瀬戸内の島々・鞆の浦旅行記


8月29日 鞆の浦

 ホテルをチェックアウトし、駅前のカフェで朝食をとった。旅に出て、はじめてゆっくりした朝だった。今まではフェリーの時間があったりしたが、鞆の浦行きのバスは福山駅前から20分おきにでているので、それほど時間を気にすることもない。9時発のバスに乗った。

 鞆の浦は古くは万葉集の時代から潮待ちの港として知られ、栄えてきた。現在は、ノスタルジックな街並みで、古の港町の旅情を感じられ、国内外から訪れる人は多い。また、江戸時代の港湾施設である「常夜灯」「雁木(階段)」「波止場」「焚場(江戸時代のドック)」「船番所」がすべて残っているのは全国でもここだけである。

 それなりに人気のある観光地なので乗客は多いかもと思っていたが、僕たちの他には若い数人の男性グループだけで、残り数人は地元の人たちだった。鞆鉄バスは古く、路面もよくないせいか、かなり揺れる。お世辞にも乗り心地はいいとはいえない。30分ほどで鞆の浦のバス停に着いた。鞆の浦バス停の道路を挟んで反対側には、お土産物を売っているともてつバスセンターがあり、どんなものがあるか見ていくことにした。

 まずは、養命酒のもとになった保命酒である。原酒は麹ともち米と焼酎によって作られ、それに16種類の生薬を漬け込んだお酒だ。そして、港町ということでタイが名産らしい。他にもとろろ昆布や小魚の珍味もあり、帰りに寄っていくことにした。

 海沿いの道を港に向かって歩いていくと、弁天島や仙酔島がみえる。弁天島は無人の島で朱色に塗られた弁天堂のあるため、この名前になったという。仙酔島は大きな島で、宿泊施設などもある。

 しばらく歩くと、福禅寺の對潮楼と石垣が右手に見えてくる。對潮楼からの弁天島・仙酔島の眺めは日東第一形勝と朝鮮通信使に評されたほどである。やがて道は海に突き当り、T字路に分かれる。まずは船番所跡に行ってみようと思い、T字路を左折して、しばらく歩くと1791年に完成したという波止が見えてくる。ネズミの尾のように長い波止で、黄土色をした花崗岩を積み重ねて造られている。ちなみに常夜燈や雁木も花崗岩製である。この波止から陸地を見上げると石垣の上に船番所跡を見ることができる。船番所とは現在でいえば、港湾管理事務所にあたる。

 石垣の上に建てられた建物は昭和30年頃のものだが、石垣は江戸時代に造られたもので、どっしりとした重厚感溢れる立派なものだ。船番所跡の横にはCafe船番所があるので、ここでコーヒーなどを飲み、昔の港に思いをはせ、鞆の浦港を眺めるのもいいかもしれない。対岸には常夜燈が見える。

 海岸沿いに常夜燈へ向かうと、途中に鞆の津の力石というのが祭られている。力自慢が持ち上げて力を競った石だそうだ。海岸線を港に沿って回っていくと古い家並みが続く先に常夜燈がある。海に面したところは雁木を呼ばれる階段になっている。その南端に常夜灯は建っている。1859年(安政6年)に灯台として建設されたもので、その高さは海中の基礎の部分まで含めると11メートルで、日本一の高さを誇っている。花崗岩を積み重ねて造られた立派な灯篭で、鞆の浦のシンボル的な存在だ。常夜灯の近くにはカフェや食事処、そして坂本龍馬のいろは丸展示館があり、街中に続く道は石畳になっていて、その両側には風情のある古い家々が並んでいる。

 家並みは古いが、中はカフェや小魚などの珍味屋、保命酒屋さんだったりする。あまりに美しい家並みなので写真を撮っていると、保命酒屋さんの女将さんが「撮りましょうか?」と声をかけてくれて、二人並んだところをぱちりと写真におさめてくれた。

 珍味屋さんには、しらすアイスというのを勧められた。アイスの中にシラスを練りこんだものらしい。あまり食指が動かず、一度は通り過ぎたが、何となく気になり、一つ買って、常夜燈近くの海の見えるベンチに座り、妻と食べた。シラスは粉末にして練りこんでいるということで、シラスそのものが顔を出すというようなことはなく、やや、塩見のあるアイスで美味しく食べた。

 元来た道を戻り、太田家住宅を見学することにした。この建物は保命酒中村屋として栄え、敷地内では保命酒を中心に酒類の醸造の行われた一方、客人をもてなすため多くの部屋が設けられ、幕末の七卿や頼山陽などを迎い入れ、また西国大名の宿所としての役割も果たしていたとそうである。明治期に太田家が受け継ぎ、今日に至っている。

 受付の女性に二人分の入館料を払うと、「時間はありますか?」と訊かれたので、「あります」と答えると近くにいたおじさんがガイドをしてくれることになった。おじさんといっても年齢は70代半ばを過ぎているだろうか、やや腰が曲がり前かがみになって歩いていた。まずは鞆の浦や太田家住宅の概要を話してくれた。鞆の浦は、瀬戸内海のほぼ中央に位置するため、紀伊水道と豊後水道の潮流がぶつかり、潮位の差は4mを超えるという。昔の船はエンジンなどの動力のなかったため、いい潮の流れになるまで鞆の浦で潮待ちをしていた。そのため、人や物資が集まり、栄えたそうだ。

