下北・津軽旅行記 その5―2002年10月10日〜15日 青森旅行― |
津軽半島 朝六時ちょっと過ぎに目が覚めた。旅に出てから規則正しい生活をしているせいか、だいたい毎日同じ時刻に目が覚めるし、体の調子も大変いい。旅に出ると今回に限らず、いつも規則正しい生活リズムになるような気がする。何故なんだろうか? 日々の生活は何故か悶々としていて鬱陶しく、そのためストレスが溜まりなかなか寝つけなかったり、意識的に無理をしたりしてしまう。旅に出ると一時的ではあるが、僕を拘束するものから解放されるため、何のストレスも感じず、体が求めるまま自然に生活できてしまう。だから、この感覚を日常にも多少でも持ちこめれば僕はもっと楽にそして自由に生きられるのではないだろうかと思う。だけれども、その方法がわからないのだ。だから、僕はこうして繰りかえり繰り返し旅に出てしまうのだろう。 昨日の同じような時間に朝食を取り、そして宿を出発した。宿のすぐ近くにポストを発見したので昨日書いた葉書を投函した。だけど、この葉書が友達に着く前に僕の方が早く家に着いてしまうだろう。そう思うとちょっと物足りなさが残る。できればこのまま全国を周り、その所々から葉書を出すのも面白いななどと自分勝手に思ったりした。 昨日の天気予報の通り、あまり天気はよくないが、何とか空は持ちこたえていて雨は落ちていない。この旅行中はほんとに天気に恵まれた。何処かにいるだろう神様に感謝した。だけど今日は三連休の最終日で、これまでののんびりとした旅は期待できないし、旅も終わりに近づいていることもあり、気分はやや沈みがちになってしまう。 五所川原市から国道101号で浪岡町に行き、そこから国道7号で黒石市に入った。黒石市から国道102号、394号と走り、八甲田に向かった。道はとても空いていて、ひょっとしたらそんなに混まないのではないかとの期待を持ったが、たまにあるコンビニエンスストアの駐車場には車がびっしとを止まっていてこれからどういう状態になるのか想像できた。朝早く、それぞれの家を出た車の群れが朝餉のため群れているのだ。補給が終われば、この群れは徐々に動き出すことだろう。 まず、最初の見所は城ヶ倉大橋だ。遥か真下に城ヶ倉渓谷を見ることのできるこの橋からの景観は絶景ですでに駐車場が車で溢れ、仕方なく僕は駐車場からちょっと離れたところに車を止めて景観を見に行った。紅葉にはまだちょっと早かったようで、それ程木々の色づきがよくなかったけど、遥か下を流れる城ヶ倉渓谷の渓谷美は息をのむほどで圧倒される。渓谷の底面には白い一筋の渓流が流れていて、耳を澄ますとその水流の音が聞こえて来る。天気がよく陽が出ていればもうちょっと紅葉の色も映え、さらに美しい景色になっただろうなと思うとちょっと残念だった。本来なら駐車禁止になっている橋の上に車を止めて写真撮影に夢中になっている人もいたが、無理のないことかもしれないと思った。
ちょっとトイレにでも行っておこうと思い、駐車場に併設されたトイレに入ると四〜五人順番待ちの人達が並んでいて、混雑はさらに酷くなっているようだった。駐車場に入れない車は路上駐車をしていて、それもかなり長い列になっている。僕の車の後には観光バスが止まっていた。バスの乗客はみんな渓谷を見学に行っているようで、残っているのは運転手さんと若いバスガイドさんだけだった。僕が自分の車の近づくと運転手さんが声をかけてきた。 運転手は僕が彼らと全く同じコースを言ったので、同じ渋滞に巻き込まれる同士として親近感を持ってくれたようだった。辛いことでもみんながそうだと、気分的には多少は緩和されることが多い。僕は二人に挨拶をして一足先に出発した。 出発するとポツポツと雨が降ってきた。やはりここは山だから天気が変わり易いのかもしれない。国道394号を東に走り、空いていたら酸ケ湯温泉に入って行こうと思った。酸ケ湯温泉は前に一度だけ訪れたことがある。木造の立派な浴場で中は混浴になっている。