下北・津軽旅行記 その4

―2002年10月10日〜15日 青森旅行―


津軽半島
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 この旅に出てからの朝食はカレーパンとメロンパンの繰り返しだ。朝起きてすぐに食欲を呼び起こすのはこの二種類のパンが最適だと思われたのだが、ここにきて朝一番に油っぽいカレーパンを食べるのはちょっときついことだと感じるようになった。それで昨日もメロンパンを買ったのだ。したがってこれからの僕の朝食はメロンパンが主流になるだろう。メロンパンがお店に売っていない場合はまたカレーパンの復活もあるかもしれない。

 規則正しい生活をしているせいか、ほとんど朝目覚める時刻は同じになる。まずはトイレに行きたいのだが、部屋にトイレがないため一階下の三階まで下りないといけない。さらに顔を洗うには洗面所がある二階まで行かないとならないのだ。やはり部屋にトイレくらいはついてないと不便このうえない。効率のいい方法を考えたが、とりあえずトイレに行きたかったので三階まで下りた。部屋に戻り、朝食のメロンパンと缶コーヒーを取り、その後二階まで下りて洗面を済まして、もう一回トイレに行った。これで朝の準備は完了した。

 だいたい昨日と同じ時刻にホテルを出発した。国道280号で津軽半島を北上した。青森市の中心を抜けると田舎の住宅街といった風景がしばらく続く。そういえば今日は世間でいう三連休の中日の日曜日だ。観光地は何処も混雑しそうな予感がする。天気も雲がほとんどないくらいの快晴で車の中にいる限り半袖でも大丈夫なほど、陽の光が入ってくる。市街地を抜けると目の前に陽の光をいっぱいに受け、それをきらきらと反射しいる青森湾がいっぱいに広がる。

 蟹田町、平舘町と街中に入ると道は狭くなり、ちょっと走りづらくなるがそれをすぎると道幅も広がり気持ちよく走れる。やがて道は崖をトレースするようになり、高野崎に着いた。ここはキャンプ場もある津軽半島の中でちょっと突き出ている岬だ。灯台が立っている以外、特に見るところもないのだけど、津軽海峡を眺める海の広がりは雄大である。僕はここに車を止め一休みすることにした。

 時計を見るとまだ九時前のため、観光客の数組しか居らず快適だ。お土産物屋さんもまだ開いていない。海からは心地いい風が吹いてくる。ふと岩礁で覆われた海岸線をみると遊歩道にようなものが付いていて、それが岩礁の合間にも走っておりふたつくらいの橋が岩礁と岩礁の掛かっていた。これは以前に来たときはなく、最近設置されたものらしい。どうも岩礁の突端まで行けるようで、豆粒のような人影が何人か見えるような気もする。僕はそこまで行ってみたくなり、遊歩道を歩いた。

 崖の上では心地よかった風が遊歩道を歩いて海に近づくにつれて強風になり、強い潮の香りを運んで来る。海上ではかなりの強風が吹いているものだと実感した。また、波が岩礁を洗っている部分では岩礁の表面に藻のようなものがついているのか、大変滑り易く下手をすると転びそうになる。

 橋を二つ渡り岩礁の突端までいくと釣りをしている人が数人いて、すでに魚篭の中には数匹の魚が泳ぎまわっている人もいた。突端はもうかなりの強風で、さらに潮の香りも強烈だった。これはあまり長いはできないと思い、早々に引き上げることにした。崖の上まで戻ると風はまたやさしくなり、僕を包んだ。それにしてもそんなに距離が離れているわけではないのに、これだけ表情が違うというのは面白い。車に戻った僕は竜飛崎を目指した。ここから竜飛までは近い。

 三厩という小さな漁村から国道339号に別れを告げ、竜泊ラインに乗ると、それまでの海岸線の道から急に山道に変わる。三厩は現在、何ということは鄙びた漁村だが、江戸時代に北海道に渡るための出航地だったようだ。時間があればこの辺りをのんびりと散策するのもいいかもしれないと思った。

