下北・津軽旅行記 その2

―2002年10月10日〜15日 青森旅行―


下北半島
2

 旅行に出たときの一日目はよく眠れないことが多いのだけど、昨日の晩はほんとによく眠れた。東京から八戸まで700Kmくらい車で走ったためよっぽど疲れていたのかもしれない。だけど今日の朝はそんな疲れもなく、すっきりと目覚めることができた。まずコーヒーが飲みたかったのでエレベータの近くにある自動販売機まで缶コーヒーを買いに行った。120円入れたのだけどボタンを押しても何も出なかった。どうしたのかと思い、値段の表示を見ると130円になっている。しまった…ホテルの中は値段が高く設定されている場合があるのをついうっかり忘れてしまっていた。こんなことなら昨日コンビニで買っておけばよかったとわずか10〜15円程度のことなのに口惜しくて仕方なくなった。これも失業者の性なのだろうか?

 まあ、10円のことだと思い、気を取り直して健康のことを考えて微糖の缶コーヒーを買った。部屋に帰り、その缶コーヒーを飲みながらメロンパンを食べ、ささやかな朝食をすました。カーテンを開け、窓を開くと外の冷気が部屋の中に流れ込んできた。それと同時に朝のまばゆい光りも差し込んだ。今日もまたいい天気だ。一気に気分が盛り上がってきた。旅行に行ってホテルや旅館の宿泊施設に泊まったときの出発はだいたい8時過ぎになることが多いが、この日は気持ちが旅行に対して前向きになっていたため7時30分には宿を出発してしまった。

 朝の八戸は通勤に向かう車でかなりの混雑だった。この辺りだとやはり車がないと移動にはかなりの不便が伴うのだろう。特に馬渕川を渡る大橋のところで車が詰まっていた。この橋を渡り終わり、国道から県道19号線に出ると道は空き、走っている車もまばらになってきた。県道19号は街中を走っていてそれは関東辺りでもよく見かける田舎の住宅地といった様相だった。

 百石町でこの県道はまた国道338号と合流して後はこの国道を一路北に向かって走るだけだ。三沢市の市街を抜けるとまわりの風景は荒涼として原野に変わってくる。この道は海と平行して走っているのだが、海までの距離があるため海岸線を見ることはできず、道の横には木々が鬱蒼と生い茂っているところが多い。

 原子燃料サイクル施設がある六ヶ所村を過ぎ、東通村に近づいてくると道が細くなり、やや山道っぽくなり、そして海が見え小さな鄙びた漁村に風景が変わった。この辺りはたぶん昔はかなりの通行の難所だったのではないかと容易に推測できる。

 このまま国道338号でむつ市に入り、そこから尻屋崎に向かった。始めは尻屋崎に寄ろうかどうかかなり迷ったが、前に行った時は天気も悪く、寒立馬も見当たらなかったので時間的にはきびしいかもしれないが、ちょっとだけ寄ってみようと思った。

 尻屋崎までの道は片側には碧く済んだ海が広がり、もう片側には草原が広がっているが、岬が近づくとその草原が巨大なセメント工場に変わり、もう一方には鉄鋼所が現れ、かなりのミスマッチをおこすことになる。その2つの巨大な施設を過ぎると今度は両方に草原が広がって岬への入り口にはゲートがある。

 ここから内側には車では入れないのかと思い、車を降りてゲートのところまで行くと、時間制限になっているようである時間を過ぎるとゲートは開かなくなるようだ。車をゲートの前で止めると開くようになっているらしく、そのとおり車をそろそろと動かしゲートの前に止めると勢いよくゲートが上に跳ね上がった。

 ゲートの中に入ると右側には柵があり、そこに馬が3頭放牧されていて草を食んでいた。この岬は寒立馬という馬が放牧されているので車もスピードを上げるのはよくない。そろそろと徐行して走っていると今度は左側の木々の間に大きな大人の馬がひょっこりといるではないか。

 宮崎県の都井岬でも馬が放牧されていて、そこに行ったときに放牧されている馬を写真に撮るのに夢中になっている間に彼らに囲まれて車が前にも後にも動かせなくなってしまったことを思いだし、写真などを撮るのは止めて見るだけにとどめた。

