瀬戸内の島々・鞆の浦旅行記


8月28日 女木島・男木島

 ホテルで朝食を取ってから、女木島行きのフェリーに乗るため高松港へ向かった。高松港からは2時間に一便の割合で、女木島行きのフェリーが出ている。男木島への直行便はなく、高松港から近い女木島を経由することになる。一便遅れると二時間待ちになってしまうため、妻を急かして朝一の8時の便に乗り、女木島へ向かった。女木島までは20分、島に着いた時には朝降っていた小雨はほとんど止んでいた。

 女木島は港周辺にアートが多くあるので、便利である。堤防の上に板で作られたカモメがずらりと並んでいる‘カモメの駐車場’というオブジェがすぐに目に入った。港周辺は平屋の家が並び、軽自動がやっと通れるような路地と合わせて雰囲気のいい集落をつくっていた。所々に見られるオーテと呼ばれる石垣が特徴的で、女木島は冬になると強風が吹くため、それを防ぐように頑丈に作られている。

 美しい海岸線を歩いていくと帆船をモチーフにした‘20世紀の回想’という作品をみることができる。よくみると、船の部分はグランドピアノだった。さらに近くの神社の参道に松の木の切り株に根っ子を巻き付けたようなオブジェがあり、その先の砂浜には骸骨と円盤がヤジロベーのようにバランスを取りながら佇んでいる作品がある。少しいった所に店のようなものがみえた。妻は「いってみよう」といったがまだ開店しておらず、近くに作業員の方が多くいて何やら作業をしていたので、「止めよう」といってしまった。この一言が妻の機嫌を損ねることになった。

 自分の見たい所だけ見て、妻の意見は却下というわけである。そんなつもりはないのだけど、結果的にはそういうことになっていた。この後、桃太郎が退治した鬼が棲んでいたという鬼ヶ島大洞窟に向かったが、その道中、妻はずっと不貞腐れていた。

 鬼ヶ島大洞窟までは、港からバスが出ている。時刻表はあるが、フェリーが港に着き、乗客がそろったら出発し、洞窟の見学を終えたら運んだ乗客を乗せ、港に戻ってくるという仕組みになっているらしい。ただ、そんなことは後で知ったことで、よくわからないまま、係員のおじさんに「洞窟までは歩いていけないかな?」と訊いたら、あっさりと「30分くらいだよ」といわれたので、それくらいだったら、ぶらぶら歩いていこうと思ってしまったのである。

 しかし、実際はかなりきつい登りの山道を延々と歩くといった感じで、妻の機嫌はいよいよ悪くなるばかりであった。途中で雨も振り出し、泣きっ面に蜂である。自然の美しさが唯一の救いだった。3〜40十分歩いて、ようやく洞窟のバス停まで着いたが、そこから先がさらに大変で、急な階段が延々と続いた。ようやく階段を登り終えると、休憩所のようなところがあり、そこでお茶を買って喉に流し込んだ。雨と汗でTシャツはびしょびしょだ。その先に券売機があり、おじさんが一人いた。僕たちが歩いて登ってきたというと、「根性だね」といって笑った。いっしょの船に乗ってきた他の人たちはすでに見学を終え、バスで帰っていったらしく、見学者は僕たちふたりだけだった。そのため、おじさんのガイドを独占することができた。

 「何処から、来られました」と訊かれたので、「神奈川です」というと、「私も横浜出身なんですよ」とうれしそうな顔をした。完璧な関西弁を話していたので不思議に思ったが、生まれてすぐに関西に移り住んだという。 洞窟の中は常に15℃くらいということで、涼しかった。「時間はどうですか?」と訊かれたので、「次のフェリーで男木島へ行く予定です」というと、「それじゃー、駆け足で案内しましょう」といって、足早に説明を始めた。

 この洞窟は鬼が棲んでいたという伝説があるが、鬼の正体ははっきりしていて、海賊だったという。桃太郎の名前もわかっている。吉備の国の稚武彦命という人で、共をした犬・猿・雉もそれぞれ意味があり、犬は忠誠心、猿は知恵、雉は勇気を体現しているそうだ。

 洞窟はかなり広くいろいろな部屋がある。囚われた女がいたり、海賊働きで盗った宝物の所蔵庫、一番奥の部屋は指令室で山頂や海へ降りられる階段もあったらしい。入口は狭く、敵の来た場合、入口を崩して隠れることができるようになっていたそうだ。香川県内の中学生の作った鬼瓦が展示されている部屋もあった。出来は人それぞれなので、時間があれば一つ一つ見ていくのも楽しいかもしれない。

 洞窟は自然のものではなく、手彫りだったそうだが、後年の採石業者が掘った場所もあるようだ。天井には鑿の後が残っているが、それは鬼退治の時代にはなかったものだという。また、香川県には鬼無という地名の所がある。ここは生き残った海賊が復讐戦を行った場所で、返り討ちにあい全滅させられたことから、鬼無という地名になったという。 おじさんは洞窟だけでなく、これからいく男木島の観光案内もしてくれた。それによると石積みの灯台があるので、是非とも見てほしいという。港から1.8Kmくらいだが、平坦なのでそれほど苦ではないといった。

 帰りの道のりを思うとうんざりしたが、ガイドのおじさんが途中まで車で送ってあげるといった。同じ横浜ということで懐かしく思ったという。段々の風というアート作品のある前で車を止め、見学したかどうかを訊かれた。まだ見ていないというと、「まだ、時間はあるから、ちょっと登って見て行ってください」と言い残し、元来た道を帰っていった。

