鳥取・倉吉・松江旅行記


8月22日 鳥取〜倉吉〜松江

 ホテルで朝食をとり、8時4分発の山陰本線で倉吉に向かった。前日、夕食をとった食堂の女将の話によれば、倉吉は小一時間くらいで周れるという。ただ、こればかりは実際にいってみないと何ともいえない。倉吉には、9時18分に着き、駅前からバスに乗って白壁土蔵群に向かった。白壁土蔵群は白い漆喰壁と赤瓦の蔵の立ち並ぶ町並みが、美しい風景をつくっているところで、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。

 バスの乗っているとき、妻は「今度の旅は、バスによく乗るね」と歩かないことを非難するような口調でいった。駅から白壁土蔵群まで歩いて歩けないことはないが、その道中はあまり面白味のない普通の町並みで、さらに今年は例年になく梅雨が早く開け、夏バテが酷いのである。まあ、一番の理由は年をとったということかもしれない。バスは15分ほどで白壁土蔵群のバス停に着いた。

 早速、バス停から赤瓦と白壁の町並みの残る地区に向かった。バス停から徒歩3分くらいである。まだ、時刻は10時前で、ほとんどの店は閉じており、観光客もちらほらいる程度だった。そのため、落ち着いた気分で散策することが出来た。街中を流れる玉川には石橋がかかり、その背後に赤瓦と白壁の土蔵が立ち並び、風情豊かな景色をつくっている。

 土蔵はもともと造り酒屋や醤油屋として江戸や明治期に建てられたもので、現在は物産館や喫茶店、または工房として使われている。赤瓦は石州瓦と呼ばれるもので、島根県の石見地方で生産されたものだ。この地方は列車に乗っていても、赤瓦の家をよくみかける。店がぽつぽつと開きだし、妻は白バラアイスに興味を示し、その幟のある喫茶店に入った。

 白バラアイスはソフトクリームかと思っていたが、実際は鳥取の大山乳業組合が生産している市販のアイスで、妻は少しがっかりしながらも、それを買い、僕はアイスコーヒーを注文して店内で飲食した。この白壁土蔵群にある店は、アンティークショップや凧屋といったところでも喫茶店を併設しているところが多い。

 喫茶店をでて街中を歩いていると、妻の趣味である織りの工房があったので入った。店内は奥が深く、実際に職人さんが織りを実演してくれるらしいが、時間の早かったため、まだ出勤していないようだった。ただ、織機や糸巻き機などの展示物や、絣の織り方のパネルなどを見ることができ、妻は喜んでいた。

 時間が過ぎていくと観光客が多くなっていた。それも日本人より、中国や韓国の人が中心といった感じだ。昔の日本の風景の残っている倉吉は、歩いているだけで楽しい。また、観光ばかりでなく、古くからある地元の店も残っているのもいい。凧屋さんでは、職人さんが絵つけをしているところを見学できたりする。妻は、手作りの箒屋さんに興味を持ち、店内を除いていた。日本人なら何ということない店なのだろうが、妻もまた元は外国人である。

 バスに乗り、倉吉駅に戻った。時刻はお昼前だったが、列車が12時43分までないため、昼食を取ることにした。駅前をぶらぶら歩いていると、ホテルに付属したレストランがあり、ランチもやっている。料金もそれほど高くなかったので入った。夜は本格的なフレンチの店になるようだったが、昼は魚または肉を中心としたランチとカレーライスがあった。ふたりとも魚のランチにした。

 料理はまずサラダが運ばれてきた。トマトのイタリアンドレッシングがかかっていて、野菜も新鮮で美味しかった。その後はじゃがいもの冷製スープが運ばれてきた。これを妻はたいへん気に入った。最後にメインの白身魚のグリルが運ばれてきた。グリルされた白身魚の周りにはゴマがまぶされ、香ばしかった。

 食事の後、駅中のお土産物屋を周り、12時43分の列車で米子に向かった。米子で乗り継ぎ松江に着いたのは、14時半だった。まずは観光案内所に行って、ホテルさがしである。しかし、何でも中学生のバレーボール選手権が松江で開催されているということで、市内のホテルは概ね満室になっているという。2つ、3つ電話をかけてもらったが、何処も満室だった。

 仕方なく、ホテルのリストと地図をもらい、自分たちで探すことにした。比較的大きなホテルは埋まっていても、小さなビジネスホテルは空いているだろうし、松江は大きな都市なのでそれほど心配はしなかった。栄えている方とは反対の南口に出ると、最近、よく見かけるようになったホテルチェーンがあった。

