2007 ペルー旅行記


6.イキートス その3

 朝になっても、ランプの灯は灯っていた。時計を見ると、6時。早く寝ると、早く起きられる。何処でも朝の空気は気持ちがいい。アドリアーノが叩く太鼓の音がするまで、床の中でぼーっとしていた。

 7時になってから食堂に向かった。食堂に着いてみると、ジョンさんはもとより、アレックスとイレーネのギリシャ人カップルもすでに来ていた。昨日のアドリアーノのお説教が効いたらしい。ジョンさんとアドリアーノはふたりで何かを真剣に話している。ジョンさんは昨日から半袖ではあるが毛糸のポロシャツを着ていた。何でもクスコで買ったらしい。イキートスのツアーに参加するとき、こちらの天候とかあまり詳しい情報を聞かなかったようだ。それはジャングルを歩くのがメインなのに、革靴で参加していることでもわかる。

 日程も日帰りだと勘違いしていて、着替えを持って来ず、この暑さには耐えられないような毛糸のシャツを着続けることになってしまったみたいだ。昨日のツアーも汗びっしょりになっていて、黒いスラックスには白い塩が模様のように浮かんでいた。

 アドリアーノから、今日のツアーに同行するのは難しいと言われたようで、どうも途中から別行動となるらしい。「このツアーを私は全く楽しむことができなかった」とアドリアーノに言っているのをJさんが聞いている。

 二日目のツアーのボートに乗ることから始まった。シャーマンのいる村まで行くという。
ボートは狭くうねった川を進み、目的の村に着いた。上陸してしばらく歩くと小学校があり、そこには生徒が作ったと思われる葉書大のレリーフが壁に飾られていた。しばらく歩くと開けた場所に出た。その周囲には家が点在し、集落のようになっていた。どの家も高床式になっていて、雨期になると水面がその辺まで上昇することがあるらしい。その一番奥まった場所にシャーマンが薬草を調合する小屋があり、ここでシャーマンによる講義が行われるはずだった。

 しかし、いくら待ってもシャーマンは来なかった。そのためアドリアーノが代わって説明することになった。彼はガイドとして、いつもシャーマンの話を聞いているから、薬草に関してもかなり詳しいようである。薬草を調合して作った胃腸に効くという液体を飲まされたが、日本の養命酒に近い味で美味しかった。ここでもアレックスは「Very Good!」を連発した。

 そして、再びボートに乗り、ロッジのある別の場所に向かった。ここで本格的にジャングルを歩く。約2時間の行程ということで、途中にぬかるんだところも多いため、ブーツに履き替えて出発した。ジョンさんは歩けないということで、別行動になり、一足先に釣りをすることになった。

 アマゾンのジャングルではいろいろな珍しいものを見ることができた。枝から垂直に根を張っている木や、白アリの巣、巨大な板のような根をした木、そして漫画のターザンで見たようなツル。「日程に余裕のあるツアーに参加すれば、もっと奥まで行ける。そしてそこはもっとすばらしい」とアドリアーノは言った。

 ロッジに戻ってから、川に釣りに出た。細かく切った豚肉が餌である、釣る魚はピラニア。5人でそれぞれ思い々の方向に糸を垂らす。魚が餌に食いついている感覚はある。しかし、「今だ!」と思って引き上げると餌だけ取られている。そのようなことが何回もあった。それは僕だけでなく、他の人も同じで、みんな餌ばかり取られていた。結局、僕たち5人で釣れた魚はアドリアーノの一匹だけだった。それも小さな魚で、とても食用になりそうもなかった。

 船着場に帰る途中でずっと釣りをしていたジョンさんのボートと出会った。何と彼のボートにはピラニアばかり15匹ほどが釣れていた。彼とロッジの若い従業員ふたりだけの成果である。黒ブチの斑点の背に、エラから腹にかけてオレンジ色をしていて何よりも鋭い歯が不気味である。

 ロッジに戻ってから昼食をとった。魚のフライとライス、それにサラダ、デザートにゼリーとスイカが出た。最後にジョンさんたちが釣ったピラニアのから揚げが出てきた。美味というほどではなかったが、癖もなくまあまあ食べられた。ジョンさんは自分で釣っただけあって思い入れもあるのか、ひとりで半分近く食べてしまった。それを食べ終えた後は、ボートを乗り継ぎベレン地区に向かった。

 途中で他のツアー客とも合流して、やや大きめのボートでアマゾン川を行くと、水上に小屋が見え始める。ここがベレン地区、ペルーでも最貧の地区である。
 水上には人の住む小屋の他にトイレもある。つまり人々はアマゾン川の水で炊事もすれば洗濯もし、沐浴もして、排泄を流している。伝染病が発生はほとんどこの地区から起こるらしい。ツアーのコースに組み入れられたとき、ここの人たちは「何で、こんな汚いところに観光客を連れてくるんだ」とガイドの人たちに怒ったそうである。それに対して「きれいなところばかりでなく、汚いところも見せることによってペルーの現実を知ってもらいたかったからだ」と答えたという。