ただ混浴ではあるが、あまりにも大きいため何となく男女が分かれるので女性でも他の比較的入り易いようだ。 しかし、その付近は車で溢れていて警備員の人が整理をしているような状態だった。これではどうしようもないし、そんなに入りたいわけではなかったので先に進むことにした。道は別に渋滞しているわけでもなく、割合と流れてはいるのだけど、観光スポットは何処も車が溢れている状態だった。ちょっと景色のいい場所では路上駐車している車が多く、大変走りづらい。結局、八甲田で車を止めてじっくりと見られたのは城ケ倉渓谷だけとなってしまった。 八甲田でこの状態だから、青森県というより日本を代表する渓流の奥入瀬渓谷ではどのような状態になっているのだろうか?想像すると怖くなる。だけどそのすごい状態を体験してみたいという気持ちもあり、ちょっと複雑だ。 焼山から国道102号に入り奥入瀬渓谷に向かった。だけど、交通は順調に流れいて混雑を予想させるものはない。これは以外と混んでいないのではないかと思った。まだ、奥入瀬の入口だから、それほどの渓谷美ではないが、清楚な感じで空気がきれいだ。僕は路肩に車を止めて奥入瀬川の辺まで行ってみた。 水は静かに流れていて、紅葉にはまだ早かったけど、秋の匂いが木々から漂ってくる。このまま川の流れる音を聞きながら、木々を見ていると時間が動いていないような気がしてくる。確かにここでは、ゆっくりと時間が流れている。時間とは場所によって速さが変わるような気がする。もちろん絶対的なものは変わらないだろうが、相対的なものはかなりの変化があるような気がする。 しばらくして僕は車に戻り、発進させた。だけど、奥入瀬渓流をゆっくりと楽しめたのはここだけだったのだ。奥入瀬の中心部に近づいたとき急に前に車が詰まりだし、全く動かなくなってしまった。僕が渋滞の最後尾になった瞬間だった。今まで順調に走っていただけに、ふいを突かれた感じだ。僕の四〜五台前に止まっていた車は早々と観光を諦めたようで反対車線に出てUターンをして帰っていった。 この渋滞の最大の原因は石ケ戸の駐車場だった。ここが奥入瀬渓流唯一の正式な駐車場だが、この駐車場に入り切らない車は駐車待ちをしていたり、路上に勝手に駐車をしているから車がつかえてしまい、どうにもならない状況になっていたのだ。 特に観光バスは何が何でもここに駐車しないといけないらしく、その場所がないためちょっと道幅が広くなっているところに止めていて、そこが完全に一車線が潰れてしまい、交互通行のようになっているのだが、誰も交通整理する人がいないため、交通が混乱していた。 さらに渋滞しているのは車だけではなかった。奥入瀬渓流は約15Kmあるが、その全部に遊歩道が設けられている。その遊歩道も人が数珠繋ぎになっていて、それこそアリンコの行列を思わせる状況になっていた。 僕はもうこれは仕方ないと思い、窓を全開にして渓流の音と空気を楽しむことにした。しかし、それも車の排気音を排気ガスによってかなり損なわれてしまっていた。僕は奥入瀬渓流のすばらしさを十分に書こうと思っていたのだけど、混雑の状態を紹介するだけになってしまったようだ。やはり、奥入瀬は観光シーズンに行くのは避けた方がいいようだ。いつ来ても混んでいるとの情報もあるが、以前僕が五月のGW明けくらいに来た時はかなり空いていて、ゆっくりと楽しみことができた。 奥入瀬を抜けるのにかなりの時間を要したが、十和田糊の西岸に出ると道は空いた。やっと一息つけた感じで、十和田糊の写真を撮ろうと思い、それだったら上からの全景をおさめたくなり、発荷峠のある展望台に向かった。国道103号に入り、あまり広くない所々スノージェットで覆われた急坂を登っていくとそこに展望台があるのだが、何と車が満杯状態で入ることができなかった。ここの駐車場には前に入ったことがあるが、その時はガラガラでまさかこんな状態になっているとは思わなかった。十和田糊の全景を写真におさめることも断念しなくてはならなくなってしまった。