2007 ペルー旅行記


7.クスコそしてマチュピチュ その4

 心を残したまま、マチュピチュを後にした。帰りのバスの発車間隔が心配だったが、杞憂に終わった。それこそ次から次へと出ているという感じだったのだ。発車場所に着き、すぐに乗り込んで、ものの5分も経たないうちにバスはアグアス・カリエンテスに向かって下って行った。その途中、面白いことがあった。

 10歳くらいの青い民族衣装をまとった男の子がバスに向かって手を振っていた。バスは坂道をつづら折りに下っていく。しばらく下るとまたその同じ男の子が先回りして手を振っている。乗客の中からも驚きの声が漏れた。そして、またその男の子は先回りしてバスに向かって手を振った。これが延々と繰り返された。

 バスはつづら折りの道を曲がりくねって下るのに対して、その男の子は崖を一直線に下りているため先回りすることができるという理屈はわかっても、感嘆の声が出てしまう。マチュピチュからアグアス・カリエンテスまではバスで30分の道のりである。ただ、崖を一直線に下りればいいというだけでなく、かなりの体力がなければできない芸当だ。

 バスがアグアス・カリエンテスの橋に差し掛かった時、バスを先導するような形になっていた男の子が乗り込んできた。そして、「アディオス」と声を張り上げた。彼がバスの乗り込んで来たのはチップをもらうためである。もちろんあげなくてもてもいいわけであるが、あのがんばりを見せられたら、そういうわけにはいかない。

 3時少し前にアグアス・カリエンテスに着いた。今日食べたものといったらパンだけだ。線路沿いにあるTOTO’s HOUSEというレストランに入った。アグアス・カリエンテスで食事を取ろうとすれば、ほとんど選択肢はここしかないのである。ふと目をやるとツアーでいっしょだった上原さん一家が3つ先のテーブルでコーヒーを飲んでいた。

 列車の時刻まであまり時間がないので、とりあえず魚料理ということでJさんに適当に料理を選んでもらった。Jさんは肉料理を頼み、それを食べ終えた後、コーヒーを飲み、駅に向かった。駅前にある民芸品の店で猫がデザインされたテーブルマットを買った。何かひとつここに来たという思い出の物がほしかったのだ。

 列車に乗り込むと、また朝の中国人の団体といっしょになってしまった。しかも今度は目の前の席にもふたり座っている。Jさんは煩くなりそうだから、席を変わってもらおうと言ったが、僕が迷っている間にやはり団体の中に入っていたドイツ人のカップルがいち早く申し出て先を越されてしまった。こうなったら、この状況を楽しむしかない。

 前の席には中年の男性がふたり座った。ひとりは目の前にあるテーブルの中央に自分のかぶっていた帽子を乗せた。この当たりが日本人とは違うところである。恐らく日本人ならばテーブルを自分の領域と他人のそれに頭の中で分けて使うだろうけど、中国人はその全てを使ってもいいと考えるようである。よく思えば大陸的で物事にこだわらないと言えるかもしれないが、足を伸ばして僕とJさんの座っているシートの上に平気で乗せて来たのには苦笑してしまった。

 ひとりはI-PODで音楽を聴き口ずさんでいて、もうひとりはガイドが持ってきた夏ミカンをさかんに食べていた。そして、その種を列車の通路に吐いていた。車内サービスでも僕が黄色のインカ・コーラを頼むと興味を持ったのか、持っていたコカ・コーラを一気飲みして、今度はそれを注げといって乗務員を驚かせていた。

 列車は暮れゆく谷を走っていた。さすがに僕は疲れが出て、目をやっと開けているという状態だったが、なかなか寝つくことはできなかった。できるだけ、外の景色を心に残しておきたいという気持ちがあった。車内では顔を白く塗った道化師のダンスや、アルパカ製品のファッションショウなども行われた。

 帰りの列車で一番美しかったのはクスコの街の灯りが見えたときである。列車が切り返しを繰り返し始めたとき、下界から窓一面に満点の星空のような光が飛び込んできた。クスコの夜景であった。周りに全く光のない中での下界の街の灯りは帰る場所として自分の呼んでいるような気がした。

 しかし、列車はなかなかクスコに着かなかった。予定の8時20分を過ぎてもまだクスコの一駅手前に駅に着いただけだった。ここからクスコまで車だと15分、しかし列車だと1時間くらいかかるらしいと誰から聞いたのかJさんは言った。Jさんによると列車は切り返しが続くため、そのくらいかかるという。そして、それはどうも正しい情報らしかった。煩かった中国人の団体も含めて、大半の乗客はこの駅で下車してしまったのだ。

 列車の窓からは貧しそうな村の風景が見られた。レンガを積み重ねた今にも崩れそうな家に明かりが灯っていた。数人の子供がすっかり暗くなってしまった通りで遊んでいたりした。「Internet」という看板が見えたりもした。こういう寂しい風景を見ると旅情が掻き立てられる。

 クスコに着いたときには、もう時計は9時を回っていた。列車から降りるとき、女性の乗務員さんに「シー、シー」と言われた。実は列車の中でこの乗務員さんが中国人の団体に「Where are you from?」と訊き、彼らは「China」と答え、いくつか中国語を教えていたのだ。そのひとつが「シェイ、シェイ」で乗務員さんはそれを「シー、シー」と覚えてしまったようである。

 別にどうでもよかったが、あの煩かった中国人の仲間と見られるのはちょっといやだったので「No Japones」と言ったら、すかさず「アリガトウゴザイマシタ」と返ってきた。イキートスのロッジの従業員といい、こちらの人は勉強家が多いようだ。改札の方向にホームを歩いていると前の方から上原さんだけがひとりやってきた。「お疲れさま」と彼は挨拶して、列車の後方に歩いて行ってしまった。奥さんたちと別々の席になってしまい探しに出たか、或いはマチュピチュで知り合った誰かに会いに行ったのかもしれない。

 僕たちはそのまま改札に向かった。改札の外にはファニーが待っていた。ピッチリとしたパンツをはいていて、Jさんが訊くとスポーツジムの帰りだという。この高地での運動はかなり負荷になりそうで、或いは将来ここから有名なマラソン選手でも生まれるのではないかと思ったりした。

 ホテルの部屋に戻って、やはりマチュピチュにいた時間が短すぎたことが改めて残念に思えた。次に来るときは麓の街のアグアス・カリエンテスに泊って…と3年後になるか、5年後になるかわからない次のことを考えた。(2007.12.11)

―つづく―


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