その2 8月4日 伊勢市〜熊野市 昨日は、外宮にお参りしたから、今日は内宮である。外宮から内宮までの距離は四キロで、普通は外宮前から出ているバスに乗るか、近鉄で五十鈴川駅まで行き、そこから歩くのだろうが、お金を節約したい僕とダイエットしたい妻の思惑が重なり、歩いていった。 涼しい季節なら、それほど苦にならない距離なのだが、何せ、この夏の猛暑で、朝から強い陽射しが降りそそぎ、少し歩いただけで汗が噴き出してくる。内宮までの道は、舗装されたアスファルトの歩道を歩くのだから、路面からの放熱もかなりあるようで、すぐにばててしまった。 途中のコンビニで飲料水を買い、熱中症にならないように、小まめに水分補給しながら、歩を進めていく。それにしても、僕より暑さに弱いはずの妻はいたって元気である。普通に歩いていると、置いて行かれそうになる。今のところに越してから、歩く機会が増えたため、自然と体力がついたのかもしれない。日陰を、探しながら歩き、途中、内宮行きのバスに数回抜かれ、やっと初めの目標であった猿田彦神社に着いた。 猿田彦は、古事記や日本書紀に登場する、天孫降臨のさい、道案内をした神とされる。猿田彦神社に境内には、巨木が立ち並び、立派な社殿である。女性ひとりでお参りしている人が多く、不思議に思っていると、猿田彦神社と対面する形で佐瑠女神社があった。 佐瑠女神社の祭神は、天宇受売命で天照大神が天岩窟に籠ってしまったさいに、神楽をして再び姿を現わせさせたことで知られ、また猿田彦と結婚したと伝えられている。どうも、そういったところから、この神社は良縁にご利益があるということになっているらしく、女性がよく訪れるようだ。猿田彦神社の裏側には、鬱蒼とした森を背景にして、稲穂の広がるご神田がある。 この猿田彦神社から伊勢神宮はもう目と鼻の先である。おはらい町50mという表示があったが、何処から入っていいのかわからず、とりあえず通り沿いにしばらく歩いていくと横道があったので入ると、おかげ横丁に出た。おはらい町は伊勢神宮の門前町で、その真ん中にあるのが、おかげ横丁である。どちらも、江戸時代の街並みが再現されており、一歩、中に入ると、タイムスリップしたような感覚を覚える。 ここに有名な伊勢名物の赤福本店もある。かき氷から伊勢うどん、ういろう、箸や器、干物、お土産物などいろいろな店舗が軒を連ね、ファミリーマートまで外観は板塀で瓦屋根の江戸時代の木造建築といった風情になっていて、歩いているだけで楽しい。あまりに面白く、ついつい歩みも遅くなるので、内宮に参拝した後、ぶらぶらしようということになった。 おはらい町を歩いて行くと、五十鈴川に架かる宇治橋にでる。長さ100mを超える檜造りの橋で、20年に一度架け替えられる。橋の先には、大鳥居が立ち、その背後には鬱蒼とした森林が広がっている。宇治橋を渡り、鳥居をくぐると五十鈴川に沿って砂利の広い参道が続いており、その先に山々の連なる光景がみえる。参道の両側には、端正に手入れをされた形のいい松が並び、庭園の装いである。 外宮は、木々が鬱蒼としており、神秘的な雰囲気を感じたが、内宮は、外宮に比べると格段に広く、開放感を覚えるくらいである。もっとも外宮を訪れたのは、夕暮れ時で、内宮は快晴の真昼間なのだから、そういったこともあるのかもしれない。 手水舎で、手と口を清めた後、参道に沿って歩いて行くと、荘厳な建物が現われる。神楽殿である。そこから、少し行くと、内宮の正宮がある。内宮は、天照大神を祭っている。外宮が天照大神の食事を司る神様を祭り、内宮の手前には猿田彦神社があり、まさに日本の神話を具現化したようなところである。 正宮の手前には広い石段があり、それを上り、鳥居をくぐると正宮の正面にでる。ここも外宮を同じく、敷地の中に入ることはできない。ただ、外から眺めるだけである。実は、手水舎の辺りから、僕たちの前をガイド付きの四、五人の団体さんが歩いており、僕たちもそのガイドさんから、まず左手を清め、次に右手を清め、口をゆすぎ、最後に次の人のため、柄杓を立てて柄の部分に水を流すなどということが自然と耳に入っていたのである。だから、二拝、二拍手、一拝という参拝の方法も知ることができ、無事にお参りを済ませることが出来た。 僕たちが、参拝を済ませ、石段を降りるくらいに、小学生の団体がやって来た。子供参宮団という幟をガイド役の黒い背広を着た男性陣が持っている。この暑い中、黒い背広はきついだろうと同情した。伊勢神宮は伊勢市で、最大の観光地なのだろうから、人の多いのは仕方ないが、それにしても辺りは人だらけである。子供参宮団は、自由行動になると、ほとんどの子がお守りを買いに走っていった。 参拝を終え、おはらい町の街並みと店を見ながら、ぶらぶらと歩いた。