焼き屋のおばちゃんが訊いてきた。「たくみの里です」と妻が答えると、「今日は、人が多いかもしれませんね」といった。休日はそれなりの人が訪れるらしく、そうなると営業して店も多くなるようだ。テレビで放映されたときはロケ日が平日だったらしく、休んでいる店が多かった。バス停の横に長い木製のベンチに座ってたこ焼きを食べた。

 バスはほぼ時刻通りにやってきた。乗り込んだのは僕たち二人と先ほどのノートパソコンの女性、そして中年のおばさん2人組の5人だった。このバスは猿ヶ京温泉まで行くので、そこが目的地という人が多いのかもしれない。バスはかなり古くサスペンションがへたっているようで、路面の悪いこともあるのだろうが、かなり上下に揺れた。上毛高原で数人が乗り込んだ以外は、途中のバス停で乗ってくる人はほとんどなかった。

 つづら折りの道に入り、狭い山道をクネクネと走ると、開けた田園風景が見えてきた。そして、多くの車の止まっている駐車場にバスは入った。たくみの里は美しい山村の風景の残る素晴らしいところだった。村には3つの主要な通りがある。宿場通り、庄屋通り、寺通りである。宿場通りはもっとも道幅も広く、両サイドの古い街並みの美しい通りだ。妻に周りたい店を訊くと癒しの家と蚕・繭・絹の家工房を上げたので、駐車場近くにあった地図をみると庄屋通りの向い合せの位置にあった。

 それぞれの工房は「家」と称されるように、ほとんどが古い民家を改装して営業している。家と家の間にはリンゴやぶどうなどの果樹園、そばの畑などが存在している。空はすっかり晴れ、陽がいっぱい差してきて、動くと汗の滲むくらいの陽気になってきた。左右の風景を見ながら庄屋通りを歩いていると、蚕・繭・絹の家工房の看板が目に入った。多くの店は民家をリノベーションしているが、ここは廃校した小学校の校舎を利用していた。

 校庭だったところを歩いて入口のところまでいった。校舎は平屋で昭和30年代の田舎の小学校そのものである。ここは、看板の通り、蚕の一生や古い織機や糸巻機などが展示されていた。ここも体験コーナーはあったが、繭玉を使った工作だったので触手は動かなかったようだ。次に道を挟んで、ここの真向いにある癒しの家に向かった。

 癒しの家は古い民家をリノベーションしたお店で品のいい40代の男性が店主だった。僕たちの入ったとき他の客は誰もいなかった。しばらく店の中を見回していると店主の男性が「何かお探しですか?」と声をかけてくれた。「体験したいんですけど」と妻がいうと、「体験ですか」と2脚ある机のうち向かって右側の真ん中の席を示して座らせた。

 「それでは腕の太さを計ります」とメジャーを取り出した。妻が左腕の腕時計を外そうとすると、「そのままにしてください。いつも時計はしていますよね。ブレスレットは時計の肘側にしますか?手首側にしますか?」と声をかけた。「手首の方にします」と妻がいうと店主は腕時計の手首側にメジャーを回して採寸した。「17.5cmですね」というと紫色のベルベット素材のトレイを机の上に置いた。

 トレイには石を置けるように横長の窪みがあり、その下にはスケールがついていた。店主はそのスケールの17.5cmのところに黄色のポストイットを貼って「ここまで石を並べて置いていってください。これが見本です」とすでに石の入ったブレスレットを机の上に置いた。机の真ん中には二つの箱があり、その中はさらに細かく四角形に区切られていて、それぞれに種類や大きさの違う石が入っていた。

 「この中の石はどれでも自由に使ってもらってかまいません。それとここ」とサンプルのブレスレットを手に取ってその銀色の部分を指さし「この銀のアクセントはこの袋に入ってます。これは1つ25円かかります。好きなところに入れてください。石の意味はこの表を参考にしてください」とクリアケースに入ったプリントを机に置いた。そこには石の種類と金運とか恋愛運とか仕事運とかどれに効用があるかが載っており、誕生石なども記載されていた。

 妻はオレンジや茶、エンジ色といった暖色系の石を並べていった。あまり石の持っているパワーとかは気にしていないようだったが、8月の誕生石であるサードオニキスをセンターに置いた。しばらくして、夫婦と女の子2人が入ってきた。2人の女の子は5〜6歳という感じだった。どうも、この2人の女の子がブレスレット作りをするようだった。妻と同じように腕を採寸し、説明を受けて作り始めた。父親はスマホでその様子を撮影し、母親は「楽しい?」「きれいね!」などと声をかけていた。

 後から来たにもかかわらず、2人の女の子の方が早く石を並び終え、その石に糸を通す工程に入っていた。ブレスレットはゴムと金具の2つのタイプがあり、妻は金具、2人の女の子はゴムタイプを選択していた。なかなか選び終えない妻にしびれを切らせたのか「どうですか?」店主はと声をかけてきた。ようやく妻も石を並び終え、針金を通す作業を始めた。針金や糸を通すのは妻の方が早く、店主にできたことを告げると「それじゃー仕上げをしましょう」といって引き取った。

 手の空いた妻は後ろで作業している女の子を振り返ると2人もそれぞれ糸通しを終えていた。「きれいにできたね」と妻が声をかけると目を細めて微笑んだ。手に絆創膏のようなものが貼られていたので、それを訊くと母親が「ドライフラワーの家で火傷をしてしまいまして」といった。ドライフラワーをリースなどに接着する際、固形のノリをピストル型の接着機に入れると先端から溶けたノリが出てくるのだが、それが高温のため手に触れてしまうと火傷をしてしまうのである。

 店主は両端に金具を取り付けたブレスレットを煙で清め、妻に渡した。癒しの家を出て庄屋通りをぶらぶらと歩き、寺通りに入った。寺通りにはサクランボ畑やリンゴ畑があり、赤く実った多くのリンゴに妻は歓声を上げていた。白い花の美しいそば畑など日本の山村の原風景をみるようで愉しく歩いた。熊野神社にお参りして、宿場通りに入った。宿場通りには和紙の家、草木染の家など妻の体験したかったものが並んでいたが、時間的な余裕がなく、見学するだけに留めた。宿場通りは道幅も広く、道の両端の花壇には季節の花が咲いていた。

 妻がアイスを食べたいというので、駐車場近くの店に入り、ソフトクリームを食べた。たくみ市場でおみやげを買い、16時59分発の最終のバスで後閑駅へ向かった。上越線、両毛線と乗り継ぎ、宿泊地の桐生に着いたのは19時近くだった。ホテルは予約してあったので、すぐに部屋に入り、荷物を置いて夕食をとりに外出した。

 桐生の街を出て驚いたのは、ほとんど人の歩いていないことだった。駅前のロータリーの歩道で2人の女性がダンスの練習をしているくらいだった。また、コンビニも全くない。人の少ない街は多々あるが、コンビニを全く見かけないというのは珍しい。コンビニもないくらいだから、飲食店もなくて、仕方なく駅近くの居酒屋で夕食を済ませた。(2022.9.17)

―つづく―


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