2007 ペルー旅行記


4.リマ観光 その1

 ヒデと模型飛行機を広場で飛ばそうと約束をしていた。しかし、僕がみんなとドライブに行ってしまったため、ヒデはジュンコと家の近くの公園に行き、飛ばしたそうである。そして、壊れてしまった。いっしょに車に乗ったヒデは少し残念そうだった。「直すから、いっしょに飛ばしに行こう」と言っているらしい。ヒデの手には模型飛行機の代りに凧が握りしめられていた。

 7月29日、キョウジ、サチコ、Jさん、ヒデ、そして僕の5人でドライブに出かけた。「何処へ、行くの?」とキョウジに訊くと「競馬場」という。何でも、競馬場の裏手に広い場所があるので、そこで凧あげをするつもりのようだ。

 ペルーの競馬場は広かった。日本の競馬場に比べるとあまりに殺風景ではあるが、飲み食いできる場所もあるし、それなりに落ち着いて楽しめるような雰囲気だ。ただ、トイレには問題があるようだった。トイレに行ったサチコがなかなか戻らないので、キョウジが心配して見に行くとバケツを持って入口の所に並んでいる彼女を発見したそうだ。「写真、撮っておけば良かった」と彼は大笑いをしていた。バケツの中身は水で、終わった後、それで流せということらしい。

 ヒデの凧あげのために来た競馬場ではあるが、実際にパドックから馬が出て来ると体をむずむずして来る。「dos,siete」とキョウジが言ったのに対して「俺も2がよく見える」と返したのがきっかけになり、馬券を買おうということになった。こちらではどんな種類の馬券があるかわからないから、買うのは単勝だけにした。キョウジは2と7の単勝、僕は2と8の単勝、馬券を買いに行ったJさんは情報を仕入れ2−8を馬連で買った。

 競馬場が広いため、スタート地点は遥か後方でよく見えない。見えたのは最後の直線だけであったが、なんと2番の馬が先頭でゴールを駆け抜けたのだ。こうなれば当然次のレースもいこうということになる。またパドックを回っている馬から良さそうなものを選んでJさんと馬券を買いに行った。しかし、売り場には長い列が出来ていて、さらに前の客が何か窓口と揉めたりしていたため、キョウジの馬券を買ったところで締切になってしまった。そして、その馬券は惜しくも外れた。

 3レースほど見たが、こちらの競馬は出頭数が少なくだいたい8頭くらいだった。だから、でたらめに選んだとしてもまあまあ当たったりするのだ。家に戻ってからは、平塚のケンタとタカシからのお土産をヒデに渡した。それは、模造の親指を使った手品で、何もないところから赤いハンカチが出てくるというものだった。そのやり方をヒデに教えて、特訓した。

 翌日、Jさんのお父さんのお墓にキョウジ一家とお参りに行った。ペルーのお墓は簡素なもので芝生の上に石版があるだけだった。火葬ではなく、土葬でその石版の下に死体がそのまま眠っているのかと思ったら、妙な気分になった。

 その帰りにリマ近郊にあるパチャカマ遺跡に行った。砂漠の中に埋もれた広大な遺跡でピラミッドのような建造物もある。遺跡近くの急斜面には粗末な人家が見え、その不均等さがまたペルーだと思ったりした。遺跡ではガイドさんを頼み、キョウジの車に同乗して周ったが、着いた時刻が閉館間近ということもあり、駆け足の説明になってしまったようである。Jさんはもっと詳しく説明してほしかったと、不満たらたらであった。

 家に帰る途中、ファーストフードに寄った。子供の遊び場所もあり、大人はゆっくりとできる。ペルーに来て初めてハンバーガーを食べたが、こちら風の独特な味付けであまりおいしくなく、半分くらいで止めてしまった。

 家に戻ってから、本格的な夕食をとるつもりだったが、全く食欲がわかず、そのまま寝てしまった。何故か何も食べたくない状態に堕ちってしまった。その原因はペルーでの食事そのものと疲れから来ていたように思う。ペルー料理は僕には重かったのだ。特に肉料理は少しなら美味しいと感じるのだけど、食べているうちに「もういいや」という状態になってしまうのだ。日本のうどんやそばのように気楽に食べられる軽食がなかったのも大きいように思う。そして、より大きな理由は人疲れである。

 毎日、必ずといって誰かが訪ねてくる。それはもちろん僕の全く知らない人なのだけど、みんなJさんの知り合いなのだ。その度、紹介され、いっしょに食事をとり、わからないスペイン語をずっと聞いているという状態になる。みんなが会話で盛り上がっている中、独りだけわけもわからずポツンとしていることは辛い。それが繰り返される毎に、疲れが累積していき、限界に来ていたのかもしれない。(2007.9.29)


―つづく―


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