その2 8月20日 京都〜東舞鶴 ホテルで朝食をとり、9時過ぎにチェックアウトした。この旅で唯一の予定である手織りの体験教室に参加するため、西陣織会館に向かった。西陣織会館へはバスまたは地下鉄で行けるのであるが、バスは今一つ路線がわからず不安の残るため、多少駅からは歩くことになるが地下鉄を使うことにした。 今出川駅まで地下鉄で行き、今出川通を堀川通に向かって歩いた。西陣織会館は堀川通にある。会館には9時40分くらいに着いた。午前中の手織りの体験教室に予約していたのは妻一人のようで、受付を済ませるとすぐに担当者がやってきて、10時前だったが実習が始まるようだった。 見学していてもよかったのだが、ただ見ているというのも手持無沙汰のような気がして、僕は実習の終わるまで、近くをぶらぶらと散策することにした。しかし、外に出てみると盆地の暑さは半端ではなく、歩くより何処かで休憩したくなり、たまたまあった小さな公園のベンチに腰を下ろし、しばらくぼーっとしていた。 しかし、大学のサークルの仲間らしい若者が集まり、ラジオ体操を始めたり、エホバの証人のおばさんに勧誘されたりして、落ち着かなくなってきたので、公園を出て歩きだしたが、行くあてもなく、地図上で休めそうなところを探し、西陣織会館近くの晴明神社に腰を落ち着けた。ここは、陰陽師の安部晴明を祭ってある神社で、若い人たちがお参りに来ていた。 僕の座った木陰のベンチの反対側には石の短い橋があり、その橋を若い女性が何回か渡ったりしていた。後で調べたところによると、これは、堀川に架かっている一条戻橋を境内に再現したもので、結婚前の若い女性は戻ることを嫌って渡らない風習があるらしい。逆に戻って来てもらいたい人のある場合は、この橋を渡って願をかけるというから、あの若い女性も誰か戻ってきてもらいたい人がいたのかもしれない。 そろそろいい時間になったので西陣織会館に戻ると、妻はすでに手織り体験を終え、おみやげを選んでいた。僕と妻が着いたときには誰もいなかったのに、会館は外国人を含め、人で溢れていて、こんなことならずっとここにいてもさほど気づまりではなかったと後悔した。おみやげを買い、手織りの見学をして、会館を出ようとすると、ちょうど着物のショーが始まったので少し見てから会館を後にした。 今出川駅から地下鉄に乗り、京阪三条駅で降りた。八坂神社から二年坂、三年坂を通って清水寺まで行ってみることにした。市内観光はせず、手織り体験を終えたら、京都北部の天橋立や伊根の舟屋方面に向かうつもりだったのだけど、妻が市内も見たいというので、そうした。 京阪三条駅で地下鉄を降り、鴨川沿いを歩いて八坂神社に向かった。その途中にある新橋通は、古い街並みが保存されており、石畳の風情のある通りだった。道の左右には祇園のお茶屋が並び、ゆっくりと家並みを観賞しながら歩いた。お茶屋を背景にして二人の写真を撮ってもらおうと通りかかった若い男性に声をかけたら韓国人だった。 彼は日本語がうまく、お互いに写真を撮りあった。「祇園は何が、有名ですか?」と質問されたが、僕自身もそれほど詳しいわけではなく、「古くからの繁華街で舞子さんのいる料亭とかお茶屋さんとかそういうのが有名なんじゃないかな」と答えると、「こういう家のことですか?」と家並みを彼が差して訊いてきたので、「そうだね」と答えておいたが、自分でもほんとかな?とちょっと心配だった。 新橋通を歩いて行くと白川に出た。雰囲気のいい木造の橋があったので景色を見ていると、先程の韓国の若者にまた会って、お互い笑顔がこぼれた。橋を背景にまた二人の写真をお願いしてしまった。やはり趣きのある景色なので、結婚式の写真撮影が橋の上や路地で行われていた。木曽の妻籠や飛騨高山など古い街並みを求めて歩いたが、やはり京都にはかなわないと思った。どんなにがんばっても小京都は小京都である。 昼食は四条通にあるホテルの二階にあるレストランでとった。ランチ900円に釣られたのである。ランチをとった後、八坂神社に行った。道路に反対側に見えた西楼門の朱色の柱と白い壁、その背後の緑のコントラストが鮮やかで、青空に入道雲がもくもくと湧いていた。 東大路通に面した西楼門から境内に入った。参拝路を進んでいくと、青銅製の屋根の下に提灯の連なっている舞殿が見えて来て、その横に西楼門と同じく朱色の柱と白い壁の檜の萱葺き屋根の本殿がある。本殿と拝殿をひとつの屋根で覆った祇園造と呼ばれるもので、重要文化財に指定されている。