 竜泊ラインを登り切るとそこに竜飛がある。竜飛に来るのは二回目だが、以前なかった道の駅ができていたり、若干雰囲気が変わったかもしれない。僕は竜飛崎の駐車場に車を止め、まず階段国道339号を見に行った。階段国道とはその名前の通り階段状になっている国道で当然車では通行できず、昔の通行の難所がそのまま観光スポットになってしまったような場所だ。

 以前来たときより、かなり整備が進んだようで、寂しげな風景は消え、どちらかというとロマンチックな雰囲気が漂っていた。階段も化粧岩が使われていたり、街灯などもシャレていて、夜、ここを恋人といっしに歩いたらムード満天なのではないだろうか。ここを下りきるといきなり民家の軒先に入ってしまうような感じの道になるのだが、この狭い路地も国道なのだ。その狭い路地を抜けると、前に三厩で別れた国道339号に繋がっていて、あのまま三厩で国道を走り続けると車で竜飛崎に行くことができず、この階段国道の下側にでて行き止まりになってしまう。そうなるともう車では何処にも行けなくなってしまい、また三厩まで戻って出直さないといけなくなる。

 海岸線に走っている国道の突き当たりには太宰治を記念した公園があって「津軽」の一節が石に刻み込まれている。「ここは本州の極地である。この部落を過ぎて路はない。あとは海にころげ落ちるばかりだ。路が全く絶えているのである。ここは本州の袋小路だ。読者も銘記せよ。諸君が北に向かって歩いている時、その路をどこまでも、さかのぼり、さかのぼり行けば、必ずこの外浜街道に至り、路がいよいよ狭くなり、さらにさかのぼれば、すぽりとこの鶏小舎に似た不思議な世界に落ち込み、そこにおいて諸君の路は全く尽きるのである」と太宰は小説「津軽」の中で書いている。現在の津軽はこれに比べればかなり明るい印象を受けるが、ここがどんづまりといった雰囲気は漂っている。

 海岸線の国道338号を公園と反対側に歩いていくとその横には明るい海が広がっている。道と海の間には階段状になっていて、そこにおばあさんがちょこんと座って海を眺めていたり、ゆっくりと散歩をしている姿を見ることができた。僕もそのおばあさん達に倣って、海を横に見ながらぷらぷらと散歩したり、そこに腰掛けて海をぼんやりと眺めたりした。こうしていると貴重な時間がゆっくりと流れているような気分になり、とんでもない贅沢を楽しんでいる気持ちになる。こんなところで日がな一日、本でも読みながらぼんやりと過ごしたいと思ってしまう。もちろん、そんな優雅な生活は今の僕にはできはずもないので、ただ夢想するだけだ。

 しばらく経ってから、また竜飛の階段国道を上り、今度は竜飛崎に行ってみた。竜飛崎には灯台があり、それが公開されていて、無料で見学できるようなので中に入ってみた。中には灯台で使われているレンズだとかの用具が置かれていて、狭い螺旋状の階段を上るとライトが照らされる巨大レンズのところに出て、そこから外に出ることができた。その場所からは津軽海峡を隔てて北海道がかすかに見ることができた。僕は北海道によく行くので故郷がそこにあるような懐かしい気分になった。

 灯台から出て竜飛崎の突端の方に行ってみたけど、もうそこにはかなりの観光客が列をなして記念写真を取る順番を待っていたりして、あまり雰囲気がよくなかったので駐車場まで引き上げた。駐車場も来たときはそんなに車が止まっていなかったが、十一時を回った今ではもう立派な観光所になっていた。お土産物屋さんも全開でしきりに呼びこみをしている。絵葉書が欲しかったので中に入ってみたがそれらしいものがないので、車に戻ってこの混雑した場所から退散した。

