2014 京都旅行記


その1 8月19日 横浜〜京都

 一週間の夏休みを取ることを決め、さて、何処に行こうかと考えていたら、妻から‘手織り’を体験できるところがいいという意見が出た。僕の乏しい知識では日本で‘手織り’といえば、東の桐生と西の西陣しか思い浮かばず、桐生は群馬県だからいつでもいけるような気がして、旅の行き先は京都に決まった。

 実際に手織りの体験のできるところがあるかネットで調べてみたら、西陣織会館で体験コースをやっていることがわかり、「前日までに予約が必要」となっていた。僕たちはいつものように青春18キップで普通列車の自由な旅をするつもりだったから、前日予約という縛りは重い制約になってしまう可能性もある。

 いろいろと考えて、一番いい方法は初日に京都まで行ってしまい、翌日の午前中の体験コースに参加することだと思った。京都市内に宿をとってしまえば、そこから上京区にある西陣会館までの時間は容易に計算できる。問題は普通列車で横浜から京都まで一日で行けるかどうかだが、時刻表を買ってきて調べてみると、朝早く家を出なくてはならないが、意外と早い時間に京都に着けることが分かった。

 19日、5時に起床して、朝食をとった後、家を出発した。7時00分横浜発の東海道線に乗り8時39分沼津着、その後8時42分沼津発の東海道線で10時51分浜松着、11時3分浜松発の東海道線で11時37分豊橋着、11時51分豊橋発の東海道線の快速で13時16分大垣に着いた。昼食を取るため、ここで途中下車して、駅の外に出た。

 せっかく大垣に来たのだから、市内を少し見学してみたいし、大垣城も見てみたい。駅にあった周辺の地図をみると、お城までは近そうなので、行ってみることにした。駅前からアーケードに覆われた商店街が真っ直ぐ伸びていて、その途中に大垣城はある。アーケードの商店街は、昭和四十年代といった趣で、味わい深いのだけど、若者はあまり寄りつかないだろうなという感じで、人通りは少なく、老人ばかりといった印象である。ただ、歴史のある街なので、伝統のありそうないくつかの店舗も見受けられた。

 歩いて10分足らずで、大垣城に着き、東門から城内に入った。大垣城といえば、関ヶ原の合戦のとき、石田三成が入城し拠点になったところだが、観光客は僕たちの他には二、三人しかいなかった。天守は、昭和34年に再建されたもので、現在は資料館になっている。当時の規模はどうだか知らないが、現在は城としてはこじんまりとしていて、木々の茂った静かな空間があった。のんびり静かな時間を過ごしたいときは、いい場所だと思った。東門の前にはお城街という飲み屋の集まった路地があるが、寂れていて営業している店は少なそうだった。

 昼食をとるため、アーケード街を歩いて駅に戻った。駅前に感じのよさそうな食堂があったのでのぞいてみたら、ややお値段高めだったので止めて、駅ビルの中にある焼き鳥とそばの店に入った。親子丼とそばのランチ900円に惹かれたのである。そばはいくつかのパターンから選べる形式になっており、僕はとろろそば、妻は梅おろしそばにした。親子丼、そしてそばは特に美味しかった。

 食後、妻は西陣会館に手織り体験の予約の電話を入れた。大垣まで来てしまえば、余程のことのない限り、今日中に京都に着けることは確実になったからである。幸いにして、翌日の10時からの予約を取ることが出来た。

 14時37分大垣発の東海道線で15時12分米原着、15時28分米原発の山陽本線で16時36分京都に着いた。京都市内に来たのは、中学校のときの修学旅行以来である。修学旅行のとき、新幹線の車窓から見えた京都の街並みにがっかりした記憶がある。これは僕だけでなく、多くの生徒たちから落胆の声が上がっていた。僕たちは、時代劇に出てくるような古い街並みをイメージしていたのであるが、新幹線の車窓からみた京都はビルばかりで、失望してしまったのである。

 京都駅の改札を出て、さてどうしようかと戸惑った。まずはホテルを探さないといけないが、右も左も全くわからない状況で、南北自由通路をうろうろするばかり、時間だけが過ぎていった。さすがに京都だけあって外国人旅行者が多く、彼らまずは観光案内所に入っていった。僕たちもそれにならい、そこで京都市内の地図を貰った。それを通路で広げて眺めても、今一つ感が掴めず、こんなことならガイドブックを買い、前もって勉強しておくべきだったと後悔した。

 結局、30分近くうろうろして、しびれを切らせた妻が観光案内所で貰った地図に載っていたホテルの電話をかけたところ空室があり、宿泊費も7200円と安かったので、あっさりと一夜の宿は決まった。観光案内所で手に入れた地図をたよりに、京都タワー近くにあるホテルに向かった。その途中の旅館街という通りがあり、安い宿が集中しているような感じを受けたが、家に帰ってから調べてみたら、そうでもなかった。

 駅から電話したホテルはすぐに見つかった。ホテルの玄関前には数人の外国人が屯していた。駅でも多くの外国人がいたし、京都は国際的な観光都市であるということを実感した。ホテルは玄関で靴を脱いで上がる形式で、若くて優しそうな男性がフロント業務をしていた。妻が朝食を確認したところ、素泊まりということになっていますといわれ、朝食はつけられますかと訊くと、大丈夫だという。当然、料金が変わると思い、確認すると、サービスしますといわれた。フロントには朝食400円という張り紙も見えたので、本当にサービスしてくれたようである。最上階に展望風呂があり、12時まで入浴できるといわれた。

 鍵をもらい部屋に入ってみたが、悪くはなかった。ただ、ユニットバスは小さく、最上階の展望風呂を利用と思った。一休みしてから、陽の陰って来た京都の散策に出た。妻は祇園に行ってみたいといったが、恥ずかしながら、僕は祇園がどの当たりなのかもよくわからず、地図で調べて八坂神社の近くらしいということがわかった。

 ホテルを出て、鴨川沿いを歩いてまずは三十三間堂に行ったが、拝観時間を過ぎてしまっていたので、近くにある豊国神社に向かった。豊国神社の前の道路はやたらに道幅が広く、周辺は間口が狭く奥行きのある独特の家が立ち並んでいて、うれしくなった。

 豊国神社の前の通りを歩いて行くと、八坂通に出た。高級料亭が並んでいて、独特の雰囲気のある通りである。店の前に出されているお品書きを見たが、とても気軽に入れるような金額ではなく、見学するにとどめた。

 八坂通を上っていくとバス通りに出た。しばらくバス通りを歩き、花見小路通に入った。ここは石畳の道で観光客がいっぱいいて、暗くなった祇園の街並みにさかんにシャッターを切っていた。道の両側には料亭が並んでそれぞれに提灯の灯りが温かくきれいだった。古い街並みの所々に灯る提灯の灯りは幻想的で、夢の世界に迷い込んだかのような気分になった。(2014.9.1)

―つづく―


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