本殿の荘厳さに蹴倒されたのか、いつもは10円単位でしかお賽銭を入れていなかった妻は、僕に「100円玉ちょうだい」といってきたので、あったが「ない」と答えて、10円玉を数個渡した。 八坂神社から丸山公園に出て、ねねの道と呼ばれる石畳の道に入った。ここは、秀吉の妻であった寧々が晩年を過ごした高台寺のあるところからそのように呼ばれている。この道を歩いて行くと、二年坂、三年坂があり「最も京都らしい風景」に出会える。二年坂に近づくごとに観光客の数は増えていった。それにしても、京都の暑さは半端ではなかった。熱気のこもる盆地特有の暑さで、水分補給を怠ればすぐに熱中症になりそうな程である。古い家並みの続く石畳の道は、風情抜群で正に観光地としては超一級品である。 二年坂は短く、傾斜も緩やかな坂である。記念写真を撮る人たちで、坂の階段はいっぱいだった。二年坂を上り終え、少し歩くと数人の舞妓さんがいたので、妻はその一人に声をかけて写真をとらせてもらった。 三年坂は二年坂に比べ、長く傾斜も急である。それにしても風情のある道で、常に観光客でごった返しているのだろうが、こんなところをしみじみと歩けたらなと思った。三年坂を上り終え、振り返ると素晴らしい景色が広がった。左手には古い造りの家が坂に沿って段々に並び、右手には家の屋根の向こうに緑の生い茂った山々が見えた。しばらく、その景色に見とれ佇んでいた。 それにしても尋常ではない暑さで、妻はかき氷を食べたいと言い出した。甘いかき氷など食べたらかえってのどが乾くといっても聞かず、八ツ橋発祥の店という本家西尾八ツ橋店に入り、いちごのかき氷を注文した。僕は食べるつもりはなかったが、妻の食べているのを見たらガマンできなくなり、結局、半分近く僕が食べてしまった。 かき氷を食べ終え、少し休憩した後、清水寺に向かった。三年坂から清水寺までは、割合と近く、少し歩くと清水寺の朱色の仁王門が見えてくる。本来なら三重塔が見えるはずだが、あいにく修復中らしく工事用のネットで覆われ、尖塔が見えているだけだった。 参拝路に沿って清水の舞台まで行き、雄大な風景を愉しんだ。山の中腹に朱色の子安塔が見えた。ふと舞台のせり出した部分に目をやると、外人さんがさかんに手を振っている。恐らく僕の近くに仲間がいるのだろうと辺り見回したが、それらしい人は見当たらず、たまたま目のあった僕に手を振ったのかもしれないと思ったが、もし勘違いだったら恥ずかしいので、手を振り返すことはしなかった。このあと音羽の滝にいったが、長蛇の行列が出来ており、見学するにとどめた。 妻の要望を入れた京都市内観光を終え、舞鶴に行くため京都駅に向かった。清水寺から下る茶碗坂の途中で、妻は記念の茶碗がほしいといって、キズの入った安物をひとつ買い求めた。京都駅まで歩いていくつもりだったが、それだと15時7分発の園部行きに間に合いそうもなく、バスに乗ることにした。やってきたバスは超満員だったが、強引に体を押し込み、何とか乗ることが出来た。これほど満員のバスに乗ったのは、生まれて初めてである。 バスに乗れたことにより、何とか15時7分発園部行きに間に合うことが出来、電車を乗り継いで17時過ぎに西舞鶴に着いた。終点の東舞鶴まで行くか、一つ手前の西舞鶴で降りるか迷ったのだけど、明日、天の橋立にいくには近畿タンゴ鉄道の駅のある西舞鶴の方がいいと判断したのであるが、これが失敗だった。西舞鶴には宿泊施設が少なかったのである。数軒ホテルを当たったが、すべて満室と断られてしまった。 観光案内所の人に訊くと、東舞鶴の方は海沿いにホテルが並んでいるとのことだったので、一時間後に来た電車に乗り、東舞鶴に着いたときは、もう18時半近くになっていた。西舞鶴の観光案内所でもらったパンフレットに載っている安そうなホテルに電話をかけ、5件目でようやく空き部屋がありますといわれたときは、ほっとした。やや、料金は高かったが、部屋に入ると海の見える部屋で、この眺めだったら仕方ないと思うことにした。部屋で少し休憩した後、夕食をとりにすっかり暗くなった東舞鶴の街に出た。 このくらい規模の街だと夕食をとるのにちょっと苦労する。というのも、僕たちはお酒でなく、食事をメインにしたいからだ。ある程度の規模の街であれば、洋食のレストランや中華、或いは定食中心の日本的な食堂など選択肢はいろいろとあるのだけど、小さな街だと居酒屋ばかりということになり、東舞鶴もそんな感じで、食事ということになるとラーメン屋があるだけだった。仕方なく、ラーメン屋でチャーハンと餃子を注文し、この日の夕食にした。(2014.9.6) ―つづく― |