その4 8月6日 和歌山〜近江八幡 この日、どうしようかと、昨晩から考えていた。当初は、高野山に行くつもりだった。しかし、いろいろと調べてみると、時間が読めず、難しいような気がして来たのである。 和歌山から、高野山に行くには、和歌山線で橋本まで行き、そこから南海高野線に乗り換え、極楽橋で下車して、今度はケーブルカーに乗り、高野山駅という経路になる。さらに、高野山駅からバスに乗り、奥之院入口とかに向かうわけだが、南海高野線やバスの本数は少なく、どのくらい時間がかかるのかわからない。 時間がかかっても、行き当たりばったりの旅をしているのだから、かまわないのであるが、明日、横浜に帰ることを考えると、できるだけ歩を進めておきたい。行こうと思えば、高野山に行けるだろうが、そうすると、どんなにがんばっても、その日のうちに奈良くらいまでしか行けないような気がする。 一日で奈良から横浜まで、普通列車を使って、帰ることは可能だろうが、妻は翌日から仕事のあるため、あまり無理をさせたくなかった。結局、高野山は諦め、法隆寺や奈良に寄ることにした。 和歌山線で王子まで行き、関西本線に乗り換え、法隆寺で下車した。仰々しい駅かと思っていたが、ごく普通の田舎の駅といった感じで、降りる人もほとんどなく、ほんとにここに世界最古の木造建築の建物である法隆寺があるのだろうかと不安になった。改札の近くに来ると、法隆寺までの所要時間を示す看板が掲げられていて、一安心した。改札を出ると、すぐに観光案内所があったので、そこで法隆寺までの道順の載った地図をもらい、徒歩で向かった。法隆寺までは、歩いて約二十分である。 それにしても、今日も暑い。雨に降られるよりはいいけど、猛暑続きのため、思った以上に体は疲れているようで、法隆寺に着いたときには、ぐったりとしてしまった。僕は、人並より、暑さには強い方である。しかし、今回の旅では、ほんとに暑さにやられ、動きが悪くなっている。 今年の暑さは例年以上で、旅に出る前から、かなり疲れを感じていたし、夜、よく眠れないことが多かった。その疲れを引きずったまま、旅に出てしまったようだ。それに、年をとったということもあるかもしれない。自分でも、情けなくなる。 法隆寺の長い松林の中の参道を歩き、南大門から法隆寺に入った。南大門の両側は、延々と土塀が続いており、法隆寺の巨大さを感じさせた。南大門をくぐると、正面に中門、そして左手に五重塔が見えてくる。西院伽藍と呼ばれているところである。観光客がいっぱいいるのかな?と思っていたが、意外と少なく、ぽつり、ぽつりという感じだ。やはり、外国人が多い。 西院伽藍、大宝蔵院、東院伽藍を拝観できる共通券1500円を購入し、西院伽藍をまず拝観した。中に入ったはいいが、日差しが強く、なかなか歩いて周る気が起きない。それは僕だけでなく、拝観に訪れた人共通らしく、多くの人が中門の日陰の部分で休んでいて、歩きまわっている人はあまりいなかった。 僕たちもしばらく、中門の日陰に入り、五重塔や金堂、その背後の大講堂を眺めていた。その建築美には、圧倒されるものがある。柱の一本、一本まで、重ねた歴史の重さが感じられ、美術的な細工がしてある。しばらく、日陰で休んでいたが、そうしていても仕方ないので、西院伽藍の中を順路に従って周った。 五重塔の中を格子窓から覗くと、中には塑像群があった。これは東西南北で、いろいろな場面を表現したものだそうである。金堂には法隆寺のご本尊が安置されている。数段の石段を上り、中を拝見すると、いくつもの仏像が安置されていた。次に、回廊を周って大講堂の中に入った。ここから見る金堂と五重塔の眺めは、美しかった。切手の構図もここからのものではないかな?と思った。大講堂には、法隆寺が世界遺産に登録された証書も展示されていた。 西院伽藍の次は、大宝蔵院に向かった。西院伽藍を出ると、僧侶の生活の場所だった東室の南端部を聖徳太子の尊像を安置するため改造した聖霊院がある。鎌倉時代に建てられたもので、これも国宝である。そして、そのすぐ横には若い僧侶が生活していた妻室と呼ばれる長細い建物がある。さらに僧侶たちが食事をした食堂(国宝)や細殿と呼ばれた倉庫を過ぎると、大宝蔵院がある。