 イキートスに戻り、車でツアー会社の事務所のようになっているホテルに行った。ここで思わぬことを聞かされることになった。僕たちは17時40分発の飛行機でリマに帰る予定だったが、その便がキャンセルとなり、21時40分発になったという。始めはツアー会社が勝手にキャンセルしてしまったのかと思ったが、どうも航空会社がその便の運航を取りやめたらしい。その理由ははっきりしないが、乗客が少ないため17時の便と21時の便をいっしょにしてしまった可能性が強いということだった。

 実は明日の朝5時の便で今度はクスコまで行く予定だったのだ。これはきついことになった。時間を見ると、まだ3時半だ。空いた時間をどうしようと思っていると、ツアー会社の人から「郊外にある動物園でも行ってきたらどうですか?車かモトタクシーで送りますよ。ここに7時までに戻ってきてください」と言われた。モトタクシーに乗ってみたかったので、その提案を受け入れることにした。

 モトタクシーは快適ではなかった。まず、他の車やバイクの排気ガスをまともに受けてしまい、呼吸するのが辛い。市販のバイクを改造したものだから振動が大きく、乗り心地がいいとは言えない。風を切って走るから一見涼しそうに見えるけど、真夏にバイクやオープンカーに乗った人ならわかると思うが、信号などで止まってしまうと、とにかく暑い。そういった難点があり、快適ではないけど、乗っていて面白かった。

 動物園は遠かった。15分くらいで着くかと思ったけど、30分走っても着かない。途中に建設中のホンダの工場があった。これだけ、バイクばかりの街なのだから、ホンダもその辺りを考えての進出かもしれない。陽が傾き、辺りが少し暗くなってきた頃、やっと動物園に着いた。とりあえず、動物園の前にある売店で僕はインカコーラを、Jさんはヤシの実のジュースを飲んだ。

 動物園に前までいくと数人の子供が寄って来た。モトタクシーの運転手の話によると彼らは市から公認されている動物園のガイドで、援助するつもりでお願いしてもいいし、断ってもいいという。僕たちは動物を見るというより、休憩したかったので断ることにした。しかし、そのうちのひとりが中まで付いて来て、勝手に説明を始めてしまった。仕方がないのでチップをあげて引き上げてもらおうと思ったのだけど、Jさんも僕にも小銭がない。そのことを、その子に言うと彼は‘ちぇ’という感じで行ってしまった。

 さて少しは動物を見ようかと思ったが、かなり体が疲れていたので浜辺に行って休憩することにした。浜辺にはまだ海水浴客が少し残っていて、若者のグループがビーチバレーを楽しんでいる。しばらく、ここでぼーっとしてから、また市街地に戻った。 市街地に戻る途中、モトタクシーの運転手さんが、虹の出ているのを見つけて教えてくれた。しばし、路肩にモトタクシーを止めて、それを鑑賞した。

 運転手さんはかなり飛ばしてくれたけど、イキートスの街に着いたときには、もう時計は6時30分を回っていた。7時までにあと30分しかない。初日に夕食をとった店に入り、急いで注文したけど、結局、ほとんど食べることはできなかった。6時50分に動物園まで連れて行ってくれたモトタクシーの運転さんが迎えにきてくれた。

 ホテルに戻ると、同じように17時40分発の便をキャンセルされた客が数人いて彼らとともにツアー会社のバンに乗り込み空港に向かった。同乗した旅行客でアメリカ人の夫婦は静かに外の風景を眺めていたが、韓国人とペルー人のカップルは終始いちゃついていた。他にはメキシコ人の夫婦もいて、イキートスは国際的な観光都市だなということが実感された。

 空港でもトラブルがあった。数人のペルー人のグループが何を怒っているのかわからないが、発券するカウンターの女性の係員を怒鳴りつけ、さらに他の客の受付をさせないように邪魔をしていた。3つあるカウンターのうち2つは彼らに占領されていて、発券は遅々として進まない状況だった。Jさんに言わせると、これはペルー式らしい。

 そのうち警官もやってきたが、なかなか事態は好転せず、他の乗客からはやじが飛んだりして騒然とした雰囲気になった。彼らの荷物は警官によって排除され、やっとチェックインを済ますことができたが、疲労はさらに深くなり、21時40分発の飛行機も30分遅れで離陸し、Jさんの実家に着いたときはもう日付が変わっていた。(2007.11.10)

―つづく―


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