 ここから灯台までは海岸線の穏やかな道が続いていて、今日が平日のためいたって静かである。車を駐車場に入れちょっと先に見える灯台までぷらぷらと歩いて行った。空からは10月のやさしい陽がそそいで風も海からかすかな潮の香りを運んで来る。

 灯台の右側の海側に突き出た崖の突端にお地蔵さんがちょこんと安置されていて、赤い前掛けが首から掛かっている。その前には硬貨だの、小石だのが置かれてみんなの願い事が山盛りになっていた。僕も小石を見つけそこにちょこんと置き、とりあえず家族や友人の健康を頼んでおいた。

 日本一絵になる灯台と言われている灯台は草で覆われた台地に力強く立っていた。台地は荒々しい岩肌を剥き出していて海に落ち込んでいる。その白く美しい灯台の向かい側にはバス亭と展開場所があり、その展開場所の近くに小さな土産物屋さんがあった。その展開所にバスが一台止まっていたのだが、何故かそのバスに乗っていたと思われる観光客はいなかった。ちょっと不思議になってそのバスの近くに寄ってみるとそのバスは観光バスではなく路線バスのようで、ここから乗る乗客を待っているようだった。

 バスの運転手はバスの外に出てバス停らしい場所に立ってやわらかな日差しの中、ちょっと薄雲が刷毛で撫でつけられた空を見ながらうまそうにタバコをふかしていて、土産物屋のおばさんらしい人と静かに言葉を交わしていた。今日は平日だし、ここからバスに乗る観光客はいないようだった。そのうちバスの発車時刻が来たのか、運転手はバスに乗りこむとのろのろと走らせた。

 あまりにものどかな雰囲気で僕の心までのどかになってしまい、今日、下北半島を一周して青森まで行く予定だったけれどもうどうでもよくなってしまった。何処か夕暮れになったところで泊まればいいやという気持ちになっていった。それにしても静かな海の風景というのは人の心をやさしく穏やかな気持ちにさせてくれる。お地蔵さんに近くにベンチが2つくらいあったのでそのひとつに腰を下ろして海を見ていた。西の方には大間崎に向かう海岸線がよく見えた。これからあの辺りを走るのかと思うと不思議な感覚になった。

 またもと来た道を戻り、寒立馬が放牧されている柵の横に車を止めて写真を撮った。一頭は僕の方をじっと見ていてちょっと機嫌悪そうにしていた。その横の柵の中にいる三頭はこちらには全く関心がないようでお尻を向けたまま草を食んでいた。そしてゲートを出て県道6号を戻った。

 途中で近道をしようと思い、県道268号に入るとこの道はまだ所々舗装されていなくて砂煙がもうもうと上がった。こういうところでも東北のはずれに来てしまったのだなと感じられた。

 やがて国道279号に出てそれを北上した。だけど、こういう天気の中で紅葉に囲まれながら露天風呂にでも入ってみたいという欲求が起きてきて、このまま大間崎に直行しないで何処か温泉によることにした。ここからだと奥薬研温泉のカッパ湯という無料の露天風呂が比較的近いので大畑から県道4号に入った。僕は以前にこのカッパの湯に入ったことがあるのでその気持ちよさを知っていたのだ。

 大畑川に沿って道が続いておりきれいな渓流が右手あるいは左手に見ながら走ることができる。旅行して一番感じるのは空気の違いだ。東京の空気はどんよりと澱んでいて胸いっぱいにあまり吸い込みたくないけれど、こういう渓流の空気は周りの木々や清流の呼吸が聞こえるようで胸いっぱいに吸い込むとそれらとの一体感、自然に自分が同化していくような感じがする。

 奥薬研温泉の無料露天風呂はカッパの湯と呼ばれているものでかなり大きな湯船でその横を清流が流れている。僕がカッパの湯に行った時は三人の男性が入っていてその言葉からしてどうも地元の人達らしい。さかんに湯の温度が低いと言っていて、その中のひとりは水風呂のようだと嘆いていた。

