結婚の証人になってくれたパティとチャロ、そしてハイメは10時を過ぎても現れない。しかし、ヒロミが言うには、これくらいは気にすることではないらしい。30分くらいの遅刻なら、全く問題にされないという。30分を過ぎると、「ちょっと遅いな」という感じになるらしい。10時を10分過ぎた頃、パティたちは3人揃って現れた。 結婚式は当然のことながら、全てスペイン語で行われたため、流れがあまりよくわからなかった。市の職員らしい女性から「あなたは健康な時も、病める時もJを妻として愛することを誓いますか?」というようなことを訊かれ、「Si,accept」と応え、その後、Jさんも同じようなことを訊かれ、同じく「Si,accept」と応え、「それでは、花嫁にキスしてください」ということになったのであるが、彼女が何を言っているのかわからず、僕がなかなかキスしなかったため、「この人は自分が結婚しようとしていることを理解しているのですか?」と訊かれる始末だった。 その後、誓いの言葉を読み上げるのであるが、これはヒロミが原文を日本語に訳してくれたものを読み上げ、Jさんはスペイン語のものを読み上げた。指輪の交換ではちょっと恥ずかしかったが、指輪の入った紙の箱をテーブルに置き、そこから取り出した。右手の薬指に入れるのであるが、左手の薬指のサイズに合わせて買ったため、なかなか入らず苦労してしまった。テーブルの上に置かれた紙の箱は知らぬ間に誰かが仕舞っていた。 そして、書類に僕とJさんと証人であるパティとチャロが署名して結婚式は終わった。最後にパティたちが用意してくれたシャンパンとグラスで乾杯した。グラスにはきれいな花が飾られていた。3人が少し遅れてしまったのは、この飾り付けに時間がかかったためだった。 式を終えた後、ヒロミの運転する車にお母さん、サチコ、Jさん、僕の4人が同乗して家に戻った。昼食は家で取ろうということになっていたのだ。その後からキョウジ一家の車、パティたちの車が続き、みんなで昼食をとり、パティたちは夜の披露宴に備えて休憩するため帰って行った。 「Hも休んでおいた方がいいわよ。今夜は疲れるから」とヒロミに言われて意外な感じがした。確かに疲れはするだろう、しかし、注意されるほど大変なのだろうか?それとも夜遅くまでになるということなのだろうか? 「7時の予定だから、準備もあるだろうし、6時30分には出ましょう」と寝室に行こうとした僕にヒロミは言った。まだ、2時をちょっと回ったところである。ゆっくりと休めそうだ…。 ふと、目を覚ますと、辺りはかなり暗くなっている。時計を見ると6時30分を回っていた。ヒロミが出発しましょうと言っていた時刻である。誰も起こしに来なかったというのも気になる。 居間に行くと誰も出発する仕度ができていない。Jさんに至っては、シャワーを浴びているという。まさに時間にルーズなペルーの人々を目の当たりにした気持ちがしたが、自分も悠々と寝続けていたのだから、批判的なことはいえない。結局、披露宴会場の中華レストランに着いたのは7時30分近くなってしまった。僕らの車が駐車した横の車からハイメ、パティとヒロ夫妻が降りてきた。ハイメは披露宴の司会、ヒロはビデオ撮影をしてくれることになっているらしい。 招待した人たちには7時30分からということになっていたはずである。先に来てしまった人もいるのではないかと思ったが、彼らも皆ペルー人で、まだ誰も来ていなかった。家から持って来た手作りのウェディングケーキをセットしたり、ハイメたちは音楽の準備をしたりしているうちに、ポツポツという感じでみんな集まり始めた。総勢50人といったところだった。 上手のテーブルにはウェディングケーキを取り巻くように、いろいろな人から送られた花飾りが置かれた。よく見るとウェディングケーキにも花があしらえられている。Jさんに訊くと、Jさんとサチコで飾り付けをしたそうである。何から何までが手作りの披露宴だ。 ハイメの司会で披露宴が始まったのは8時を過ぎていた。始めに僕がスピーチをした。いろいろと話したいことはあったけど、人前に出て話しているとだんだんと顔が強張って来て感謝の言葉を述べて早々に切り上げてしまった。その後、Jさんとふたりでダンスすることになり、みんなの前で怪しげな踊りをしているとハイメの指名で次々と人が入れ替わるようになっていて、結局、Jさんは会場に来ているほとんどの男性と僕はほとんど全員の女性と踊った。 テーブルに戻ると、Jさんの名付け親であるというハチャンネネとその夫チアキを紹介された。彼らとは一度日本で会ったことがある。当時はまだペルーにいるJさんの家族は僕の顔がわからなかったため、この二人に写真を撮ってきてくれるように頼んだのだった。僕の写真を撮ったチアキは「これは100ドルで売ることにします」と冗談を言って、そこにいるみんなを笑わせた。 「先日は見えてくれたのに、Jは外出しているし、Hは出て来ないし…」とJさんのお母さんがやや非難めいた口調で言った。ハチャンネネにチアキ、その姓は‘オカ’だったのだ。物憂くなって、僕がシャワーに逃げ込んでしまったときに来ていたのは彼らだった。きまりが悪くなったが、「オカさんなんて言っても、わからないわよ。ハチャンネネとチアキって言わないと」とJさんがフォローしてくれたので助かった。 ダンスはおしまいかと思っていたら、中華料理が出尽くした後はずっと踊ることになってしまった。新郎・新婦は休みなしである。ヒロミが「今夜は疲れるでしょうから」と言った意味がわかった。 曲が終わると、すぐにまた次の曲がかかり、ビートルズの「ロックンロール・ミュージック」から沖縄民謡まで何曲踊ったのかわからない。沖縄民謡の時は、Tioチョウセイが踊り出して、Jさんのお母さんも引き出された。ふたりとも年季が入っていて上手かった。 披露宴が終わったのは12時を過ぎていた。ヒロミの話だと予約は11時までだったそうだけど、1時間以上オーバーしても追加料金は請求されなかったそうだ。この辺りも大らかなペルー人気質なのだろうか?ハイメたちは送られた花飾りなどを家まで運んでくれた。家に着き、ベッドに入ってもなかなか寝つくことができなかった。パーティの興奮を引きずっていたせいだろうか。(2007.10.18) ―つづく― |