仏像や書物など、多数の貴重な宝物を集めた宝物殿である。見る人が見たら、その貴重さもわかるのだろうが、それほど知識のない僕は、ただわかったような顔をして、通り過ぎただけであった。 大宝蔵院を出て、一休みすることにした。暑さに耐え切れなくなったのである。幸いにして、休憩所があり、中に入って、冷たい飲み物を飲んだ。休憩所の中は、冷房も効いていて、やっと人心地着けたという感じだった。 休んで元気も出て来たので、東院伽藍に向かった。東院伽藍の中心になるのが、夢殿である。六角形の御堂で中を覗くと経典のようなものが、並べられていた。御堂を一周すると、経典を読んだことになるというアレだろうかと思い、とりあえず、一回りした。 お昼を過ぎ、お腹も減って来たので、駅に戻りがてら、食事をすることにした。僕は、駅までの途中にある店と思っていたのだけど、妻は法隆寺前にある食堂に入りたいという。お腹も減っているし、早く食べた方がいいと思い、お土産物屋の二階にある食堂に入った。場所柄、外国人も多く、男性の二人連れはメニューがわからず、戸惑っていた。どうするのと心配だったが、店の人は慣れているらしく、丁寧に説明をしていた。 暑さにやられているわりには食慾はあり、僕はカツ丼を、今回、暑さに強かった妻はソーメンを注文した。観光地の食堂ということもあり、あまり味は期待していなかったが、美味しく食べることが出来た。ふと、先程の外人さんの方へ目をやると、いつの間にか食べ終えていた。 昼食を終え、法隆寺駅まで戻ったが、駅前でほとんど熱中症のような状態になった。何故、こんなに暑さに弱くなってしまったのか…、やはり年ということなのだろうか?一休みしたかったので、駅に入り、ベンチに座るため、改札を通った。改札の横にトイレがあったので入り、出てくると、妻がいなかった。ホームに降りたのかもしれないと思い、行ってみたが、姿が見えない。熱さによる疲れで、探す気力もなく、ベンチに座って休憩することにした。 そのうち来るかと思っていたが、いつまで経っても来ないので、階段を上り、改札の前まで行くと妻がいて、僕の姿を見ると駅員さんに「いました。いました」と大声で叫んだ。事情が分からず訊くと、いつまで経っても、僕がトイレから出てこないので、駅前で熱中症気味だといっていたこともあり、トイレの中で倒れているのではないかと思い、駅員さんにみてきてもらうところだったという。 僕がトイレから出たとき、近くにいなかったじゃないかというと、妻はずっと同じ場所にいたという。恐らく、ちょっとしたお互いの死角に入ってしまったのだろう。駅員さんに、お礼をいいホームに降りた。さて、今日は何処まで行こうかと、考えた。できるだけ横浜に近づいておきたい。時刻表の路線図をみると、桑名あたりがよさそうに思えた。 奈良に寄って、大仏でも見学しようかと思っていたが、疲れが酷いので桑名に直行することにした。奈良から木津、木津から関西本線で桑名に向かった。途中、柘植で電車が数分停車した。ふと、隣のホームを見ると京都行きの草津線が入線していた。その列車を見て気が変わった。桑名ではなく、琵琶湖湖畔の何処かに泊りたいと思ってしまったのである。 妻を急かして、草津線に飛び乗った。琵琶湖湖畔といえば、以前、長浜に行ったことがある。時刻表の路線図をみていて近江八幡が比較的街も大きそうだし、良さそうに思えた。 草津で東海道本線に乗り換え、近江八幡には六時くらいに着いた。漠然と近江八幡に行けば、すぐに琵琶湖に出られると思っていたが、バスを使わないと無理らしい。また、思いつきで来てしまったため、見どころもよくわからない。駅の案内板の載っているホテルに電話をかけ、幸いにも部屋をとることができた。 ホテルに荷物を置き、食事に出た。少しでも琵琶湖に近づきたいと思い、そちらの方向に歩きながら、食堂を探したが、なかなかいいところがみつからず、結局、ファミリーレストランで食事をとった。ホテルへの帰り路、途中にあったコンビニで缶チューハイとおつまみを買い、ホテルの部屋でささやかな酒盛りをした。(2016.2.10) ―つづく― |