 僕は三人の話を聞いてちょっと入るのが不安になったのだけれどここまで来てそのままトンボ帰りするわけにも行かず、服を脱いで湯に入った。確かにちょっとぬるいけど僕にはちょうどいい湯加減に思えたのでほっとして先客の三人に「こんにちは」と声を掛けて、湯船の一番端で川に近い方に体を沈めた。

 このくらいの温度だといくらでも長い時間入っていられそうだ。先客の三人はさかんに湯船の中を移動して温度が高いところを探していたが、やがて奥の方がまあまあ熱いということを発見したらしくそこに落ち着いた。

 残念ながら紅葉にはまだ時期が早かったけどこうして木々に囲まれ川の流れる音を聞きながら湯に体を沈めていると僕自信の外枠がだんだんと緩くなり自然の中に溶け出していくような感覚になる。

 気がつくとウトウトとしていた。そのうちひとりまたひとりと露天風呂には人が増えてきたけど、これだけ湯船が大きいとあまり関係なかった。体の芯まで温まったので僕は湯船を出た。服を着て車に戻って時刻を見ると12時を30分くらい回っていた。さてお昼と思いながら車の窓を全開にしてまた大畑に向かって走りだした。長い時間、温泉に浸かっていたため体の芯から温まっているようで地熱のように体の内側からじわじわとしたぬくもりが全身に広がった。窓から入って来る風も心地よかった。

 海岸線に出ると国道279号を大間に向かって北上した。途中で大間崎と書いてある何とも怪しげな表示があったのでそちらの方に右折した。その表示はよく道路で見かける青い下地に白い文字で信号機などに掛けられているものではなくて、白い看板に黒い手書きの文字で書かれていて地面に突き刺してあるようなものだった。その看板によるとあと5Kmくらいらしい。道は細くなり何となく大間崎が近づいていることを予感させた。そしてその大間崎はふいに目の前に現れた。もう気づいた時には僕は本州の最北端、大間崎にいたのだ。

 大間崎はちょっとした公園のようになっていてその公園の中央辺りに「本州最北端の地」というモニュメントが立っている。その端には高床式のレストハウスがあり、海を隔てたところに弁天島という小さな島があるそこに白と黒のストライプの灯台が立っている。園地の海に面したところには階段のようになっているところもあり、そこに腰掛けられるようになっていて海をぼんやりと見るにはいい場所だ。また道路を隔てた側には食堂や民宿、土産物屋などが数軒並んでいてお土産物屋さんからはさかんに「寄ってください」とか「見ていってください」とかおばさん達が前を通る人を呼びこんでいた。

 このお土産物屋さんの裏にはキャンプ場があるようだ。大間は漁業の町でイカやホタテが名産のようなので土産物屋に並んでいるものや食堂でもそういったものが中心となっている。干し昆布やスルメイカ、ホタテの貝柱、ホタテせんべいなどもあって中には試食できるようになっている。中にはサザエやホタテなどの貝類を焼いて食べさせてくれるところもあってちょっと気を惹かれたが、よく考えてみるとまだ昼飯を食べていなかったので食堂に入ることにした。

 始めは地図に載っている食堂に入ろうとしたのだけど、店が閉まっていて今日はやっていないようなのでその数軒隣りの食堂に入った。その食堂は民宿も兼ねているようで、玄関で靴を脱いで上がるようになっていた。

 メニューはやはり海産物中心でどれもおいしそうなので迷ってしまった。結局、メニューの中で‘おすすめ’と書かれていた三色丼というものにした。この‘三色’というのはホタテ・ウニ・イクラのことである。これらが丼の上に3等分づつきれいに盛りつけられているのだ。1500円とちょっと高めだったがちょっと贅沢するのもいいだろうと思った。

 今年の北海道旅行で生ウニ丼というのを食べたが今度のウニはさすがに生ではなく湯通しをしてあった。特にホタテは大間の特産らしく身もプリプリでおいしかった。イクラはしょう油漬けされたものでほどよく味が染み込んでいた。こういったものを食べられるのも旅ならではの楽しみだろう。