妻はペルー人の友人たちのおみやげとして、髪留めを買った。ここも、多くの人で溢れ、おまけにもの凄い暑さである。外宮から内宮まで歩いたため、Tシャツは、汗染みなどという生易しいものではなく、ほとんど全面汗が浸み込み、色が変っていた。少しでも涼もうとおはらい町通りにある食事処でかき氷を食べた。 帰りは、さすがに歩く気力はなく、伊勢神宮から徒歩で20分ほどのところにある近鉄鳥羽線の五十鈴川駅まで歩き、電車で伊勢市まで戻った。昼食は、外宮の参道にある伊勢神泉の社員食堂に入った。ここは、一般の人でも利用できる。メニューは、それほど多くなく、僕はカニクリームコロッケ定食、妻はハンバーグ定食を食べた。ごはん、おみそ汁などはセルフサービスで、何とカレーもそのセルフサービスのコナーにあり、食べ放題だった。客は僕たちと社員と思われる女性の二人組だけで、落ち着いて食事を取ることができた。 食事を済ませた後、本日の宿泊予定地の新宮へ出発した。まず、伊勢市から13時44分発の参宮線で多気に向かった。多気は田んぼと山々に囲まれたローカル線気分を存分に感じられる駅だった。新宮行きの紀勢本線の来るまで、一時間以上時間があったが駅の外に出ることはせず、駅のホームから周囲の写真を撮ったりする以外は、ホームにある空調の入った待合室にずっといた。今までだったら、一時間以上の待ち時間があれば、どんなに田舎の駅だろうけど、改札を出て駅周辺を散歩するのに、暑さに完全にやられている。 多気駅からの紀勢本線は、とても心に残るローカル線の旅になった。乗客が少なく、のんびりできたし、車窓からの景色も旅情を感じさせるものだった。こんなに、のんびりと楽しい列車の旅は青森から三厩までの旅以来だったかもしれない。新宮までは三時間半あり、僕は何もせず、うたた寝をしたり、車窓に流れる景色をみたりしていたのだが、妻はスマホで新宮のホテルを調べていた。しかし、結果はあまり芳しくなく、満室という情報ばかりである。 新宮に着けば、なんとかなると思っていたが、徐々に不安になっていった。恐らく、ネットに情報のない小さなビジネスホテルはあるだろうが、新宮に着くのは七時である。暗くなった不案内の街で、ホテルを探すことができるかどうか、心配になってきたのである。 新宮の手前で大きな街は、紀伊長島、尾鷲などもあるが、明日のことも考え、新宮に近い熊野市に宿を取ることにした。熊野市に着いたのは、六時半少し前くらいだった。駅舎を出ると、街は想像以上に寂しく、果たして宿を取れるのかと心配になった。とにかく情報を仕入れないといけないと思い、駅の中を探したが、観光案内所もホテルや観光名所の載っている案内板もみつからなかった。 足で歩いて探すしかないと思い、駅を出て周囲を歩くと、観光案内所があり、幸いにもまだ人がいた。そこで、宿泊施設の載っている用紙と付近の地図をもらった。ホテルのリストを見て、不安は大きくなった。歩いて行ける距離にあるホテルは三件くらいしなかったのである。その一件に電話をすると、あいにくシングルしか空いていないと断わられた。そして、他に二件は、満室だった。 後は街中を歩いて観光案内所のリストに載ってないホテルを探すしかない。駅に近い通りから、僕たちはくまなく街を歩くことにした。しかし、歩き始めてすぐに、これはだめかもしれないと思った。とても、ホテルや旅館のある雰囲気ではなかったのである。それでも、二件ばかり、リストに載っていない旅館をみつけることができたが、ひとつは営業しておらず、もうひとつは満室だった。こうなったら、さらに先の新宮へ行くしかないが、八時近くになってしまう。 どうしたものかと思っていたが、ふと、最初に電話したホテルはシングルがひとつ空いているといっていたことを思い出した。そこに二人泊めてもらえるようにお願いしてみようと思った。昨年の福井でも同じようなことがあり、大丈夫だったので、何とかなるかもしれないと思ったのである。 早速、電話をして、先程電話をしたものですが…と事情を話して頼むと、あっさりと何とかしましょうという答えが返ってきた。先方としても部屋を空けておくより、客を入れた方が、いいのだからちょうどよかったのかもしれない。ホテルに行くと、シングルの部屋ではなく、部屋割を組み変えてくれて、ダブルの部屋をひとつ空けておいてくれた。何でも、熊野市で高校のインターハイがあるとかで、どこも満室になっているらしい。 部屋で休憩した後、夕食を取りに街に出た。駅近くをぶらぶら歩いていると、中華料理店があったので入った。レバニラ定食と酢豚定食、それにギョウザを注文した。町の普通の中華屋さんだったが、味は美味しく、量も多かった。満足して、店を出て、その後、海の方まで散歩していから、ホテルに戻った。(2015.11.19) ―つづく― |