2014 京都旅行記


その4 8月23日 長野〜横浜

 朝、起きると足の脛辺りが、痒かったのでみると、ダニに喰われたような赤い痕が転々とあった。妻は用心して、シーツを体に巻きつけるようにして寝たため大丈夫だったのだけど、僕はただ敷布団の上に引いただけだったので、やられてしまったらしい。

 二階に歯を磨きに行こうと部屋を出ると、昨夜遅くにやってきた女性の二人組の部屋はすでに空になっていた。恐らく、朝早くに出発したのだろう。僕たちも早くおさらばしようと思った。

 ルール通りシーツを持って一階に降りるとフロントには誰もいなかった。声をかけても、何の返事もない。このホテルは、昨夜の女性スタッフ一人で切り盛りしているようで、忙しいのだろう。彼女が戻ってくるまで待っているわけにもいかないので、シーツをフロントの前に用意されたかごに入れ、部屋の鍵はフロントに置いてあった専用のボックスに入れ、チェックアウトした。

 長野といえば、善光寺である。昨夜は道を間違えて、一本東側の道路、長野大通りをいってしまったが、今度は地図でしっかり確認し、善光寺表参道を北上した。途中のモスバーガーでモーニングセットを食べた。通りは善光寺の近づくごとに、格子窓や蔵造りの家が増えて来て、いい雰囲気である。

 大門の信号を過ぎると、道は石畳になり、石灯籠や松が道の両側を飾り、趣きのある家々や建造物が並ぶようになる。蔵造りや格子窓の家の他に、大正・昭和初期くらいのモダン建築の建物などもみられる。善光寺の信号を過ぎると参道になり、歩行者だけの道になり、歴史を感じさせる仁王門が見えてくる。

 仁王門を過ぎると、参道の両側には土産物屋や旅館、仏具店などが並んでいる。参道をみると、山門とその背後に木々を湛えたなだらかな山の稜線があった。時間の早かったせいか、まだシャッターの閉まったままの店に多かったが、それでもかなりの人で賑わっていた。

 山門の横には土産物屋の小屋が並んでいて、白い布が軒先から垂れ下がり、品物にも掛けられていたので、まだ、開店前かなと思っていたら、どうも日差しを遮るためだったようである。山門に向かって右側には六体の地蔵が並び、そこから少し離れたところに一体やや大きめのお地蔵さんがあった。六地蔵とぬれ仏である。六地蔵は仏教の六道をあらわしており、ぬれ仏は江戸の大火を出した八百屋お七の冥福を祈って、吉三郎が立てたという伝説もあるという。六地蔵の反対側には大勧進と呼ばれている善光寺の天台宗の本坊があり、一日五回の護摩祈願を行っているそうである。

 山門をくぐると、荘厳な善光寺の本堂が目の前に現われる。本堂前の大香で焚かれている線香の煙を体のあちこちにふりかけてから、お参りをした。お参りを済ませた後、本堂を一周して、じっくりとその建築美を味わった。

 境内を歩きまわっているうちに、善光寺の北口まで来ていた。北側は表参道側に比べてずいぶんと殺風景な雰囲気だった。しかし、こちら側の方が、駐車場が多いらしく、車で来た人たちが、次々とやってくる。ベンチにデジカメを置いて二人の入った写真を撮ろうと苦労していると、そんな参拝客の男性が、「撮ってあげようか?」と声をかけてきて、シャッターを押してくれた。

 長野駅でもらったパンフレットを見ていて、妻がどうしてもいきたいという場所が二か所あった。一つは、善光寺の表参道にある創業明治三十年の長門屋さんのかき氷である。梅の好きな妻は期間限定の梅甘露のかき氷を食べてみたいということだったが、店に行くとまだ空いていなかった。あとで調べたところによると、開店は十一時十五分からであった。そして、もうひとりは織りカフェである。ここは織りの体験もやっているのだが、時間的にそれは難しいので、見学だけでもしておきたいということだった。

 店をなかなか見つけられず苦労したが、店に電話をして目印になる建物を訊き、何とか辿り着くことが出来た。中に入ると、四人の女性の体験希望者がいて、ちょうど織りの体験の始まるところだった。その様子を見学した後、駅に向かった。長野の来たからにはそばが食べたいと思い、駅に向かう道すがら探していると、よさそうな店があったので入り、二人ともランチの天ざるセットを注文した。やはり、長野のそばはコシがあり、香りもよくて美味しかった。

 12時32分発の篠ノ井線で帰路に着いた。あとは帰るだけと思っていたが、長野から六つ目の駅にあたる姥捨駅は善光寺平の眺めが素晴らしく、日本三大車窓のひとつに数えられているというのを、車内アナウンスで初めて知った。窓から見える善光寺平の景色は、雄大で素晴らしかった。(2014.10.20)

―終わり―


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