 一通り話を終えた後、縄や紐を使った玄関の戸締りや高いところにある窓の開閉など実演してくれた。昔の人の知恵に感心した。次に敷地内をめぐった。炊事場から蔵、保命酒の醸造所などを案内してくれた。現在、鞆の浦で保命酒を作っているところは4件あるという。敷地内にある釜などは当時の物ではなく、要らなくなったものをもらったものもあるそうだ。「ちょうど大きさがぴったりだったからね」と笑っていた。

 次に屋敷内の案内をしてくれた。屋敷内も広く、立ち入り禁止の表示のあるところまで、見せてくれた。それにしても立派な造りである。座敷に使われている畳のことまで話してくれた。始めは20分くらいで終わるかなと思っていたが、話はいろいろと脱線したりして、1時間を超えていた。すべての説明が終わり、太田家を出ようとすると受付の女性が「長くなってごめんなさい」と謝ってきた。確かに思っていたより長くなったけど、いろいろと面白い話も聞けたし、僕たちはそんなに気にしていなかった。ちょうどお昼になっていたので、常夜燈近くにあるa cafeで昼食をとることにした。

 入口が狭く戸惑っていると、従業員の方が出てきて、「どうぞ」と中へ導き入れてくれた。a cafeは築150年の長屋を改装した店だという。壁も土壁がそのまま残されている。また、建物の前には、今は珍しくなってしまった丸い郵便ポストがあり、常夜燈ポストと呼ばれている。

 建物は古民家そのままだが、メニューはイタリアンでランチはスパゲティとサンドイッチだ。ふたりとも魚介のスパゲティをセットメニューで注文した。セットにすると前菜が4品とドリンクがついて、単品と300円しか違わないのでお得なのである。

 何気なく店内に置かれた写真を見ていたら、彫が深く髭の濃いマスターが燃え盛る大きな松明と映っていた。水をもってきてくれた従業員の方に訊いてみると、沼名前神社のお手火神事という火祭りのときのものだという。祭りのときは臨時バスも運行されるらしい。家に帰ってから、YouTubeで確認したら、かなり勇壮な感じのお祭りだった。

 そうしているうちに、前菜が運ばれてきた。葉野菜、かぼちゃ、ニンジン、どれも美味しかった。パスタは、エビとアサリがたくさん入っていて、魚介の旨味たっぷりだ。バケットのついてくるのも、うれしい。今日は妻の誕生日なので、夕食は豪華にと考えていたが、昼から美味しいものを食べることができてよかったと思った。このときは、この後、辛い展開になるとは、全く想像できていなかった。

 店を出ると、旅に出て初日を除いて、初めて陽が差してきた。陽が差したら差したで暑く感じる。人間とは身勝手な生き物である。再び太田家住宅の前に雰囲気のいい路地に入った。保命酒屋さんを行き過ぎて、女将さんに写真を撮ってもらったことを思い出し、どうせ買うならここにしようかと思った。

 保命酒屋さんに入って、店にいた女将さんに「試飲できますか?」と訊くと、「できますよ」といってお猪口に氷を入れ、そこに保命酒を注いでくれた。一息にグイと飲んで思わず「美味しい!」と声が出た。味は養命酒に似ている。ただ、保命酒の方がまろやかで、はるかに飲みやすい。僕は養命酒も好きである。しかし、ストレートでは飲みづらいのだが、保命酒はストレートでも問題なく飲めそうだ。

 妻は僕が保命酒をここで買うとは思っていなかったらしく、少し驚いた表情をしていたが、「これにする?」といいながら300mlのビンを指さした。すぐになくなってしまいそうだったので、「これにしよう」と500mlのものを手に取った。「お母さんにもこれがいいんじゃない?」と妻がいうので、「それじゃー、もうひとつ」ということになり、500mlのものを二つ買った。女将さんはおまけとして生薬の入った袋をくれた。匂いを嗅ぐと保命酒の香である。「枕元に置いて寝たり、あと、お風呂に入れてもいいですよ」といった。

 保命酒の入った紙袋を持ち、福禅寺對潮楼へ向かった。石畳の趣のある坂道の途中に石垣に囲まれた福禅寺對潮楼の入口がある。福禅寺は平安時代の創建で、本殿に隣接している對潮楼は江戸時代の元禄年間に創建された客殿で、正徳元年(1711年)朝鮮通信使の李邦彦は日東第一形勝(日の昇る東の国で一番の景色)と賞賛し、延享5年(1748年)には、通信使の洪啓禧が、客殿を「対潮楼」と命名し、洪景海が書を残している。江戸時代を通して對潮楼は使節のための迎賓館として使われていたそうだ。

