8月30日 富岡製糸場 高崎駅9時55分発の上信電鉄で世界遺産の富岡製糸場の最寄り駅の上州富岡へむかった。上信電鉄の高崎駅の改札がみえたときには9時55分になっていたのだけど、女性の駅員さんが「乗りますか?」と訊いてきたので「乗ります!」と答えると「駅で清算してください」乗車券を渡され、僕たちの乗り込むまで電車は待っていてくれたのだった。 10時30分過ぎに上州富岡駅に着いた。電車はかなり古く懐かしい雰囲気の車両なのだけど、上州富岡駅はきれいにリニューアルされていた。駅から富岡製糸場までは徒歩で15分ほどだ。天気は快晴に近いが、それほど暑さを感じない。富岡製糸場までの道程には所々に案内板が設置されているので迷うことはない。製糸場が近づくにつれ、道の両側には飲食店を中心とするお店が増えて賑やかになってくる。 富岡製糸場の前には人だかりとまではいかないが、テレビの取材クルーなどそれなりの人が群れていた。正門の看板の前で東置繭所をバックに写真をとってから入場券を買い、製糸場内に入った。入場料の他に200円払うとガイドさんを付けることができる。妻はガイドさんの説明を聞きながら見学したいといったが、僕は自分たちのペースで周りたいと思い頼まなかった。 正門を入って真っ直ぐに歩いていくと東置繭所がある。繭を保管していた巨大なレンガ造りの倉庫である。向かって左側はシルクギャラリーでガイドツアーをする人たちの待機所にもなっている。右側は富岡製糸場の歴史や建物の構造などのパネルが展示されている。突き当りの大きなスクリーンには富岡製糸場の歴史のビデオが上映されていた。ビデオを観終わった後、入口近くのお土産物屋をのぞいてから、シルクギャラリーにいった。 シルクギャラリーはその名称のとおり、シルク製品を展示・販売しているところである。シルク製品なので当然並んでいる商品はそれなりに高額だ。妻は友達のお土産として小品を2つばかり購入した。順路としては西置繭所の方だったのだが、間違えて繭から糸を取る作業の行われていた繰糸所に向かった。東置繭所、西置繭所と並んでここも国宝に指定されている建造物である。 外に出ると眩いばかりの陽の光で観光客もそれほど多いということもなく、のんびりとした気分で歩くことができた。外壁のレンガは長いレンガと短いレンガを交互に積んでいくフランス積みという工法になっている。それは設計したのがオーギュスト・バスティアンというフランス人だったからだ。木の骨組みにレンガで壁を積み重ねていく木骨棟瓦造りという西洋式の建築方法で建設された。 繰糸所に行くまでの道には検査人館と女工館があり、どちらも重要文化財に指定されている。中に入って見学することはできないが、外観をみることはできる。どちらも高床で建物の正面にポーチなどがある風通しのよさそうなコロニアル様式の建物で、検査人館は生糸の検査などを担当したフランス人男性技術者の住居、女工館は日本人女工に器械製糸の糸取の技術を教えるために雇われたフランス人女性教師の住居だった。 先に歩いていくと屋根付きの通路があり、そこを入っていくと巨大な繰糸所がある。中には最近まで使われていた繭から糸を取り出す釜が整然とならんでいて、柱のない大空間が広がっていた。三角形の骨組みを用いたトラス構造で強度を出して、柱のない大空間を創り出している。製糸場の心臓部だけあって、正門前にいたテレビクルーが入って撮影をしていた。その横を通りながら、機器の見学をした。繰糸所の前には清涼飲料水の自動販売機があったので麦茶を買って飲んだ。 繰糸所の横には重要文化財に指定されている首長館がある。ここは製糸場の指導者として雇われたフランス人ポール・ブリュナが家族と暮らしていた住居で、高床式で四方にベランダのある女工館などと同じコロニアル様式の建物である。ポール・ブリュナが製糸場で果たした功績は大きい。製糸場の建築地の選定やフランスで使われていた製糸器械を日本人の素養や体格にあったものに変えたりした。 首長館の道を挟んで反対側には診療所がある。ここも中に入っての見学はできないが、外観を見ることができる。首長館の前の道を裏手に回り込んでいくと、女子寮がある。女子寮も外観だけだが、部屋の中にはスターのポスターなどが貼ってあったりしたそうである。 また来た道を戻り、今度は西置繭所へ向かった。途中に社員の社宅があり、ここは中に入ることができた。一つはその中で蚕の飼育をしていた。初めて蚕を見た妻は気持ち悪がっていたが、僕の小学生の頃は学校で飼っていた。繭から蛾の飛び立った記憶はないから、繭になった時点で回収されていたのかもしれない。もう一つは昭和30〜40年代の生活空間を再現した部屋で、懐かしさを覚えた。 西置繭所は東とは違って建物の構造を見せるような展示になっている。したがって内部は製糸場の歴史をパネルや当時使われていた備品などの展示はあるものの、基本的は倉庫内の壁の造りを見せるもので広い空間が広がっている。エレベータで二階にも上がれ、バルコニーからは繭を取り出すときに使われる水を溜めていた鉄水溜をいう巨大な貯水釜を見ることができる。 当初、官営として操業を開始した富岡製糸場だったが、その後、明治26年に三井家、明治35年に原合名会社、そして昭和13年に株式会社富岡製糸場として独立したが、昭和14年片倉製糸紡績株式会社に合併され、昭和62年操業を停止した。製糸場内には製糸場で働く女工さんの勤務時間に変遷の展示もあったが、それをみると官営の頃が勤務環境は一番よかったようである。週1回の休みに1日の勤務時間は7時間だったが、これは欧州に倣ったものだ。その後、経営母体が変わると休みが月2日で1日の勤務時間が13時間になったりした。 富岡製糸場を出た時はもう1時を過ぎていた。朝は比較的閑散としていた製糸場前の通りは買い食いをしている若者などでかなり賑やかになっていた。妻もアイスを買って食べながら歩いた。何処か良さそうな飲食店はないかなと駅に向かって歩いていくと、おっきりこみの店があった。おっきりこみとは群馬の郷土料理で甲州のほうとうのようなものだ。幅広の麺を、根菜を中心とした野菜やキノコといっしょに煮込んだもので僕たちの入った店は味噌ベースの汁のようだった。 おっきりこみにしようかと思っていたが、この暑さで熱いうどんを食べるのは…と考えてしまい結局冷たいひもかわうどんを二人とも注文した。店の内装はすごかった。席は店の両側の壁に向かって座るような構造になっていて、2、3席ごとに障子戸で仕切られていた。飲食店で最も大切なのは味だとは思うが、店の雰囲気も大事な要素である。このテーブルの配置では目の前は壁、横は障子という状況でゆっくりと食事と雰囲気を楽しむには程遠い感じだった。 肝心の味の方もイマイチという感じだった。昨日、桐生で食べたひもかわうどんは麺の厚さは薄く、ちょうどいい食感だったが、この店はやや厚くそのせいか麺が硬く、もそもそ食べるという感じになってしまった。また麺つゆも市販の麺つゆのような味だった。 2時過ぎに上信電鉄の上州富岡駅に着いた。上りの時刻表をみると2時半過ぎで、30分以上待つことになった。改札は鉄製の鎖で施錠されていて、電車が来るまではホーム上には出られないようだった。木目の美しい待合室のベンチで電車の来るのを待っていた。(2022.10.9) ―終わり― |