2012 飛騨高山・金沢旅行記


その五 八月十日 松本

 敦賀から松本にいくルートは二つある。ひとつは北陸本線、東海道本線と乗り継いで名古屋に出て、そこから中央本線でいくルート、もうひとつは北陸本線で糸魚川まで行き、そこから大糸線を使うルートである。どちらかといえば日本海を見ながらいける後者のルートで松本まで行きたかったのだけど、時刻表で調べてみると、よほど朝早く出発しない限り、松本に着くのは二十時近くになってしまうため、前者のルートでいくことにした。

 敦賀九時二十三分発の北陸本線に乗り、近江塩津で乗り換え、米原まで行き、そこから東海道線で大垣を経由して、名古屋には十二時過ぎに着いた。中央本線のホームで駅弁を買い、十二時三十二分発の中津川行きに乗り込み、中津川には十三時四十五分に着いた。松本行きが出るまで四十五分くらい間があるので、中津川の街をぶらぶらしようかと思ったが、あまりの暑さに止めて、冷房のきいた駅の待合室で過ごすことした。この日の暑さは尋常ではなかった。この旅行期間中、最も暑い一日だったのではないだろうか?

 十四時三十二分発の松本行きに乗った。木曽谷に沿って走る中央本線の車窓からは、深い山々の間を縫うように進んでいく様子がわかり、木曽の山々に圧倒される。深い緑に覆われた山々や、深く刻み込まれた渓谷を見ていると、日本の自然の豊かさ力強さに心が動かされた。十六時四十三分、列車は松本に着いた。さあ、ホテルを探さなくてはならないが、駅に多くの登山客を見て、これはまずいかもしれないと迂闊にも始めて思った。

 良く考えてみれば、松本は上高地や乗鞍高原の観光の基地として、最適な位置にある。松本の安いビジネスホテルに宿泊して、上高地に日帰りで遊びに行く人も多いのではないだろうか?駅を出て、ガイドに載っていた安い何軒かのホテルに空室の確認をしたが、何処も満室と断られてしまった。試しに一万円を超えるところに電話をして、確認すると部屋は用意できるといわれた。

 これで、何とかなると僕は思った。ホテルは何処も満室というわけはなく、安くて知名度のあるところから、埋まって来ている。個人経営の安いビジネスホテルを、足を使って探せばいい。しかし、それには市内を歩き回らなくてはならない。陽が暮れて来ているとはいえ、依然と街中は暑い。それに妻は長い距離を歩くのは問題ないが、素早く歩くのは苦手で遅れがちになる。僕は妻に駅で待っているようにいい、ひとりでホテルを探すことにした。

 駅から出発して、碁盤の目を描くように、通りをひとつひとつ歩き、見つけたホテルに電話や飛び込みで空室があるかどうか訊いたが、何処も断られた。いかにも貧相なビジネスホテルに満室ですといわれたときには、さすがにダメかと思ったが、通りを挟んだその目の前にガイドに載っていたホテルがあった。ここは一万円以下のところだったが、何故か電話はしていなかったのである。

 結構立派な外見だったので、これはだめだなと思いながら、「ふたりなんですが、ダブルかツインの部屋、本日空いてますでしょうか?」と訊くと、あっさりと「空いてます」といわれ、あっけなくホテルは決まった。

 ホテルの部屋で休憩した後、薄暮の街に繰り出した。昼食は小さな駅弁ひとつだけだったので、お腹が空いてどうしようもない。幸い、ホテルの一階は野菜にこだわった食堂になっていたので、そこでふたりとも豚ロースの照り焼き定食を食べた。醤油、みりんで味付けされた豚肉は美味しく、野菜もこだわりがあるだけに、いいものを使っているようだった。

 お腹も満たされ、まずは中町通りに行った。中町通りは白壁となまこ壁の入り混じった蔵の並ぶ古き松本の景色の見られる通りで、伝統工芸の店などが軒を連ねている。時刻が遅かったため、飲食店以外の店は閉まっていたが、景色を見ながら歩くだけでも、十分に楽しめる。

 中町通りの路地を曲がり、女鳥羽川に出ると川沿いの店がライトアップされて、美しい景色をつくっていた。川を渡ったところにある縄手通りの店々である。縄手通りは、四柱神社の参道して発達したそうで、飲食店、駄菓子屋、お土産物屋、骨董屋などが並び、歩行者天国ということもあり、そぞろ歩きが楽しめる。

 夜の松本城もいいのではないかと、松本城にも行ってみた。人も少なく、幽玄な雰囲気の中、お城は所々ライトアップされ、雄大な姿を見ることが出来た。たくさんあるベンチのひとつに座り、暗闇に浮かびあがる松本城を眺めた。ホテルがとれなかったら、ここで野宿してもよかったなという気がした。お城を一回りしてみようと、妻と時計回りに遊歩道を歩いていると、花火を打ち上げる音が聞こえた。実は少し前から、聞こえていたのだけど、肝心の花火が見えなかったのである。歩きだして、ほぼ九十度くらいまできたとき、松本城の天守の後に花火が見えた。気づくと、その辺りのベンチには多くの人が陣取り、花火を楽しんでいた。妻と僕もその場に佇んで、次々と打ち上げられる花火を見ていた。(2012.9.15)

―つづく―


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