 ダメもとで電話をかけると空室があるという。ちょっと料金は高いが、あまり歩きまわりたくないのですぐに予約をして、荷物を預けに行った。フロントで荷物を預け、何気なくカウンターの上をみると夕食・朝食が無料とあり、訊いてみると宿泊者ならどなたでもご利用できるということだった。二食付くなら、それほど高いということもない。喜んで松江散策に向かった。

 まずは昨日、鳥取の食堂の女将さんに勧められた堀川めぐりをすることにした。乗り合いの小舟で松江城の堀を巡る船旅である。乗船場所は三か所あり、松江駅から一番近いカラコロ広場から乗ることにした。

 カラコロ広場に行くと堀の南側を流れる京橋川の畔に乗船場があり、そのすぐ近くのお土産物屋で乗船券を売っていた。乗船券は一日乗り放題で大人1230円である。一周約50分の船旅で乗り降りは自由だ。乗船場は、カラコロ広場の他に大手前広場とふれあい広場がある。カラコロ広場は市内散策、大手前広場は松江城見学、そしてふれあい広場は武家屋敷が並ぶ塩見縄手を周るのに適した場所にある。

 乗船券を買い、船着き場で舟の来るのを待っていると、係員の男性が「38度もあるよ」と教えてくれた。恐らく台風が接近しているせいだろう。果たして明日はどうなるか心配になる。「何処まで行きますか?」と訊かれたので、「塩見縄手まで」と答えると、「じゃー、ふれあい広場行きだね。10分くらい待ってください」といわれた。「どちらから?」と訊かれたから、「横浜からです」と答えると、「都会の人が何でこんな田舎まで?」といわれた。「松江は都会にない風情がありますから」というと、ふーんという感じだった。

 そんなことを話しているうちに、小舟がやってきた。屋根がついていて、定員は10〜12名だそうである。カラコロ乗船場に横付けすると、30代の男女二人組が降りて来た。船首から乗り込む形式なので、自然と一番前になった。他には、夫婦と三人の子供の五人家族が乗っていた。同じ島根県内から来たそうだが、初めての舟に子供たちは大喜びのようで、かなり騒がしかった。

 舟が船着き場を離れて初めて行ったのは、体を屈める練習だった。というもの、堀川には当然、橋が架かっているが、そのうちの四つは橋脚が低いため、屋根を下げて通過しなくてはならないのである。始めはそれほど大げさには考えてはおらず、遊び感覚だったが、実際に経験してみて真剣であったことがわかった。

 舟はカラコロ乗船場を出発して、まずは大手前広場乗船場へ向かった。水の上は涼しく、風が気持ち良く体を通り抜けていく。堀川から見上げる景色も新鮮で、舟に乗ってよかったと鳥取の食堂の女将に感謝した。堀の両側は石垣で固められ、その上に柳や松などの樹木が植えられ、時代劇の風景をつくっている。船頭さんが、見所を解説してくれるので、勉強になる。

 舟は堀川を反時計回りに進んで行き、甲部橋で初めて屋根が下がった。低い姿勢を保つというのは、意外と辛いものだと思った。すると続く新米子橋も橋が低いため、また、屋根が下がり、低い姿勢のままガマンすることになった。新米子橋を通過すると、しばらくの間は、のんびりとした風景が続く。

 やがて、舟が直角に曲がると、前方に恐ろしく低く幅も狭くなっている木造の橋が見えてくる。普門院橋で、堀川巡りで最大の難所といってもいいだろう。こんなところに入れるのか?という淡い恐怖心が芽生えるくらいだった。

 橋の前方には浮きのようなものがあり、船頭さんは「あの浮きより、体を屈めないと通れませんよ」と注意を促した。屋根は極限まで下がり、それに合わせて体を屈めるが、橋の手前でさらに一段低くなった。ほとんど船底に張り付くような感じで、何とか通過した。屋根が上がると前方に、松江城が見えてきた。

 松江城は鳥取城と違って、平城である。やや小高い丘の上に建っているから、天守がよく見える。「ここが、松江城が最も美しく見える撮影ポイントです」と船頭さんがいった。堀川にせり出した桜に、真っ直ぐ伸びる松、大きく枝垂れる柳の背後に松江城の天守がぽっかりと浮かんで見える。

 舟は再び直角に曲がり、松江城を右手に眺めながら、大手前広場乗船場に着岸した。ここで降りる人はいなかったが、若い女性が二人乗って来た。一人はデジタル一眼レフのカメラを首から下げている。舟は来た川を戻り、ふれあい広場乗船場に向かった。

