2015 紀伊半島旅行記


その1 8月3日 横浜〜伊勢市

 今まで紀伊半島には、一回しか行ったことがなかった。その一回も、今から二十年くらい前である。何で、そんな話になったのか忘れてしまったが、当時、勤めていた会社の同じ部署で働いていたアルバイトのKくんが、奈良県の天川村は心のきれいな人しか行けない所だと言い出した。心が汚れていると、途中で道に迷ったりして、辿り着くことができないのだという。面白そうだと思った僕は、秋の連休を使って天川村まで二泊三日のバイクツーリングをすることにした。

 確かに地図を見ると、天川村は山深いところにあり、道に迷うというKくんの話はわかるような気がしたが、いけないことはなさそうだった。一日目は国道一号線をひたすら西進し、津で昼食をとり、場所は記憶していないが、紀伊半島の何処かの海岸でテントを張った。そして二日目、道に迷うことなく、無事に天川に着いたのであるが、夕方から台風の影響で雨が降り出し、観光案内所で紹介してもらった民宿に投宿した。

 宿に入ってから、雨はますます酷くなり、暴風雨になったが、翌朝は台風が抜けて、快晴になっていた。帰りは高速を使って一気に東京まで帰る予定だった。しかし、高速に乗ると、過ぎ去ったとはいえ、台風の吹き返しの風が強く、バイクが流され、怖くてとてもスピードを上げて走れるものではなかった。一番左の車線を六、七十キロくらいで走行していたが、それは、またそれで、別の怖さがあり、パーキングエリアで一時間くらいを休憩したりしたが、あまり状況は変らず、途中、分岐で東名から中央高速に切り替えた。中央高速も風は強かったが、東名に比べるとだいぶましで、何とか家に帰りつくことができた。

 この旅は、事前に行き先である天川のことをほとんど調べていなかった。K君の話により、天川に着くことが第一の目的になってしまっていた。紀伊半島の山深いところで、女人禁制の修験道があり、紀伊山地の霊場であるというような知識は何となくあった。しかし、実際に行ってみると、確かに神社仏閣は多かったが、豊かな自然があり、アウトドアのさかんな開放的な土地柄だったので意外な感じを覚えたのだった。

 この旅の想い出は何といっても帰りの高速道路での怖さで、それはトラウマになり、その後、バイクツーリングに出かけたときなど、橋を渡っていて横風を受けると、思わず恐怖で体が硬くなってしまうほどだった。もちろん、その他、印象に残ったこともある。そのひとつが、不思議な石で、この記事を書くにあたり、調べてみたら、大峯山龍泉寺の‘なで石’だとわかった。

 この‘なで石’、木の枠の中に丸い石が入っているだが、その石はなでると軽くなり、叩くと重くなるという。始めに、木の枠の間から手を入れ、どのくらいの重さか石を持ってみると、重いが何とか持ち上げることができた。次に、石をなでてから、持ち上げてみると、びっくりするほど軽くなり、簡単に持ち上がってしまった。今度は、石を叩いた後、持ち上げようとすると、重くて持ち上げることができなかったのである。なでたり、叩いたりしただけで、石の重さが変るはずはないのだから、恐らく自己暗示によって重さの感覚が変ってしまうのだろうけど、新鮮な驚きを覚えたのだった。他に、印象に残ったのは、お寺の住職と民宿の主人、そして民宿の窓からの光景だった。

 天川に着いたときは、まだ空は晴れていたのだが、午後になってから台風の影響で曇り出し、やがて雨が落ちてきた。近くにあったお寺の本堂の軒下で雨宿りをしていると、そこの住職さんが出て来て、ゆっくり休んでいきなさいとやさしい言葉をかけてくれた。以前、北海道のある神社で同じように雨宿りをしていたとき、「出て失せろ」といわれたのとは、全く逆の対応で心に沁みた。

 さらに雨は強くなり、風も加わってきたため、僕はキャンプを諦め、宿をとることにした。観光案内所で紹介された民宿に行くと、やさしそうな年配のご主人が、柔らかい関西弁で向かえてくれた。台風の中、やってきた僕が面白かったらしく、僕の話に大きなリアクションをしながら、朗らかに笑ってくれた。夕食を取り、寝る頃には、外は暴風雨になっていた。外の様子が気になり、カーテンを開けると、圧倒的な暗闇の中に背後の山の稜線がぼんやりと見え、近くの木々は大きく揺れていた。その木の枝に一羽の白鷺が止まり、波打つ木に身を預けていた。嵐を耐えるその姿が、目に焼き付いた。二十年以上前にバイクツーリングしたときの紀伊半島の想い出である。

 早朝、六時半に自宅を出発した。一週間の旅なので、鉢植えをできるだけ、日陰に移動し、水を多めに与えた。七時横浜発の東海道線で熱海、沼津、静岡、浜松と乗り継ぎ、豊橋でいなりずしの駅弁を買い、名古屋行きの快速の車内で昼食をとった。味が濃く、旅に出たことを思わせた。名古屋から関西本線で亀山に行き、伊勢に向かうのだが、トイレに行っている間に、電車を一本逃してしまい、亀山で一時間待つことになった。暑さで、集中力を欠き、乗り継ぎの時間を意識していなかったのである。

 仕方なく、亀山駅のホームのエアコンの効いている待合室で待つことにした。いつもだったら、一時間という時間があれば、青春18きっぷの特性を生かして、改札を出て街を散策したりするのだけど、暑さのせいで、全くそういった気が起きない。今年の猛暑は、好奇心まで蝕んでしまうようだった。ただ、暑さに弱い妻は意外と元気で、ひとり駅の外に出て、亀山の街並みを写真に撮ったりしていた。