三連休の時は家でゆっくりとしているのが一番いいのかもしれないな、などと思った。 よく考えてみると、ここまでの予定は立っていたけど、これからの予定は全く考えていなかったことに気がついた。しばらく走って車を止め、どうしようかと考えた。八幡平の方に抜け、盛岡か北上辺りにでも泊まろうかとも考えたが、この混雑を考えると気が重くなってしまう。それにラジオで八幡平もそんなに紅葉がきれいでないといっていた。やはり、もう一度海を見たいという気持ちが強くなった。ここから海まで走るのは大変だけど、そっちの方が楽しそうな気がする。ここは自分の今の気持ちに素直になろうと思った。そしてこのまま東に向かって走り、国道4号を突っ切り、さらに東に走り海に出て、そこから南下を開始するといった気が遠くなるような計画を立てた。 中谷の分岐から国道104号に乗り、東へ向かった。田子町、三戸町と山深い道を走り、国道4号に出た辺りでちょうどお昼になった。4号から外れると食事処もなかなか見つからないかもしれないと思い、良さそうな店を探したが見つからなかった。このまま4号を走って行けば何処かにドライブインはあるだろうから、とりあえずそこで昼食を取り、その後海沿いに向かった方が無難だと思ったが、まあ何処でも店の一軒くらいはあるだろうと軽く考えてしまい、金田一温泉から国道395号に入り、海岸線に出るための東進を始めた。これが、いけなかったのだ。 軽米町で国道340号に入り南下して、九戸村、葛巻町と北上山地を縦断するルートは寂しげな山村と山々が続くばかりで食堂など何処にもなかった。国見峠を越え岩泉町に入っても風景は変わらず、山ばっかりの寂しい風景が続いた。お腹が極端に減ってしまったこともあり、僕の気持ちも風景のように寂しく侘しくなり、地図を見ても山々が延々と続いているようで、これは宮古市に出るまで何もないかもしれないと悲観的な気持ちになってしまった。宮古に着くのは恐らく夕方だろうから、そうすると昼抜きになってしまう。前にも書いたかもしれないが、すきっ腹で運転するのは精神衛生上よくない。気持ちはイライラするし、集中力が極端に落ちるような気がする。僕はもう昼飯のことを考えるのは止めにして運転に集中することにした。 そのうち竜泉洞という看板が見えてきた。昼飯のことは忘れるつもりにしたのに、ひょっとしたら竜泉洞付近には何かあるのではないかと期待してしまった。しかし、期待はすぐに失望に変わった。竜泉洞に行くには国道から外れなくてはならず、そこまで行けば店はたぶんあるだろうが、昼飯を食べるためだけ行くのも面倒だと思いそのまま走り続けてしまった。 ちょっと走ると道の駅岩泉という看板が見えたのでここには何かあるだろうと思い、入ってみたが、食事を取れるような施設はなく、またも期待は裏切られた。僕はもう完全に諦め、車を国道に戻して淡々を走りつづけた。しばらく走ると道の右側にラーメンの幟が見えたような気がした。車をUターンさせ確認するとまさしくラーメン屋で僕は車を駐車場に入れた。 車を降りるとラーメン屋さんの庭が見えて小さな子供が遊んでいた。どうも自宅の一部が店になっているようだ。店に入ると夫婦でやっている中華屋さんのようで、奥からは先程の子供の声も聞えてきた。値段を見ると単品の料理はやや高いようで野菜炒めはご飯が付くのか訊いたら別の注文になるとのことだった。野菜炒めとご飯を注文すると1000円を超えてしまうので、ややお得感がある野菜ラーメンを注文した。 塩味のそのラーメンはおいしく、野菜も新鮮なようでシャキシャキして歯ごたえがよかった。夫婦二人で店を切り盛りしているのも好感が持て、僕はひとり得をしたような気分になっていた。ラーメンを食べ終わり、お勘定を払い、外に出て庭の方を見ると、先程は見えなかった鶏が何羽も放し飼いにされていた。旅の途中でこういった個人経営の店に入るのは楽しい。料理を作ってくれた人の顔がしっかりとわかるし、その素顔も垣間見られるからだ。