 拝観料を払い、靴を脱いで中に入ると、畳に赤い毛氈が引かれ、その先に弁天島、その先に仙酔島の景色が目に飛び込んできた。開け離れた窓枠の上には日東第一形勝と書かれた額縁が飾られている。紅い毛氈の上に座って、窓からの景色をじっくりと眺めた。手前に福禅寺の松と石灯籠、窓の景色の中央に弁天島、その上に建つ弁天堂、その奥には仙酔島と素晴らしい景観を作っていた。弁天島が無人島ということもあり、近代的な人工物は全く見えず、昔日と変わらない景色がある。窓からの景観は、朝と夕、または季節によって変化し、時の流れ、季節の移ろいを感じられるようになっている。

 幸いにして、對潮楼には僕たちの他に一組のカップルがいるだけだったので、ゆっくりと日東第一形勝と詠われた景色を堪能することができた。カップルもいなくなり、写真を撮っていると、女性の係員の人が近づいて来て「お二人の写真を撮りましょうか?」といってくれたので、妻がスマホを渡すと、離れたところからシャッターを押しながらどんどんと近づいて来て、いろいろな大きさの写真を撮ってくれた。對潮楼の柱には「写真の撮り方教えます」という張り紙があり、写真教室もやっているようである。

 本堂にお参りして、福禅寺を出ると少し前までは晴れていたのに、空模様がかなり怪しくなっていた。冷たい風が吹いて来て、今にも雨が降り出しそうだったので、バス停に急いだ。しかし、雨が落ちだし、数分もしないうちに土砂降りとなった。傘を差したが風が強く、あまり役に立たない。バス停を目指して歩いていると、雨宿りできそうなビルがあったので、その軒先に入った。食事処らしいが、風で看板が倒されている。

 しばらく待って、やや小降りになったときを見計らい、鞆の浦バス停へ向かった。雨は依然強く、ジーンズがぐっしょりと濡れてきた。これではバス停に佇んで、バスを待つわけにもいかず、バス停のすぐ後ろにある観光センターへ飛び込んだ。とろろ昆布を買って、 店員さんにバスの時間を訊くと、ちょうどバスの来る時刻だった。雨の降り中、バス停に行くと一分も経たないうちにバスが来て、ほっと胸をなど下したのだった。

 福山駅に着いた頃には、雨はほとんど止んでいた。妻は土曜日から仕事のため、できるだけ横浜に近づいておこうと、京都のホテルに予約を入れていた。順調に行けば、京都には18時14分に着く予定であった。姫路までは順調だったが、人身事故の影響で列車は大幅に遅れていた。一時間遅れという敦賀行きの列車に何とか乗れた。

 幸いにして、列車は大幅に遅れているが、京都に着く時刻はそれほど変わらないため、安心していたのだが、あと二駅で京都というところで、高槻駅で人身事故のあったため、列車は運転を見合わせるという放送があり、電車は止まった。運転再開の見込みの時刻も告げられた。運転再開まで長時間に及ぶこともあるので、お客さん同士、席を譲り合ってくださいという放送も入った。

 関東の場合、同じように人身事故の起きた時、運転見合わせの放送は入るが、運転再開の時刻まで告げることはないように思う。しかし、関西では19時40分ごろというようにある程度明確な時刻の放送があった。この辺りは文化の違いなのだろうかと興味深く思った。電車内は前の人身事故の影響と退社の時間帯が重なり、かなり混雑していた。後方の車両までトイレにいく人が続出し、妻のいうには泣きそうになっている女性もいたという。満員電車で約1時間缶詰ということを思うと、僕も気の遠くなる気分だった。

 しばらくすると、また車内放送が入り、それによると事故は反対側の線路で起きたため、運転再開の時刻の早まる可能性があるということだった。しかし、それでもチェックインの予定時刻の19時を過ぎてしまうことは確実で、念のためホテルに延着の連絡をした。

 この列車は乗ったときすでに1時間遅れになっていた。ということは、この列車で敦賀行きを予定していた人は、2時間の遅れということになる。他人事ながら、たいへんだなと心配になった。周りの乗客たちの顔に疲労の色の濃くなってきた頃、突然といった感じで運転再開の放送が入った。1時間まではいかなかったが、40分程度は止まっていた。この調子だとホテルにチェックインできるのは20時を大幅に超えそうで、それから食事に出るのは辛いものがあり、妻の提案で食事を済ませてからホテルに行こうということになった。

 京都に着いたのは20時少し前だった。妻の誕生日なので、京都でじっくりといい店を探そうと考えていたが、じっくりというわけにはいかなくなってしまった。駅構内を歩いているとよさそうなステーキの店があったので、「ここはどうだろう?」というと「肉系は昨日食べたから」という。さらにあるいていると、駅ビルの中にレストラン街があり、その案内板の中に中華料理の店があったので、「中華は?」と訊くと、「いいよ」というので、そこにいくことにした。

 入ってみると、本格的な中華料理店だった。妻はエビチリ、僕は鶏のカシューナッツ炒め、あと餃子を一皿注文した。店構えも立派だが、味も美味しかった。いい店に入ることができて、安堵してホテルに向かった。

 ホテルは京都から山陰本線に乗って二駅の丹波口にある。丹波口駅を出ると、小雨が降ってきた。これだけ、雨に当たる旅行も最近ではあまりなかったなと思った。(2019.11.24)

―終わり―


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