 幸い、道の駅の駐車場にはあまり車がなかったので、そこに入り辺りを見回すと食堂があったのでちょっと時刻は早かったが入った。客は僕の他は若いアベックだけで、竜飛崎の混雑状態からはちょっと寂しい感じがしたが、落ち着けるしちょうどいい。僕はメニューを見てイカ焼き定食を注文した。上のお土産物屋から竜飛の特産はイカだとわかったからだ。

 値段は1000円とちょっと高かったが、イカがまるまる一杯焼かれていてそれにご飯、海草の入った味噌汁、モズク酢、ポテトサラダ、漬物が付いていた。イカはかなりプリプリしていて食べ応えがあり、しょう油を掛けると焼き目が香ばしく、全部食べたらお腹いっぱいになった。ふと、窓から外を見ると郵便局の車が出張してきていて、葉書とか切手を売っているようだった。

 僕は勘定を済まして外に出るとその車のところに行った。僕の予想通り、竜飛崎の絵葉書と切手が売っていた。それほど写真がよくないものもあるので、バラで買えるのか訊いてみたら、六枚ワンセットになっていてバラ売りはしていないと言われてしまった。それほどの出費にもならないので買うことにした。

 お腹もいっぱいになり、欲しいものも手に入ったので、少し心残りではあるが、竜飛崎を後にすることにした。津軽半島の西海岸も昔に走ったことがある。その時は寂しい1.5車線の道だったけど、今は明るく開けた二車線に生まれ変わっていた。道は下り坂で中にはタイヤを鳴らしながら猛スピードで走っている車もある。あんな車の前は走りたくないなと思った。

 途中で展望台があったので休憩した。先程までいた竜飛崎が遥か彼方に見え、風力発電の風車が何本もあった。こちらは西側なので秋の短い陽がいっぱいに降ってくる。それでさらに開放感が広がる。

 竜泊ラインを下っていくと海岸線の平坦な道になり、きれいな海岸が目の前に現れた。その反対側に道の駅があったので入った。そこで缶コーヒーを買い、道の反対側にある砂浜に行った。この砂浜は夏の間は海水浴場になっているようで、閉じられた海の家があり、その前にはベンチがあったので、そこに腰掛けて太陽が真正面から降ってくる海を眺めた。地図のよると折腰内という場所らしい。

 それにしてもこんなにきれいな砂浜を目の前にして誰も訪れないとは不思議だ。実際この砂浜にいるには僕だけなのだ。ふと、ここは勝手に立ち入ってはいけない場所なのかと思ったが、そんな立て看板もない。僕はそのきれいな砂浜の波打ち際をひとりぶらぶら歩いたりして楽しんだ。波打ち際には小さな虫がいっぱいいた。また、砂浜の南側にはウミネコの群れがあり、たまに群れから外れた鳥は砂浜で散策をしていた。

 そのうちこの砂浜の存在に気づいたのか、男女のアベックが弁当を持ちこんで食べたり、子供と老人は砂浜で遊び出したりした。そんな光景を僕はまたベンチに戻り、ぼんやりと眺めていた。夏泊崎や竜飛崎でもそうだったのだが、僕はこうやって心地いい風をうけ、太陽の陽を浴びて、ぼんやりと海でも見ている時に一番幸福を感じる。幸せとは何なのだろうか?僕は何故、繰り返し、繰り返し旅に出るのだろうか?

 小一時間も砂浜でぼんやりしていただろうか、僕は再び国道339号を南下した。小泊岬にも寄って行こうとしたのだけど、情けないことに道に迷ってしまい諦めた。あとは十三糊を見ていこうと思った。十三湖は大小十三の川がこの湖に流れ込むことからこの名前がついたようだ。

 十三糊に向けて走っていると突然右側に一面のコスモス畑が見えた。一旦は行き過ぎてしまったのだが、どうしてじっくり見たくなり、車をUターンさせた。何故こんなところにコスモス畑があるのか不明だが、あまり訪れる人もいないようで僕の他には車が二台ばかり止まっているだけで、そのうちの一組は男性独りで来ているようで一眼レフでしきりのコスモスを接写していた。もう一組は父、母と女の子の家族連れでお父さんがコスモス畑で遊んでいる妻子を写真に収めていた。