 本州の最北端に来たことで僕の旅情は刺激されてしまったようで、ここから友人と母に葉書を出したくなった。食事が終わり、こんどはお土産物屋さんに入り、大間の絵葉書を探した。絵葉書はすぐに見つかった。6枚がセットになったもので写真もなかなかきれいだったので買うことにした。時計を見るとまだ2時をちょっと回ったところだったけど、今日はこの大間からもう動きたくなかった。車を園地の駐車場に止めたまま、僕は海が見渡せる階段状になったところに座った。

 弁天島の背後には北海道がぼんやりと見え、空にはカモメが舞っていた。カモメは逆風の中では空中で止まったようになって、やがて反転してものすごい速さで風に乗って飛んでいく。それを何回も繰り返していて遊んでいるようだった。僕はその空に浮かんでいるカモメに向かって何回もシャッターを切った。

 秋のやさしい陽に包まれ潮の香りのする風に吹かれながら、ただぼんやりと海を見ているとふと悲しくなった。家にいる母のことが頭を過ったのだ。僕はこうやって本州最北端の地でおいしいものを食べ、こんなにすばらしい風景の中にいるのに、東京の母はごみごみした街の小さなアパートの一室で過ごしているのかと思ったらやりきれなくなった。母がもしこの場所にいたらどんなに喜ぶだろうかと思った。胸にはいろいろな思いが込み上げてきて収拾がつかない状態になった。よく親孝行というけれど一番母が喜ぶことはなんだろう、母を安心させるにはどうしたらいいのだろうか?いくら考えても‘これだ’という答えは出なかった。こうして僕は数時間にもわたって海をただ見つづけていた。しかし取り散らかってしまった心の整理ができず、いろいろなものが投げ出されたままだった。

 陽もかなり西に傾いてきた。そろそろ今日の泊まる場所を探さないといけないと思い、そういえばキャンプ場のところに大間の宿一覧があったことを思い出した。こういう場合、一番ゆっくりと休める形式の宿泊施設はホテルだと思う。民宿だと食事の時などは他の人といっしょにとることになるから気を使ってしまうだろうし、旅館は畳だからすぐにごろっと寝転べるけど風呂、トイレや洗面所は別の場所だろうからいちいち行くのが面倒くさくなってしまったりする。そこにいくとホテルだと一度部屋に入ってしまえばもう外に出ることもないのでその点はいいし、ビジネスホテルだと料金も安い。大間にも1つそういったホテルがあったのでそこに電話をかけると部屋は空いているとのことだったので素泊まりでお願いした。

 ホテルに入って荷物を置いてからいつもの通り、夕食をとるため大間の街に出かけた。だけど、街といっても繁華街があるわけでもなく、僕はただ悪戯に家屋の間をさまようだけだった。住宅のすぐ近くの草が生い茂ったやや高い空き地に牛が一頭だけ放牧されていたりした。

 大間崎には食堂が固まっていたのだけど、他の場所にほとんどなく、食堂に限らず店自体も少なかった。仕方なく国道沿いに戻りそこを歩いていると中華屋さんがあったので入った。昨日の夜も中華だったけど、こうなったらもうそんなこと言っていられない。

 この食堂は中華の他に弁当もやっているようで店の中は弁当を注文して待つ人達の席が中央にあり、それを取り囲むように座敷が配置されていた。メニューを見ると昨日と同じチャーハンセットというのがあったが、この店のチャーハンセットはチャーハンとワンタンなのでそれにすることにした。ここのスープも昨日の店と同じであっさりとしたしょう油味でチャーハンも塩・コショウで味付けされたシンプルなものだった。

 食べ終わった後、また大間の街に戻って先ほど見つけておいたコンビニエンスストアでデザートのアロエヨーグルトと明日の朝食用のカレーパンと缶コーヒーを買ってホテルに戻った。そして風呂に入った後、友人と母に葉書を書いた。今の僕が母に出来ることといったら葉書を書くことしか思い浮かばなかった。つづく…


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