2007 ペルー旅行記


5.結婚式 その1

 今回のペルー旅行の最大の目的は結婚式を挙げることだった。よくテレビで見る外国の結婚式のように神父さんの前で誓いの言葉を述べ、書類にサインすれば済む、そんな幻想を持っていた。日本の結婚は婚姻届に記入して、ふたりの証人に署名してもらい、戸籍謄本を添えて役所に届ければ済む、そんなこともあり簡単に考えていた。しかし、実際はかなり煩雑な手続きだったのだ。

 まず、健康診断を受けることになった。というのは健康診断書が結婚に必要だからである。7月31日の夕方、ヒロミに連れられてJさんと、とにかく早いという診療所に行った。ここでは、レントゲンと血液検査が行われた。肺に結核等の持病がないかということと、AIDSなどの感染症にかかっていないかということの検査だという。「もし、AIDSだったら、結婚できないのだろうか?」とヒロミに訊くと、そういうことでもないらしい。相手が納得すればいいようだが、自分がAIDSだとわかっていても、それを隠して結婚してしまう輩を排除するためにこういった検査をやっているようだ。「ペルーは基本的に人を信じていないから」とヒロミは言った。

 そうなのだ。例えばペルーでは結婚が決まった場合、新聞に8日連続でそのことを広告しないといけないことになっている。これは重婚を防止するための措置だそうだ。戸籍というものが存在しないから、もしやろうと思えばできるのである。新聞に広告することで、もし不正があるときは情報が寄せられ、重婚を防げるという考えのようだ。ただ、僕たちの場合は時間がないため、この8日分の新聞掲載料に当たる金額を役所に支払い免除してもらった。

 他に独身を証明する書類が必要で、僕の場合、戸籍謄本とそれをスペイン語に訳したものを持っていったのだけど、これでは証明にならないと言われ、誓約書を書き、それを公証人に訳してもらったものを提出することになった。普通は届け出てから結婚が認められるまで三ヶ月くらい要するらしいが、これもお金を払うことによって早めてくれるという。さらに現在外国に住んでいるJさんに関して、いろいろな書類が必要だったようだ。

 僕たちが歩いてミラフローレスまで遊びに行っている時も、ヒロミはこれらの手続きで銀行に行ったり、公証人のところに行ったり、さらには市役所、外務省と終に独りで手が足りなくなり、サチコに一部の手続きを頼んだり、店の従業員に銀行で並ばせたりと大忙しだった。

 彼女の努力によって、何とか書類も一通り揃い、8月1日の午前中に僕たちの結婚の証人になってくれたJさんの友達、パティとチャロと4人で役所に行き、8月3日の結婚式の手続きを済ますことができた。

 結婚式は8月3日の午前中に、この市役所の式場で行なわれることになった。場所を見せてもらったが、人が10人くらい入ればいっぱいになってしまいそうなこじんまりとした白い壁の部屋で、何となく安心した。

 昼にヒロミとJさんの男友達のハイメが合流して食事をとり、その後、披露宴の会場を見に行った。そこはJさんの実家の近くの中華レストランで事前にヒロミが下見をしていて4階の一室を予約していたが、それにこだわらず、狭いと判断したら3階でもいいという。実際に見たが、僕にはどちらがいいのかよくわからない。3階はワンフロアー全てになるため広く開放感はあるが、4階の方が作りはきれいなような気がする。

 人数が多ければ3階、少なければ4階がいいだろうが、その肝心の招待客が何来るかまだこの段階でわからないのだ。Jさんがまだ声をかけていない人がかなりいて、今日、明日で電話をして知らせるという。結局、子供たちの遊びのスペースも考えて3階を予約して、その後、料理を選んだ。

 そして酒は持ち込み、音楽はハイメたち友人がこれから選曲してCDに焼いて用意してくれるという。言葉が通じないとはいえ、ほとんど何もしていない自分が情けない気がした。

 翌日はこれといってやることはなかったが、朝からいろいろは人の訪問が続いたJさんの親戚に当たるハチャネネとその次女ユカリと夫のスペイン人ファンカルロスの一家、サチコの友人の夫グストとその長男のヨシオ、TioチョウセイとTiaヨシコ。 午後からはJさんとアマノ博物館に行った。天野芳太郎氏が創設した博物館で、プレ・インカからインカ時代の土器や織物が数多く収蔵されている。予約制で前日にヒロミが予約を入れてくれたのだ。ガイドに日本人の若い女性が付き、他の参加者もみんな日本人だった。

 この後、結婚指輪を買いにミラフローレスまで行った。実は日本で買ったものがあるのだけど、サイズを直すのに1週間かかると言われたため、今回の旅行に間に合わなくなってしまったのである。日系人が経営する店に入り、とりあえずだから安いもの―まあ、5000円くらい―を探したのだけど、目ぼしいものが見つからず、あれやこれやしているうちに結局、日本円にして980円という銀の指輪になってしまった。指輪のケースも紙だった。

 夜になり、Jさんは美容室に出かけて行った。僕も床屋に行くようにJさんのお母さんに勧められたが、言葉の通じない人に切ってもらうのはいやだったし、それほど髪も伸びているわけではないので断った。

 朝から訪問が相次ぎ疲れていたので、夜はゆっくりしようと部屋で本を読んでいたら、Jさんのお母さんがやってきて「オカさんが見えているから」という。そういわれても「オカさん」というのが誰かわからない。挨拶に出ていくのも気が引けて部屋の中で本を読み続けた。そうしたまたJさんのお母さんがやってきて「オカさんが見えているから、知っているわよね?」という。「いやー」と返事に困っていると、「ちょっと顔出して」と言って、また居間に戻っていった。

 ちょっと顔だけでも見せれば良かったのだろうけど、精神的に疲れていたのかもしれない。面倒臭くなった僕はシャワーを浴びに浴室に入った。ここなら誰にも干渉されず、のんびりできると思ったのだ。目論見は当たり、僕がシャワーを使っている間に‘オカさん’とやらは帰った。とにかく明日は結婚式なのだ、それほどやることはなかったが、礼服を出したり、それにネクタイを合わせたり、Yシャツを着てみたりして忙しそうに振舞った。そうしないとヒデやユタカが煩かったからである。

 Jさんは夜遅く帰ってきた。美容院に行った後、ハイメやパティと落ち合って明日、披露宴で使う音楽機材を会場に搬入していたらしい。重大なことを翌日に控えたわりには寝付きは良かった。しかし、真夜中、悪夢でうなされ、Jさんに起こされた。結婚した相手が男だった夢を見た。そして、この相手とどうやってSEXしようかと悩んでいた。そこで、起こされたのだ。それにしても何故、このような夢を見るのだろうか?

 気持ち悪い夢を見た後も、意外とよく眠れて目覚めはよかった。いつものような朝を迎え、予定の30分前にJさんとJさんのお母さんと僕の3人で家を出て、店の前でタクシーを拾い、式場に向かった。式場には10分前くらいに着いた。そのうちヒロミ、サチコもやってきたが、ここで前に下見した会場は会議のため使用されていて、それがいつ終わるかわからないという。そのため講堂で行うことになった。講堂には舞台も付いていて、かなり広い。「ラッキーですね」と市の職員は言った。(2007.10.14)

―つづく―


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