 僕がその中に入るのはちょっと邪魔になるような気がしたので、近くにあった十三糊を見渡せそうな展望台に登ることにした。だけど、実際に登って見ると十三湖はほとんど見ることができず、あまり眺望もよくなかった。こんな場所に何故、展望を作ったのか不思議な気がした。しかし、その上でしばらく佇んでいると、先程までコスモス畑で遊んでいた親子が登ってきた。僕はようやくコスモス畑が空いたと思い、彼らと入れ違いに下に降りた。

 コスモス畑に行ってみると、コスモスを接写していた男性も作業が終わったようで、機材を車の中にしまっているところだった。僕は慎重にコスモス畑の中に分け入った。コスモスは赤、白、ピンクといろいろな色をつけて僕を歓迎してくれているようだった。カメラでできるだけきれいに豪華に写る位置を考えて3〜4回シャッターを切った。

 道路には車がしきりに行き来しているが、ここに入ってくる車はなかった。こんなにきれいなものがあるのに誰も足を止めようとしないのが僕には不思議でならなかった。
コースを決めてその通りに周る旅行ほどつまらないものはない。それはただ単に計画を実行しているに過ぎない。仕事と何が違うのであろうか?何でもかんでもシステム化してしまい、その恐ろしさにもみんな気づかなくなっている。僕はこのコスモス畑を横目で見ながら通り過ぎていく車を見ていると怖くなってきた。もし、このコスモス畑が旅行のガイドブックにでも紹介されていたら状況は全然違うことになっているだろう。情報とは誰かから与えられるものではなく、自分で探すものなのだ。

 コスモス畑を後にした僕は十三糊をよく見ることのできる駐車場に車を止めた。駐車場は園地のようになっていて、十三糊を眺めながら休めるベンチもあり、そのベンチの下は柔らかそうな芝生で覆われていた。十三湖には多くの家族連れが入って何かを獲っていた。みんなあまり動かないで足元をまさぐっているような感じだ。近寄ってその収穫物をみるとシジミ貝のようだった。辺りを見まわすとシジミの専門店などがあり、ここはシジミが名物のようだ。

 そんな風景を見ながら今日は何処に泊まろうかと考えた。弘前くらいまで行けば大きい都市だし、何処かに泊まれるだろう。だけど、弘前はかなり昔だが弘前城址公園の桜祭りで寄ったことがあり、その時の印象だとかなりごちゃごちゃしていたように思う。昨日、青森で交通違反のキップを切られているし、またそんなことにもなりかねないような気がした。それにちょっと距離も遠い。となるとここから比較的近くて、宿泊施設がまあまあありそうな場所だと五所川原市がいいのではないかと思った。

 国道339号をさらに南下して太宰治が生まれた金木町を過ぎ、五所川原に向かったが、回りの風景が市という雰囲気のならないのだ。あと5Kmの看板を過ぎても風景は田舎のままで全く都市っぽくならない。僕はかなり不安になり、やがてそれは的中することになってしまうのだ。

 ほとんど市街地という実感がわかないような道を走っていると、五所川原市の中心部はふいに現われた。道の両端にある歩道はアーケードになっており、いろいろなお店が並んではいるのだけど、問題はそれらほとんどの店のシャッターが閉じていることだ。シャッターが下りている商店街は閑散としていて、まるでゴーストタウンのようだ。僕は道の左右を見まわしたが、ホテルや旅館を見つけることはできなかった。だけど、市になっている以上、そういった宿泊施設が皆無ということは考えられないので、駅に行って情報を集めようとした。

