2014 京都旅行記


その4 8月22日 福井〜長野

 9時にホテルをチェックアウトした。電車の時間にまだ間があったので、福井市内を散歩することにした。まずは、ホテルの近くにある柴田神社に行った。ここは、織田信長の武将で、豊臣秀吉に滅ぼされた柴田勝家の居城の北ノ庄城址に建てられた神社である。行ってみると北ノ庄城のミニチュアがあったりして、神社というより、街中の公園といった感じだった。もちろん、神社としての施設もあり、朝早い時間だったが、若い女性がおみくじを引いていたり、旅行者らしい中年の男性がお参りしている姿が見られた。

 次に、現在は福井県庁になっている福井城跡にもいってみた。北ノ庄城址は街中にひっそりという感じで存在していたが、福井城址はお堀もあり、立派であった。お堀に面した道路では、県庁の職員や高校生が、福井県の特産物を売っていた。朝食がまだだったので、おにぎりを買って食べた。

 9時48分発の北陸本線で金沢に向かった。電車に乗ってしばらくすると、急に激しい雨が車窓を叩きだした。福井の街を散歩していたときは快晴だったから、天気の急変である。ただ、今日はほとんど電車の中だろうから、天気はどうでもいいわけで、自分たちの運の良さを思った。

 金沢には11時半くらいに着いた。富山行きの電車の時刻には間があったので、改札を出て、駅ビルで駅弁を買い、12時10分発富山行きの北陸本線の中で食べた。ちょうど昼時ということもあったのだろうが、車内では僕たちの他に駅弁を食べている人が結構いた。今まで列車の旅をして来て、実は駅弁を食べている人にあまり会ったことがなかっただけに、うれしい気持ちになった。

 13時11分電車は富山に着き、13時17分発の北陸本線で直江津に向かった。直江津は北海道行きのフェリー乗り場があるところなので、行ったことはないのだけど、北海道をツーリングしているときに、よく耳にした地名で親近感があった。直江津からは信越本線に乗り換え、長野に17時18分に着いた。

 昨日のことがあるので、すぐに宿探しをすることにした。ただ、まだ昨日に比べると時間は早いので、駅でパンフレットをもらい、ホテルの外観を見てから決めるつもりだったが、飛び込みで入った東横インに断られ、気持ちが焦った。これがいけなかったのである。

 とにかく早く決めなければと、パンフレットに載っていた一番安そうなホテルに電話をすると、部屋は空いているといわれ、料金を訊くと個室のツインで7000円ということだったので、あっさりと決めてしまったのである。「個室のツイン」という相手のいい方にイヤなものを感じたが、どうせ寝るだけだからと深く考えず、ホテルに向かったが、その外観を見て、妻は後ずさりした。

 このホテルは潰れたホテルを改装したもので、主な客は外国人のバックバッカーらしく、ドミトリーと呼ばれる大部屋が中心だった。僕たちは3階の部屋に通されたが、中にはトイレも風呂もなく、いや、実際はあるのだけど、3階以上は水が出ない!ということで使用禁止になっていて、2階にあるシャワールームまで行かないとならないのだった、トレイも同じく2階まで下りないとダメで、さらにすべて和式だった。部屋には当然のようにテレビはなく、また、ビジネスホテルなら完備しているタオル類も一切なく、使ったシーツはチェックアウト時にフロントまで返すようにいわれた。部屋は六畳の和室と三畳くらいの板の間で、まあまあ広かったが、畳はかなり年季が入っていて波を打っていた。汚い部屋から逃げ出すように荷物を置き、すぐ散策に出かけた。

 長野といえば、まず思い浮かぶのは善光寺である。見学は明日ゆっくりするにしても、少し見ておきたいと思い、地図を頼りに向かったが、道を一本間違えてしまった。仕方なく諦め、長野鉄道で戻ることにした。長野鉄道は地下鉄で、駅のホームは古く殺風景で、暗かった。開通以来、ホームの改修はほとんど行われていないのではないだろか。電車がいったばかりということが大きかったのだろうが、ホームには僕と妻のふたりだけという時間が長く続いた。これが一人だけだったら、少し怖かったかもしれない。(2014.10.5)

―つづく―


TOP INDEX BACK NEXT