あのおいしかった野菜もひょっとしたらこの家の裏か近所に畑があり、この夫妻が丹精こめて育てた物かもしれないと思った。 ラーメンを食べたことによって、急に元気が出て、車の運転も楽しくなった。そして、ついに国道45号に突き当り、海岸線に出ることができた。だけど、海を見ながら走れたのはほんの束の間でまた山道のような感じになってしまい、気持ちは鬱屈してきた。 しばらく走ると道の駅たろうというのがあったのでトイレ休憩を取ることにした。ここにも休日のため、たくさんの車が止まっていて、家に帰りつく前の一休みをしているところだった。何処となくお父さんはみんな疲れたような表情をしているのが、可笑しかった。家族サービスも大変なのかもしれない。そういう僕も今日は長い時間運転していたせいで、ぐったりと疲れている。トイレだけで済まそうと思っていたのだが、コーヒーを飲みたくなったので缶コーヒーを買い、車の中でゆっくりと飲んだ。 ここまでくれば宮古はもうすぐだ。陽はもう翳ってしまったが、まだ何とか暗くなる前に着けそうだ。浄土ヶ浜でも見学してから市内に入ろうかとも考えたが、暗くなってしまっては見に行っても仕方ないと思い、直行することにした。 宮古市には5時ちょっと前に着いた。まず、駅に向かったがやはり車を止めるスペースがなかったので、少し戻ったところに路上駐車した。宮古市は一方通行が多い。だから目的の建物を行き過ぎたりしてしまうと、もう一回周らないと行けなくなってしまう。僕は車を止めたところから周囲に注意しながら、駅まで歩いて行った。 駅には大きな地図の看板があり、それにはホテルや旅館も表示されてはいるのだが、肝心な電話番号が書かれていなかった。これだと一軒、一軒周りながら安そうなところを探さないといけない。だけど、疲れているし、辺りも暗くなっているのでそんなことはしたくなかった。ふと駅周辺を見回すと観光案内所があったので、そこで5000円前後で泊まれるところを紹介してもらうことにした。幸い明日からは平日になるので宿は簡単に見つかり、僕はすぐにそこに向かったが、宿を行き過ぎた後で気づき、もう一回駅まで戻って同じ道を周らなくてはならなくなってしまった。 宿は三十代後半から四十代前半くらいの娘さんとその両親が経営しているらしい、小さなホテルだった。宿の二階ではスナックも営業しているようで、そこは娘さんが一人で切り盛りしているらしい。僕は記帳を済まして車のキーを娘さんに預けて部屋に入った。部屋でベッドに身を横たえるとこれまでの疲れが一気に襲ってきた。特に今日は昼飯を食べる時間が極端に遅くなったので、その影響もあったのだろう。 ゆっくりと休憩してから、部屋のキーをフロントに預けて外に夕飯を食べに向かった。娘さんはすでにスナックの開店準備をしているようで、フロントには娘さんの父親と思われるロマンスグレーの品のいい物静かな感じの老人が座っていて、僕を見送ってくれた。このような宿で主人におさまり、のんびりと暮らすのもいいなあなどと考えた。 宮古市は昨日泊まった五所川原とは違い、街には活気があった。たぶん、漁港が近く毎日、新鮮な魚介類が水揚げされるためだろう。お土産物も自然と海の物が中心になっていて、何か家に買っていこうかとのぞいてみたけど何を買っていいのかわからず結局止めてしまった。 食事はとりあえず街中をいろいろと歩いて、おいしそうなところに入ろうと思った。宮古に来たのだから魚介類を食べたいと思い、探していると駅の近くにいい店があったので、店の前に張り出されていたメニューに書かれた値段をみたら、高くてとても手が出なかった。仕方ないので前に見つけておいた大衆食堂に入った。 そこは一家でやっている店で洋食から中華、和食まで何でもやっている食堂だった。カレーとうどんのセットがおすすめになっていたが、僕は野菜が食べたかったので野菜炒め定食を注文した。それは特別においしいというものではなかったけど、作りは丁寧で好感がもてた。