 これだけ閑散としていると車を止められる場所は容易に見つかり、僕は徒歩で駅に向かった。しかし駅に行って失望はさらに強くなった。駅は街同様に閑散としていて、旅行案内所の類も、駅周辺の詳しい地図もなく、何の情報も得ることはできなかった。これはもう足で歩いて飛び込みで宿を探すしかない。

 飛び込みで一番困るのは値段だ。電話であれば予め確認でき、条件に合わなければ止めることも難しくはないが、飛び込みの場合は顔を合わせてしまっているだけに、僕のような小心者にはさらに断りづらい。さらにここはその宿泊施設自体が少ないようなので、高いからといって断ってしまうと果たして次が見つかるかわからず、さらに断りづらくなる。とにかく、もう暗いなり始めているので急がないといけない。

 僕は車をできるだけ街の中心に移動して、そこに止めて足で宿を探した。しかし、二十分、三十分探しても見つからず、かろうじてラブホテルのようなところを一軒だけ発見しただけだった。こうなったら、弘前まで行こうかとも思ったが、それもまた物憂いことで、さらに捜索の範囲を広げた。そうするとちょっとアーケードから外れたところに八〜九階建てくらいの立派なホテルが見つかった。しかし、相当な金額を取られるのではないかと思い、さらに他を探すことにした。

 だけど、結局代替を見つけることはできず、僕はもうここに頼るほかはなくなっていた。もしここで宿泊を断られたら、弘前まで行くしかない。そうなると、弘前につく頃は陽も落ち、今日が三連休の中日ということを考えると、車の中で野宿ということにもなりかねない。暑い時期ならまだいいが、この寒い時期だとかなり辛いことになりそうだ。僕は祈るような気持ちでこの立派なホテルに入った。

 ホテルのフロントには若い男性が立っていた。僕は彼に部屋に空きがあるか訊いてみると一人ということを確認され、大丈夫とのことだった。僕はもう多少値段が高くても我慢しようと思っていた。値段を恐々訊いてみると、それほど高くはなかった。これは五所川原のせいなのだろうか?とにかく僕は安堵して、車を指定の場所に入れ、部屋に入った。そして一休みしてから、夕食をとりに外に出た。

 しかし、ほとんどの店のシャッターが下りている状態で食堂を見つけられることができるのだろうか?僕はアーケード街を歩き回ったが、たまに開いている店といったら仏具屋さんとか全く用のないような店ばっかりだった。店のシャッターに付いている張り紙を見ると三連休で休みのところが多いようだった。ということは観光客がほとんど来ないということなのだろう。観光と行っても何があるわけでもないし、昔は津軽のいろいろな物品が集まり栄えたようだけど、これだけ流通が発展してしまうと意味がなくなってしまったのだろう。

 ひょっとしたら駅の反対側はちょっとは栄えているかもしれないと思い、線路を超えて行ってみたが、こちらの方はさらに悲惨だった。駅前はほとんど空き地でそれも荒れ果てており、その他には仕方なく駐車場にしているような土地があるだけだった。街灯もほとんどなく暗くて陰鬱な気分になってしまった。僕は食堂で夕食を取るのを諦め、ホテルの近くのコンビニでお握り三個とアロエヨーグルト、それに明日の朝食用のメロンパンと缶コーヒーを買って、部屋に戻った。帰ったら昨日の罰金も払わなくてはならないし、そのための節約だと思い、我慢することにした。

 ホテルの部屋が快適だったせいか、お握りとアロエヨーグルトだけの夕食でもそんなに寂しくはなかった。ただ、下北半島、津軽半島と周って来たため、旅の終わりが近づいて来た。明日は八甲田から奥入瀬渓流に抜ける計画だが、三連休の最終日にあたり、かなりの混雑が予想されるし、これまでのわくわくするような感覚はもうなかった。

 竜飛崎で買った絵葉書を出し、友達に2枚目の葉書を書いた。この葉書が何処かに飛んでいってしまいそうな僕を押さえている凧の糸のような気もする。明日はちょっと天気も悪いようだ。つづく…


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