 細い道を登っていくと多くの足のように見える陶のブロックを積み重ねた段々の風という作品がある。高台にあることもあり、海からの風が気持ちよかった。洞窟のおじさんによると、こういったアート作品は草間彌生さんのような有名人もいるが、基本的には有名無名問わず、作品の良し悪しで展示するかどうかを判断しているという。女木島発10時20分のフェリーで男木島へ向かった。

 男木島には20分ほどで着いたが、雨はかなり強くなっていた。港周辺には、焼きそばなどの屋台も出ていたが、この天気のため、誰も客はいなかった。男木島は平坦なところはほとんどなく、山の斜面に集落が張り付くように存在している。迷路のような細い坂道や階段を歩いて、集落を巡るのも楽しそうだが、まずは、洞窟のガイドのおじさんに教えられた石積みの灯台へ向かった。

 ガイドのおじさんによると、この灯台は映画「喜びも悲しみも幾歳月」のロケ地として使われたという。残念ながら、この映画の公開は僕の生まれるより、かなり前なので題名は知っていたが、観たことはない。多少のアップダウンはあるが、海岸線に沿って伸びる道を歩くので、ガイドのおじさんのいうように基本的には平坦である。しかし、雨は徐々に強くなり、妻の機嫌も完全に戻ったとはいえず、大洞窟まで歩いた疲れも重なり、辛い道程になった。

 30分くらい歩いただろうか、石造りの男木島灯台が見えた。この灯台は明治28年に造られたもので、日本の灯台50選にも選ばれている。長方形に切り出した御影石を積み重ねて造ったもので、石積みの防波堤のすぐ横には砂浜が広がり、旅情を感じる。また、1〜3月、灯台に続く道は水仙の花が咲き誇り、お花畑の中を歩いているような感覚になるようだ。

 灯台の横には無料で見学できる資料館がある。男木島灯台の歴史や使われているレンズなどの展示があり、日本全国の灯台の写真などもあった。尻屋埼や入道崎灯台など思い出深く見た。

 灯台からの帰り、雨はさらに強くなった。Tシャツも、ジーンズも雨と汗でびしょびしょだ。できれば路地と階段が入り組み、迷路のようになっている男木島の集落を歩きたかったが、次来た時の楽しみとして取っておくことにした。港にある男木島交流館に入ると、雨宿りをしていた女性の二人組がいた。

 男木島交流館はスペインの現代芸術家ジャウメ・プレンサの「男木島の魂」という作品で、そのまま建物として使用されている。貝殻をイメージしたという白い屋根は8つの言語の文字で構成されていいて、晴れた日にはその文字が地面に写し出される。役割としてはフェリーのチケット売り場で待合室という感じだ。

 フェリーの来るまでだいぶ時間があるので、まずはトイレでびっしょりになったTシャツを着替えた。天候が回復すれば集落を散策しようとも思ったが、雨は強くなるばかりで、13時発のフェリーに乗り、女木島を経由して高松へ戻った。高松で昼食を取った後、列車で宿泊地である福山へ向かった。福山のホテルも昨晩予約を入れていたので安心なのだが、個人経営のビジネスホテルのようで、ベッドのひとつがソファーベッドと表記されていたのがやや気がかりではある。

 17時、福山駅に着き、小雨の降る中、薄暗くなった街中をホテルに向かった。予約したホテルは駅から、5、600mくらいあるようで、妻がスマホで確認しながら先導し、住宅街の一角に看板を見つけた時には、ほっとした。心配していたが、外見は普通のビジネスホテルで安堵した。

 ホテルに入ると、中年の男性がフロントにいたので声をかけた。彼がこのホテルのオーナーらしい。玄関で靴を脱ぐ方式で、もとは旅館だったのかもしれない。2階の部屋に案内され、中を見ると一段低い感じのベッドがあった。これがソファーベッドという奴なんだなと思い、寝転んでみたが、特に普通のベッドと変わったところはなかった。部屋もそれほど狭くはなく、ふたりならちょうどいい感じである。

 休憩した後、夕食を取りに福山の街に出た。駅に着くと、すぐ横に福山城が見えたので、行ってみることにした。城跡全体が公園として整備されていて、南側の入口から入ると、右にそれる道があったのでいってみると、建築物の一部が石垣に張り出している黒い建物があり、その底から柱が数本石垣に食い込むように出ていた。後から調べてみると、御湯殿と呼ばれている建物で、その名の通りお風呂だった。

 もとの道に戻ると、天守閣と思わせるような建物があり、その先に立派な門が見えた。天守閣と勘違いした建物は伏見櫓で、その先の門は筋鉄御門と呼ばれている。この門をくぐると、福山城の天守閣がある。辺りはかなり暗くなり、天守閣はライトアップされ荘厳な雰囲気を漂わせていた。

 帰りは、公園の北側の道を降りた。お城の周りには、多くの神社があった。お城を時計回りに半周するような感じで駅に戻り、駅ビルの中にあったレストランで夕食を取った。ハンバーグやステーキなどが中心の店で、二人とも一口ステーキと和風ハンバーグのセットを注文した。ハンバーグはやや硬い気がしたが、一口ステーキは美味しく食べた。ホテルを出た時には降っていた雨が、帰りには止んでいた。(2019.11.14)

―つづく―


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