その四 八月九日 敦賀 十時発の北陸本線に乗り、敦賀に向かった。途中、福井で電車を乗り継ぎ、敦賀に着いたのは一時だった。今回の旅は高山と金沢が中心で、その他のことはあまり考えていなかった。敦賀を選んだのは、以前に一度訪れたことがあり、懐かしい気持ちがあったからである。その時の印象は寂れた地方都市という感じで、何ともいえない安らぎを覚えた記憶がある。 駅から出て、敦賀の街を眺めると、僕の訪れた二十年前に比べると、多少、整備されたような感じだったが、それほど変わっていない気もした。当時は夕方に着き、ホテルを探すのに苦労して、やっと飛び込みで泊れたのだが、今回は駅前から見えるホテルに電話して空室の確認をすると、空きがあるということであっさりと決まった。まだチェックインには早いが、荷物を預けて、早速敦賀の街を歩くことにした。 まずは昼食ということで、ホテル近くの海鮮料理の店に入った。どれも値の張るものばかりで、昼からあまり贅沢をすることもできず、ふたりともこの店で一番安いおろしそばを注文した。そばの上に辛味大根のおろしの乗せられたもので、辛いのでお子さんは注意してくださいという但し書きがメニューにあった。 辛味大根は確かに辛く、慣れない妻は苦手な様子で、「何で辛いの?」と僕に訊いてきたので、「そういった種類の大根なんだ」というと、何故、それをそばに上に山盛りにしているのか不思議がっていた。昔から辛味大根はそばの薬味としては最適とされ、鼻に抜けるほどの辛味がそばの風味を引き立てるというが、僕もこの辛さはちょっと苦手だった。 お腹もまあまあ満たされたので、街歩きにいった。敦賀は駅前から続く、長いアーケード街がある。その全長は二キロにも及ぶそうだけど、活気は全くといっていいほどないというか、人がいないのである。アーケードの端から端まで見渡しても、ひとりもいない。地方都市で商店街がシャッター商店街になっているところは珍しくなく、敦賀もそれに近いが、開いている店も結構ある。それにもかかわらず、人がいないのである。或いは、この暑さで外に出るのを控えているのかもしれないが、不自然に思えた。 そもそも、敦賀は観光するところがあまりない。銀河鉄道999や宇宙戦艦ヤマトのキャラクターのモニュメントが街中に立っているが、それを目当てにくる観光客はあまりいないように思う。しかし、観光名所が少ないというのは、あまり観光客が来ないということだから、人の少ない街でのんびりしたい僕にはうってつけというわけなのだ。 かといって見るところが全くないというわけではない。僕たちはそのうちのひとつ金ヶ崎城跡に向かった。長いアーケード街が終わり、道の両脇に桜が植えられているだだっ広い道路を歩いていると目の前に銀色の楕円形をした建物が見えてきた。きらめきみなと館といい、各種イベントに利用されるらしい。きらめきみなと館の横には帆船の帆をイメージしたような北前船のメニュメントがあり、板張りの広場になっていて、休憩することができる。敦賀湾が見渡せ、とても気持ちいい場所である。 敦賀湾沿いの道を歩いて行くと旧敦賀港駅舎の歴史ある建物がある。ここは現在、鉄道資料館になっている。ここから海沿いは金ヶ崎緑地になっていて、公園と第二次世界大戦時のユダヤ人難民の敦賀上陸の資料と杉浦千畝氏の命のビザを展示している敦賀ムゼウムがある。敦賀ムゼウムの道路を挟んだ反対側には赤レンガ倉庫があるが、中に入ることはできず、ただ外観を見るだけである。赤レンガ倉庫の横の道を歩いて行くと、大きな鉄工所があり、そのわきから金崎宮と金ヶ崎城跡に繋がる道がある。 石段を上っていくと、金崎宮に行き当たる。本殿の前には舞いを奉納するための舞台があり、縁結び・恋愛成就にご利益があるということで、若い女性やカップルの参拝者の姿がちらほら見受けられた。金崎宮から案内板にしたがって金ヶ崎城跡に向かった。ここからはハイキングコースといった感じの山道だが、それほど傾斜もきつくないため、気持ち良く歩ける。 途中、鴎ヶ崎という開けた見晴らしのいい場所からは、敦賀湾と敦賀港を一望することができる。海からの風が気持ち良く、それほど暑さを感じない。先に進むと、やや傾斜もきつくなり、肥満気味の妻は息が上がり、休み休み登っていたが、それほどきついということもない。坂を登り切ったところに、金ヶ崎城跡の石碑があり、歴史上名高い金ヶ崎の戦いで信長、秀吉、家康が勢揃いの地とされている。 さらに先に行くと月見御殿のあった場所がある。下は断崖絶壁で、見晴らしは素晴らしくいい。よく晴れた日には、越前岬も見えるそうである。真下の海岸には巨大なセメント工場があり、敦賀の今と昔を感じさせてくれる。 ハイキングコースは周遊できるようになっていて、帰路は別の道を歩くことにする。こちらの方は南北朝時代の史跡が残っている。三の城戸、二の城戸、一の城戸と歩き、再び金崎宮に出る。炎天下の下、気比の松原まで行こうとしたが、さすがに疲れてしまい、妻が熱中症気味だったので、魚問屋街までで引き返し、ホテルに戻った。 チェックインを済ませ、部屋で休憩した。ホテルの従業員の話だと、本日は湿度が低く、過ごしやすいということだった。そういわれてみれば、風は爽やかだったし、カンカン照りの中、あれだけ歩けたのもカラっとしていたからかもしれない。 一時間くらい休んだ後、夕食をとりに街に出た。六時を過ぎていたが、まだ十分に明るくかったので、氣比神宮にいくことにした。氣比神宮の鳥居は、奈良県の春日大社、広島県の厳島神社と並んで日本三大木造大鳥居のひとつに数えられている。朱色に塗られた鳥居は雄大で、大鳥居越しに暮れゆく敦賀の街を見ていたら、明けては暮れる人々の暮らしを俯瞰しているような気分になった。境内には、芭蕉の句碑もあり、石像が立っている。 さて、いよいよ食事であるが、なかなかいい店が見つからなかった。地図上ではいたるところに食事処があるのだけど、閉まっていたり、値の張る店が多かったのである。結局、ホテルに近い定食屋に入ったが、ここは地元の常連さんの集まる店らしく、来る客来る客みんな知り合いらしく、何も注文しないうちから酒が出されたり、目玉焼きだけを注文する人もいた。ふたりとも野菜炒め定食を注文したが、ここも高山と同じく中華風ではなくて、味付けは塩・コショウの野菜の鉄板炒めという感じで、肉が一切れしかなかった。 食事を終えて帰るとき、店の従業員だけはなく、お客さんからも「ありがとう。また来てな」といわれ、この店を選んだことを少しだけ肯定的に思えた。(2012.9.9) ―つづく― |