2007 ペルー旅行記


6.イキートス その1

 飛行機は30分以上遅れてリマを離陸した。イキートスに着いたときはすでに時計は9時を回り、飛行機から出るとアマゾンの湿った生暖かい空気が体を包んだ。リマは冬だが、ここは夏なのだ。タラップを降り、滑走路から到着ロビーに入った。この旅の飛行機のチケットやツアーの手配を全てしてくれたヒロミの話では、空港で僕たちの名前を書いたボードを持ってツアー会社の人が待っているはずだった。

 しかし、辺りを見回したけど、僕たちの名前を書いたボードを持っている人はいない。困ったことになったと思っていると、ホテル名が書かれたカウンターがいくつかある。自分たちの泊まるホテルを確認すると、エル・ドラドだった。その名前が書かれたカウンターを探すとすぐに見つかり、Jさんがそこにいた若い男性に話しかけた。何やらいろいろと話していたが、彼がホテルまで送ってくれるらしい。ただ、他の乗客でまだ来ていない人がいるので少し待ってくれということだった。明日からのツアーことも大丈夫のようだ。

 彼の車に乗るため、空港の建物から外に出て辺りを見回すとバイクを改造した3輪タクシーがいっぱい止まっていた。モトタクシーというらしい。なかなか発車しない車に、こんなことならモトタクシーで行った方が楽しかったのではないかなどと思った。

 20分くらい経って、ようやく車は出発した。道路はモトタクシーとバイクがたくさん走っていた。車はあまり見かけない。イキートスはバイクの街だったのだ。30分近く走ってイキートスの中心にあるホテルに着いたときには、もう10時近くなっていた。僕たちをホテル エル・ドラドで下すと「明日は8時30分に向いに来ますから」と送ってくれた若い男性は言って、次のホテルへと向かって行った。

 ホテルはよかった。開放感があり、中心が吹き抜けになっており、その一階部分がプールになっていて泳いでいる人の姿も見える。室内は浴室が広く、必要ないがテレビも100チャンネル以上見られるようで適当にリモコンを操作していたら、ビートたけしの座頭市をやっていたりした。ただ、部屋で一休みというわけにもいかなかった。もうすでに時計は10時を回っているのだ。僕とJさんはトイレを済ませ、荷物を部屋に置くと食事をとるため街に出た。

 遅い時間になってしまった。果たして店は開いているのだろうか…。心配だったが、街の中心にある広場に行って、そんな不安は吹き飛んでしまった。広場は大勢の人たちがいて、その周囲にある食堂は人でいっぱいだった。その中でも、一番きれいで繁盛している店に入った。僕はペルー風焼きそばとイチゴの生ジュースをJさんはロモサルタードという牛肉とポテトと玉ねぎとトマトの炒め物、それにミックスジュースを注文した。このフレッシュジュースは新鮮で非常に美味しかった。

 食事をとり終えた後、広場をぶらぶらした。その一角では演劇のようなものが行われていて人だかりができ、屋台も出ている。イキートスは観光客が多く、治安もいいようだ。ホテルに戻り、シャワーを浴びてから、広いダブルベッドに身を横たえた。

 初めてのホテルではなかなか眠れない、そんなことが嘘のように熟睡してしまった。
 目が覚めると、もう時計は8時になっている。横に寝ているJさんを起こして、朝食を取りに食堂に急いだ。係りの人にJさんが「急いで」と頼んだ。パンにバターとジャム、それにコーヒーという簡単な食事をとり、部屋に戻って支度をしてロビーに行くとすでにツアーの人が待っていた。僕たちのホテルが順路に最初にあったようだ。5分くらい走って次のホテルの前に止まり、しばらくするといかにもアメリカ人という身長190cm、体重150Kgといった白人の男性が乗り込んできた。彼の名前はジョン、予想通りアメリカのロスアンジェルス出身だった。