接客をしているおばあさんも丁寧でくつろぐことができた。ただ、料理を作っている息子さんは接客が苦手なようで僕の注文の品を作り終えると、外の窓拭きをやりだし、僕が全部食べ終わって店を出たときも、何も声をかけずに自分の仕事を黙々と続けていた。 食事を取り終えた後、僕は市内をぶらぶらと歩いた。小さな川の多いところで中心から少し外れるともうあまり街灯もなくなり、暗くなってしまう。観光案内所でもらった地図でコンビニを探して、そこで明日の朝食用のメロンパンと缶コーヒー、今日のデザートのアロエヨーグルトを買った。 ホテルに戻ると出るときに見送ってくれた品のいいおじいさんがフロントに座っていて「おかえりなさい」といってキーをくれた。娘さんのスナックも開店していて、何人かのお客さんが入っていた。 僕は部屋に戻ると明日はどうしようかと考えた。できれば旅をもう一日延ばして松島でも見学してから帰りたいところだけど、残金が乏しくもう一泊する余裕はなかった。それにこの旅はすでに下北と津軽を周ったところで終わっているような気がして、たとえ明日周ったとしても、それは蛇足に過ぎないような気がした。明日は東京に帰ろう、僕はそう決心した。 最終日 今日も目覚めはよく、だいたいいつもと同じような時刻に目が覚めた。ただ、旅の疲れが出ている感じで、何処となく体が重い感じがする。十月十五日、今日は記念すべき日になるだろう。というのは北朝鮮に拉致されていた五人が帰国するからで、朝のニュースもそれで持ち切りだった。それによると午後二時くらいに日本に到着するらしい。その頃、僕は東北道の何処かを走っていることだろう。 朝食を取り、七時三十分くらいに宿を出発した。品のいい宿の主人が「気をつけて御帰りください」と丁寧に見送ってくれた。国道45号を南下する。三連休も終わり、通勤の車で朝の国道は混雑をしていた。仕事に行く車を見ているとみんなしっかりと生活しているなと感じ、地に根を張っていない自分を寂しく感じてしまう。 しばらく走ると四十八坂海岸という景勝地があったので、そこの駐車場に車を入れて一休みした。展望台からは朝日を受けて光るきれいな海岸線があった。駐車している車は僕と通勤途中でトイレに寄ったと思われるおじさんだけだった。四十八坂レストランという店も併設されていて連休の間は混雑したのだろうと思った。遊歩道のようなものがついていたので下まで降りられるのかと思ったが、それも中途半端なところで途切れていて藪の中に消えた。ここがこの旅の最後の景勝地になった。あとはひたすら東京を目指すだけだ。 始めは釜石から遠野に抜けるつもりだったが、その前に遠野の看板が出てきたので思わずそちらに入ってしまった。鵜住居川沿いに走るこの道は柳田国男の「遠野物語」にも出てくる笛吹峠に繋がる道だった。山深い寂しい道で夜にでも走ればそれこそ山姥でも出てきそうなところだった。峠で一休みしたが、展望はまるでなく、ただ立小便をしただけでまた出発した。 峠を越え、しばらく走ると遠野盆地に入った。寂しい山間の道を走って来た後だけに遠野が開けた都会に見えてちょっと眩しい感じがした。遠野から国道283号に入り、その後、遠野を流れるこれまた「遠野物語」で有名な猿ヶ石川沿いに走る国道107号で北上市に向かった。 そして北上江釣子から東京に向かうため東北自動車道に乗った。東北道も連休明けでしかも下りのせいか、かなり空いているように思えたが、これは今日に限ったことではないのかもしれない。長者原のSAで昼食をとった時、以外とレストランは混んでいた。辺りを見回すと仕事関係の人が多いようでトラックドライバーのような人、営業マンらしい人、たまにのんびりと旅行を楽しんでいるような老夫婦がいた。僕もいつか結婚して、年をとったらあのように妻とのんびりと旅行を楽しみたいと思ったりした。 後は高速を延々と東京に向かって走った。ラジオから流れるニュースで北朝鮮に拉致されていた五人の被害者が無事に日本に着いたことを知った。 終わり |