 伊勢には予定より一時間遅れの午後五時に着いた。早速、宿探しをしなくてはならない。駅で、市内の宿泊所の一覧と地図をもらい、名前と客室数から安そうなホテルを選び、電話をかけた。客室がそれほど多くなく、ホテルの屋号に個人名の入った、例えば‘ビジネスホテル むらた’などというホテルが、今まで経験上一番安い。もっとも最近では外国人客が増え、ドミトリーなどのあるゲストハウスが、最も安く泊まれるようである。しかし、昨年の夏、知らずにそのゲストハウスに泊ることになり、妻が旅行から帰ってから具合の悪くなってしまったため、今回の旅ではNGということになっていた。

 目をつけたホテルに電話をすると、運よく部屋は空いていたが、9600円とやや部屋代が高い。できれば、8000円台で泊れるところにしたかったのである。しかし、リストを見る限り、ここが底値のような気がした。あとは、足で歩いて、リストに乗っていないビジネスホテルを探すしかない。とりあえず、そのホテルは、保留ということにして、駅から外宮に向かって参道をぶらぶら歩いて行くと、付近にふたつばかりリストに載っていないビジネスホテルを見つけることが出来た。

 しかし、ふたつとも外から見えるところに電話番号が表示されておらず、直接訪ねるよりなさそうだった。そのひとつは、外宮の参道にあったが、フロントは四階で、エレベーターがかなり奥まった場所にあり、あまりに怪しい雰囲気だったので見送り、もうひとつの大通り沿いにある方にいった。二階にあるフロントで声をかけると、中年の男性がすぐに顔を出し、「暑いから、こちらにと」フロントの横にある喫茶店の方に僕たちを招き入れた。

 この喫茶店は、ホテルに泊った人たちに朝食を提供する場所らしく、僕たちがいったときには営業はしていなかった。部屋は空いているというので、料金を訊くと一人4500円、二人で9000円、プラス消費税で9720円ということだった。これだと、駅前で電話したホテルの方が若干安い。しかし、よく考えると、その料金が消費税込みかどうか、訊くのを忘れていた。どちらにしろ、この辺りが最安値の相場らしかった。顔を突き合わせて話している手前、断りづらいということもあり、このホテルに宿泊することに決め、部屋に荷物を運び、少し休憩してから、外宮に向かった。

 外宮への参道は趣きのあるいい通りだった。夕方ということもあったのか、人通りも少なく、のんびりと歩くことができた。両側には、飲食店やお土産物屋、そして旅館などが並んでいた。特に、旅館山田館は歴史を感じさせる建物だった。木造の三階建てで、クリーム色の壁に、窓枠には桜色の手すりがつき、えんじ色の庇、そして屋根には鬼瓦が鎮座していた。大正初期の創業で、現在の建物は昭和二年に増築を行ったものだそうである。その右隣には、これまたレトロなお土産物屋が二軒並んでいて、愉しくなる。

 参道を歩いていると、やがて前方にこんもりとした森が見えてくる。外宮の森で、伊勢市駅から歩いて五分くらいだ。信号を渡ると、玉砂利のひかれた広場があり、大きな松が何本も伸びている。そして、木造の橋がある。火除橋で、火災による延焼を防ぐため、外宮の周りには堀があり、それを渡るためのものである。火除橋を渡ると、手水舎があり、柄杓で水をすくい、手と口を清め、正宮に向かう。外宮は天照大神の食事を司る神である豊受大御神を祭神としており、衣食住すべてに関わる産業の守り神として崇められている。

 手水舎を過ぎると、木製の鳥居があり、これをくぐり参道の両側に樹木の生い茂る杜の中を進んでいく。その中には、平清盛が参拝に訪れたとき、冠に触れた枝を切らせたという樹齢1000年以上の清盛楠と呼ばれる楠の大木もある。辺りは、すでに薄暗く、参拝者は僕たちの他、数人しか見えない。少し歩くと、外宮の神楽殿があり、その背後に巨木に囲まれた正宮の姿が見えてくる。灯篭には、橙色の灯が灯り、幻想的な風景の中、圧倒的な存在感である。

 正宮は塀で囲まれており、中に入ることはできない。社殿は、塀越しにつま先立ちになって見るしかない。また、参拝する位置からの写真撮影はNGとなっている。正面右側は、式年遷宮とよばれる20年に一度の建て替えのための用地があり、しめ縄で囲われていた。お参りを終えた後、開運のお守りを買い、外宮を後にして、河崎に向かった。

 河崎は、勢田川を利用して、物資の集まったところで、伊勢の台所と呼ばれていた。すでに、伊勢河崎商人館は閉じてしまっただろうが、雰囲気だけでも味わいたいと思ったのである。河崎に向かう途中、星出館というこれまた歴史を感じさせる旅館があった。二階建ての木造建築で、格子窓や板張りの外壁は重厚感がある。歴史のある街を歩くのは楽しい。

 河崎に着いた頃は、かなり暗くなっていたが、積み石で護岸された勢田川は、とても風情があった。都会の川と違い、川が街の風景に溶け込み、息づいていた。川沿いに歩いて行くと、古い家並みが見えて来て、また、当時を再現した蔵などもある。物資を川から運び入れた階段なども見られ、想像以上に面白かった。夕暮れ時のそぞろ歩きは気分がいい。

 河崎をぶらぶらした後、ホテルのある外宮の参拝道まで戻り、遅い夕食を取った。遅いといっても、八時を少し過ぎたくらいだったが、入店するともうラストオーダーになりますと言われ、店内を見まわすと客は僕たちの他、一組しかいなかった。しかし、それほど急かされる感じはなく、ゆっくりと夕食を楽しむことができた。(2015.11.10)

―つづく―


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