 もう一組、迎えに行くという。車はまた別のホテルの前に横づけされ、今度は若いカップルが乗り込んできた。男性は無精ひげが伸びていて野性的な感じで、女性はやせていて知的な美人だ。何所の国の人なのだろうと、車に乗り込んで来たふたりの会話に注意していたが、英語でもスペイン語でもなく、ドイツ語やフランス語でもない。どうやらヨーロッパの小国のようだ。

 この3人が同じツアーに参加するメンバーだった。車はツアー会社の事務所代わりになっているホテルに行き、そこで今回のツアーのガイド役のアドリアーノを紹介された。そして、彼も車に乗り込み、船着場に向かった。

 船着場に着くと、目の前には泥の色をした広い川があった。しかし、これはアマゾン川ではないという。15〜6人乗れそうなボートに乗り、その川に出る。屋根がついているため、風がちょうどいい感じで通り抜けて来て気持ちいい。

 エンジンの音にときどきかき消されながら、スペイン語と英語の説明を交互に使いアドリアーノのガイドが始まった。しばらく走ると大きな川と合流した。それがアマゾン川だった。広大なジャングルが広がる景色、濃い空気、そして悠々と流れる泥色の川、何もかもが濃密だ。

 やがてボートは細く曲がりくねった支流に入って行き、小さな村に着いた。船着場にすぐ近くに市場のような場所があり、村の女性たちが話をしながら、何かの果物を食べている。その横の道を通り、村の「メイン・ストリート」を歩いていると子供たちが寄ってくる。「お金をちょうだい」とか「キャラメルは?」とか言っているらしい。

 水を持っていないことに気づき、お店で2つ買い求め、さらに奥に行った。そこにはワニやハイチという巨大な魚が飼育されていて、アマゾン特有の果物などの説明があった。国籍不明の若い男性の方はかなり関心があるらしく、いろいろと質問をアドリアーノに浴びせていた。

 見学を終え、ボートは再びアマゾンに出た。陸地には石油基地が、見えた。ここでも開発と自然保護がせめぎ合っている。しばらくアマゾン川を走り、ボートはまた支流に入った。そして陸地に着岸した。ここに今夜、宿泊するアマゾナス・シンチクイ・ロッジがあった。ロッジに荷物を預け、すぐに午前のツアーが始まり、徒歩で原住民が暮らす村まで行った。

 ここで顔に独身者と既婚者にそれぞれ違う模様の赤のペイントをされる。僕とJさん以外はみんな独身だった。国籍不明のふたりはまだ若いからそんな気はしたが、50代前後と思われるジョンさんが独身だったのは意外だった。体こそ大きいが、大人しい紳士といった感じだし、或いは旅行好きが高じた結果かとも思った。ただ、女性の目は違うようでJさんには、お宅っぽくて社交性がないタイプに見えるらしい。

 原住民の女性と踊ったり、吹き矢を体験したりした後、彼らが作った民芸品を見て回った。アドリアーノは必ずしも買う必要はないが、買えば彼らの援助になると言った。実際に見て回ると、デザインのいいものが多く、どれもこれもほしくなる。結局、僕は木の実と茎でできたブレスレット、Jさんは木の実でできた首飾りを買った。

 昼食のためロッジに戻ろうとした時、若いカップルがもう少しことにいると言い出した。アドリアーノは「帰り道がわからなくなるからいっしょに帰ろう」というのだけど、「大丈夫、すぐに追いつくから」と男性の方が強硬に主張し、結局、アドリアーノと僕とJさん、そしてジョンさんの4人が先行する形になった。

 途中まで来たとき別れ道になった。迷うだろうと考えたアドリアーノはここでふたりを待つことになった。唯一、スペイン語のわかるJさんにこれからの道筋を教え、僕たちを先にロッジに向かわせた。しかし、Jさんがアドリアーノの指示を聞き間違えていて、僕たちが道に迷ってしまったのである。(2007.10.24)

―つづく―


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