2007 ペルー旅行記


7.クスコそしてマチュピチュ その2

 助手席にJさん、後部座席に僕と警官ひとりが乗り、タクシーは病院に向かった。病院には10分くらいで着いた。警官がタクシーの運転手と料金の交渉をしてくれて、3ソーレス払った。ペルーのタクシーは日本のようにメーターがあるわけではなく、通常運転手に行き先を告げて、値段の交渉をする。

 病院からはすぐに車椅子を押した看護婦が出て来てJさんを乗せ、Uターンして中に入っていった。処置室に通され、医師の診断が始まった。心配した頭の後ろのケガは、それほど大したことはなく、縫う必要はなく、ただ消毒薬を付けて絆創膏を貼っただけですんだ。頭のケガが思いの外軽くて、少しほっとした。

 診断はやはり高山病だった。僕は病院の片隅にある薬局に酸素を吸入するためのチューブを買いに行かされた。大した持ち合わせもないので心配したが、10ソーレスだった。それを使って、酸素の吸入が始まった。体内にある酸素のレベルがかなり低くなっているという。それが回復するまでは、吸入を続けないといけないようだった。Jさんは処置室からベッドに移され、吸入を続けた。ベッドの傍らに立っている僕の所に警官が来て英語でいろいろと質問を始めた。主にJさんの身元に関してのことだったが、ふたりとも下手な英語で、微笑ましい雰囲気になった。

 Jさんがもし病院で一夜を過ごすことになったら、どうしようかと考えた。ここに付き添うことはできるのか。ホテルに戻る場合、果たしてタクシーの運転手にその場所を伝えることができるのだろうか?ロイヤル・インティと言って、運転手にわからないと言われてしまえば、その場所を説明するのはほとんど不可能なことのように思われた。

 1時間半くらいして、看護婦が酸素の吸入器を外しに来て、医師の診断ということになった。指先に体内の酸素濃度を測れるサックのようなものをはめて測定すると、だいぶ改善されていたので、ホテルに戻ってもいいということになった。そして、頭のキズも見たいから明日の夜8時過ぎに、また診察に来てくださいと言われた。

 タクシーを拾い、ホテルに戻ってから、明日のツアーもキャンセルすることにした。Jさんはさかんに大丈夫と言っていたが、今日のことを考えるととてもバスでいろいろな所を周るなどということは考えられない。明後日のマチュピチュも明日の診察の結果を聞いてから決めようと僕が言うと、Jさんはマチュピチュには絶対に行くという。マチュピチュはクスコよりもかなり標高は低い。だから、大丈夫というが、頭のケガということもあるし、とにかく医師の診断が出てから判断することにした。夕食は近くの店でサンドイッチとコーヒーをテイクアウトしてホテルの部屋で食べた。

 クスコ二日目、ツアーをキャンセルしたので、朝はゆっくり起きた。ホテルで朝食をとった後も部屋に戻り、読書などをしながらのんびり過ごした。Jさんの体調もかなり回復したようだった。Jさんはこれまでクスコに何回か来ているが、高山病になったことはなかった。それが今回に限って何故?と考えてみると、やはり疲れが溜まっていたというのが、ひとつの原因だろうと思う。

 婚姻の手続きから結婚式・披露宴、そしてイキートスへの旅行とかなり濃密な日程だった。そして新しい高山病の予防薬がよく効いたための油断ということもあると思う。あのツーリストインフォメーションの時のJさんの飛ばし方は行き過ぎだった。しゃべるということも、かなりの酸素を消費する。それで一気に酸欠状態になってしまったように思える。

 普通、高山病はまず頭が痛いとか、吐き気がするとか、何らかの症状が出るように思うが、Jさんのように調子がよくていきなり倒れるというのは珍しいのではないだろうか?

 さすがに部屋ばかりでは、気分も良くないため、11時過ぎくらいに昼食をとりに行くついでに軽く外を散歩することにした。ホテルの近くにあるアルマス広場まで行って、そこにベンチに座った。冬だというのに、日差しが強く暖かくて、気持ちいい。半袖で歩いている人も結構いる。

 ベンチにぼんやり座っているといろいろな人が寄ってくる。「写真を買ってくれないか」と言う少年に、「絵を買ってくれないか」と寄ってくる若者、また民芸品を見せに来る母と子…。写真や絵は買う気にはならないが、民芸品はきれいなものが多く、何でもほしくなってしまう。そのうち何かひとつ、記念に買おうと思った。

 昼食はイタリアンレストランに入ってJさんはラザニア、僕はトマトのスパゲティを食べたが、おいしくないというより、はっきりと不味かった。賑わっていたから、それほど酷い店ではないと判断して入ったのだけど、読みが甘かった。リマに戻ったとき、ヒロミにこのことを話したら「クスコでパスタはだめよ」と笑われたので、調理が下手というより素材の調達とかそんな問題があるのかもしれない。

 昼食の後、ホテルに戻って、一休みした。Jさんの体調はだいぶよくなってきて、僕より元気なくらいまでになった。僕はというと、まだ手や足の指先にしびれをたまに感じたりする。三日目になれば、だいたいみんな慣れるというし、今日一日乗り切ればと思った。

 2時を過ぎた頃、Jさんの体調もほとんど元に戻ったようなので、軽い市内観光に行くことにした。目的の場所はサン・ドミンゴ教会、インカ帝国のコリカンチャ(太陽の神殿)跡に建てられた教会である。歩いて行きたい気持ちもあったが、昨日の今日である。安全策をとってタクシーに乗った。

 サン・ドミンゴ教会の近くで下してもらい、入口までの急坂を歩いて上った。やはり息が切れる。入口近くのベンチで休んでいると、民芸品を売りに小さな男の子を連れた女性がやってきて、よく乾燥させたアンデスのひょうたんに手彫りした物を見せてくれた。これはぜひにもひとつほしいと思い、上段に太陽、月、コンドル、ネコ科の猛獣、ヘビ、下段にリャマと人々の暮らしが彫られたものを買った。宝石入れらしいが、肝心の宝石はない。

 一息ついたので、入場料を払ってサン・ドミンゴ教会に入って内部を見学した。パネルはスペイン語または英語で書かれているので。Jさんに訳してもらい、丹念に見て行った。見学を続けていると、Jさんが素っ頓狂な声を上げた。何事かと思うと、近くに見たことのある顔があった。イキートスの帰り、空港までいっしょに車に同乗したアメリカ人の夫妻だった。奇遇と言えば奇遇だが、ツアーでいっしょだったギリシャ人のアレックスとイレーネもこの後はクスコに行くと言っていたし、旅人の巡るところにそれほど差異はないのかもしれない。

 サン・ドミンゴ教会のバルコニーからは、インカ帝国時代は太陽の神殿が建てられていた場所にふさわしく、クスコ市内が一望できた。素晴らしい眺めに時間を忘れてしまう。ふと別のバルコニーに目をやると、大柄の若い女性がうずくまっていた、その足元を見ると、もどしてしまったようだ。パートナーと思われる男性が背中をさすっている。そういえば、自分ももどすまではいかないが、気分が少し悪い気がする。やはり、体が完全に慣れるまでは自重した方がよさそうだ。少し休んだ後、タクシーでアルマス広場まで戻った。(2003.11.24)

―つづく―


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