 しばらくいくと、塩見縄手が見えてくる。塩見縄手は、武家屋敷の並んでいたところで、船頭さんによれば、江戸時代の風景の残っているところということになる。縄手というのは、狭い道ということのようだ。ここら辺りの道幅は今でも江戸時代のままだそうである。一眼レフの彼女は、さかんにシャッターを切っていた。お友達の方は、暑い暑いとうちわでパタパタと仰いでいる。妻は目敏く、そのうちわが堀川めぐりのものであることに気づいた。

 ふれあい広場に着き、舟から降りて、休憩所で休んだ。水の上で多少は涼しいといっても、この猛暑である。冷たい清涼飲料水を買って喉に流し込んだ。ふと、テーブルの上をみると、うちわが置いてある。いっしょに乗船した女性客と同じものだ。ご自由に…ということで、妻は早速ふたつ手に取っていた。

 休憩所を出て、小泉八雲記念館に向かった。特に小泉八雲に関心のあるわけではなかったが、中学校の英語の授業で習った「Kwaidan」が印象に残っていた。ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は松江の地で、小泉セツと結婚する。その後、熊本、神戸、東京といろいろな土地を転々とするが、松江を一番気に入っていたらしい。妻は興味を持ち、売店で売られていた小泉八雲のマンガを買った。

 時間が遅くなってきたので、小泉八雲の旧居、武家屋敷などは、外観だけにとどめ、松江城へ向かった。宇賀橋から北惣門橋と渡り、松江城の天守を目指した。松江城は、一部白漆喰も使われているが、木製部はすべて黒く塗られている。黒を基調とした外観は、静謐で美しい。時間が遅くなったため、内部まで見学できるか心配だったが、今の時期は6時まで受け付けており、中に入ることが出来た。

 松江城は現存12天守のうちのひとつである。特に現存12天守をすべて制覇するとかいう目標はないが、これで弘前城、松本城に続いて3つめということになる。妻は何故かお城の内部を見学することが好きだ。建物の構造などを見ることが出来て、面白いのだろうか、結構、熱心に太い柱などを見ている。

 驚いたのは城の中に大きな井戸のあったことである。井戸のある天守は、現存する12天守の中では松江城だけらしい。実戦的な造りで、銃眼や石落としなどを備えている。柱や梁などは他の城と同様に、太く豪胆な造りである。天守閣の最上階にあたる望楼式からは、松江の町並みが一望できる。近くは宍道湖、遠くは大仙まで望むことができた。

 松江城を見学した後、妻がお土産物を見たいというので、近くの物産館に寄った。しかし、島根県物産観光館の閉店時間は6時だったため、ほんの数分しか見ることが出来なかった。ここに限らず、飲食店をのぞくお店はだいたい何処も六時閉店のようだった。いろいろなお店を見て周りたかったが、それは明日の楽しみとして、ホテルに戻ることにした。

 チェックインを済ませ、7時過ぎに夕食を取りに食堂へ行った。食堂には中学校バレーボール選手権が開催されているということで、数名の中学生が引率者と思われる男性や女性たちといっしょに座っていた。すでに食事は終えたらしく、ドリンクバーでとって来た飲み物を飲みながら、楽しそうに会話をしていた。

 夕食は定食とカレーライスから選ぶことが出来るが、僕たちはふたりとも夕定食にした。白身魚のフライがメインで、味はともかく量は多かった。飲み物はドリンクバーで飲み放題だったので、初めはジュース、食後にコーヒーを飲んだ。

 部屋へ戻り、テレビをみると、明日は台風が関西を直撃するらしいことがわかった。予定では、お昼くらいまで松江市内を街歩きして、いろいろなお店を見て周るつもりだったが、そうすると家に帰れなくなる可能性も出てくる。安全策としては、朝一で帰路につき、できるだけ横浜に近い所に宿泊することが考えられる。ただ、せめてお土産くらいは、この松江で買っておきたい気がする。物産観光館の開店時間は9時だから、お土産を買って、すぐに列車に乗り、できるだけ距離を稼ごうということになった。時刻表で調べると10時6分松江発の列車に乗れば、新見に13時着、伯備線に乗り換え岡山に14時54分に着く。あとは、何処で泊るかである。

 当初の予定では姫路辺りにしようかと思っていた。しかし、姫路は台風の直撃を受ける可能性がある。姫路より西側だと、台風による鉄道の運休などにより、家に帰れなくなるかもしれない。しかし、だんだんと考えるのが面倒臭くなってしまった。明日のことは明日考えればいい。そう思うって、時刻表を閉じようとすると、妻が貸してほしいというので渡した。妻は、遅くまでいろいろと調べていた。(2018.10.14)

―つづく―


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