その三 八月八日 金沢 ホテルで朝食をとり、九時過ぎに街歩きに出発した。まずは、ホテルから遠い主計町、ひがし茶屋街に向かった。百万石通りを浅野川に向かって歩き、菓子文化会館わきの路地へ入ると神社につきあたる。その神社の境内に入り、社殿を右に回り込むと、景色のいい坂道がある。ここが暗がり坂とよばれる坂で、かつての花街主計町への入口である。 暗がり坂は、昔日への扉のようで、坂を下り終えると細やかな格子の家並が、突然始まる。辺りはひっそりと静まりかえり、不思議な感覚に囚われる。地元の住民の抜け道にもなっているようで、ポツポツと人が通る。主計町の路地を歩いて、浅野川沿いの道に出ると、ここも細かい格子の家並が並び、美しい風景だった。 浅野川にかかる木製の橋、中の橋を渡り、ひがし茶屋街へ向かう。ひがし茶屋街は、芸妓を呼んで、琴や舞い、歌謡、茶の湯など遊芸を楽しむ格式高い社交場で、遊女はいなかったそうである。 古い家並みでも高山の素朴さに比べ、金沢のひがし茶屋街は花街の面影が色濃く残っており、華やいで何処か色っぽい雰囲気がある。短い庇がとても粋である。まだ、午前の早い時間帯だったが、多くの観光客が、そぞろ歩きを楽しんでいた。お茶屋は、かき氷屋やそば屋、土産物屋などに顔を変え、彼らを向かい入れていた。 ひがし茶屋街をぶらぶらした後、足を伸ばして東山寺町を散策した。ここは狭い路地が入り組み、地図が無ければ、迷ってしまいそうなところである。実際に地図を持っていた僕たちも同じところを何度も通ったりした。印象的だったのは全性寺の山門である。二階建ての立派な造りでどういう意味か大小のわらじがたくさん括り付けられていた。 道に迷ってウロウロしていたら、路地で休んでいた老人に話しかけられた。何でも、階段を上がったところにある寺に金沢三大大仏のひとつがあるから見て来いという。彼が指差すところに、大仏が安置されているらしい社殿があり、太陽が西に傾くとその天窓から差し込む陽の光が、大仏のお顔を照らす構造になっているというのである。 それほど気は進まなかったのだけど、老人の手前、妻とふたり石段を上り、境内に入って、大仏の安置されているという社殿にいってみたが、扉に鍵がかかっていて肝心の大仏を見ることはできなかった。 仕方なく、石段を下っていくと、老人の数が増えており、今度は別の人が見てきたかと訊いてきたので、鍵がかかっていて見れませんでしたというと、お寺の住職のことを怒りだした。「鍵を開けてみんなに見せれば、人も増え、お賽銭を上げる人も増えるだろうに、全くしょうがないヤツだ」というわけである。周りにいた老人たちも同意し、気勢が上がり始めたので、揉め事の起きる前に退散することにした。そのときは、そのお寺の名称はわからなかったのだが、後で調べてみると、蓮昌寺という寺だったようである。 そろそろお腹も減ってきたので、ひがし茶屋街を通って、浅野川大橋を渡り、歩いていると雰囲気のよさそうな喫茶店があったので入った。禁煙室という屋号で、中はかなりレトロな雰囲気である。僕はスパゲティ、妻は焼うどんを注文した。料理が出てきて食べていると、店のおかみさんが話しかけてきた。おかみさんによると彼女のご主人、マスターはもともと東京でサラリーマンをしており、脱サラをしてその退職金でこの店を買ったのだという。当時で一千万したらしいが、旦那さんは大手企業の社員だったため、たくさんの退職金が出たそうである。 僕たちは偶然入ったのだが、この喫茶店は有名な店らしく、雑誌に紹介されたこともあるといい、その雑誌を見せてくれた。その記事を見ると、やはり、レトロな雰囲気の喫茶店として紹介されていた。 昼食をとり終えた後、兼六園にいった。兼六園は金沢でもっとも有名な観光地であろう。水戸の偕楽園、岡山の後楽園と並ぶ日本三名園のうちのひとつで、命名の由来は宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望の六勝を兼ねていることからきているという。 桂坂口から入場したが、団体さんも含め、すごい人の数に圧倒された。眺望台からの眺めは素晴らしく、また霞ヶ池と蓬莱島の景色も美しい。曲水という水路に沿って歩き、芭蕉の句碑がある山崎山に上った。この小山の上には東屋があり、涼しい風が吹き抜けていく。木の葉の奏でる音を聞きながら、しばらくの間、朝から歩きまわって疲れた心と体を休めた。ここはあまり訪れる人もいないようなので、兼六園の中でも穴場かもしれない。 園内を概ね一周し、時雨亭でお菓子とお茶を頂きながら、しばし休憩した。お茶を喫し終えて、縁側にでてぼんやり中庭をみていると、白鷺が一羽、庭の池に降り立った。縁側で休んでいた人たちは一斉にカメラを向けたが、当の白鷺は泰然自若としていて、羽を広げたりとポーズをとっているようだった。 兼六園を出た後、この日、最後の目的地であるにし茶屋街に向かった。時刻は四時を回り、一日中歩きまわっていたため、足はかなり重く、さらに夏の日差しが容赦なく照りつけてくる。何とか犀川を渡り、にし茶屋街に足を踏み入れた。 にし茶屋街はひがし茶屋街に比べ、だいぶ規模は小さく、ひとつの通りの百メートルくらいである。そこに、格子の趣のある家が十軒ばかり並んでいる。時刻が遅かったため、店はほとんど閉まっており、観光客もあまりおらず、やや寂しい感じだった。西検札所だったライトブルーの洋館がいい雰囲気だった。 この後、旅の出発が早朝だったせいか、妻は下着を数枚、家に忘れてきてしまい、足らなくなったので、買いに行くことにした。にし茶屋街から、金沢の中心街に戻りながら、探していると、目的のモノが手に入りそうな店があったので、妻は買いに行き、僕はその近くの中央公園で待つことにした。 中央公園にはいくつもベンチがあり、外国人の観光客がビールを飲みながらくつろいでいた。僕もベンチのひとつに座ると、一日中歩き回った疲れが出てくるようだった。そのうち、妻も買物をすませて合流し、しばし、ベンチでのんびりした。 夕食をとる店を探しながら、中央公園にほど近い尾山神社に寄った。三階建てのギヤマン張りの楼門は神社といいながら、西洋的な雰囲気もあり、不思議な感じである。最上階のギヤマンが、西日をうけて鮮やかに輝いていた。 夕食は尾山神社近くのそば屋に入った。そば屋といっても、魚料理もある店で、僕と妻は鰆の味噌焼き定食を食べた。僕たちの隣の席では、高校生と思われる女の子ふたりが、おそばを食べ、奥では何処かの会社の宴会が行われているようだった。味噌に漬けこまれていた鰆が美味しく、手打ちの冷たいそばもコシがあってよかった。(2012.8.29) ―つづく― |