「H!もういい加減に起きてよ」と体をJさんに揺すられて目が覚めた。
昼くらいに「起こそうか?」とJさんの家族は話し合ったらしいのだけど、「疲れているのだから寝かせておいてあげましょう」ということになったという。
はっきりしない頭でキッチンに行くとふたりの老人が並んでお茶を飲んでいた。Jさんから親戚のTioチョウセイとTiaヨシコおばさんと紹介された。日本語のおじさん、おばさんに当たるところをスペイン語ではTioとTiaという。TiaヨシコはJさんのお母さんの妹だ。 Tioチョウセイは足が悪く、タクシーを使っていつも来ているそうだ。今の日本について少し話した後、TioチョウセイとTiaヨシコは僕とJさんを、明日の夕食に招待してくれた。ふたりが帰った後、ヒデが食卓にやって来ておもちゃを見てほしいという。平塚に住んでいる三女のカズエの子供ケンタとタカシからのおみやげの小さなリモコンの車が動かないという。説明書を読んだが、なかなか難しくて、そのうち夕食ということになってしまい、食べた後見るということになった。 夕食はマグロのお刺身にサラダ、それに味噌汁と鶏肉の煮込み料理だった。どれも美味しかったと書きたいところだけど、味噌汁は魚臭く、体も疲れていたのであまり食が進まなかった。食事を終えた後、再びヒデの車と格闘して何とか動くようになった。ヒデは喜んで、今度は紙を切って道路をいっしょに作ってほしいという。A4の用紙をふたりで直線に切ったり、曲げて切ったり、山を作ったり、トンエルを作ったりしているうちにJさんの学生時代の友人ハイメとパティが訪ねて来た。 ふたりは小学校から中学にかけて同じ学校に通った同級生であるが、ペルーは小学校6年間、中学校5年間、大学5年間なので、幼なじみであると同時に青春時代を共に過ごした親友だ。ハイメは独身の男性でパティはやはり同級生のヒロと結婚した姐御肌の女性だ。彼らとは土曜日の夜、いっしょに食事をとることになった。 部屋に戻るとぐったりと疲れているのがわかった。よく考えてみれば、こちらで以前から知っていた人はヒロミしかいない。さらに話される言葉は当たり前だけど、ほとんどがスペイン語である。ヒデと遊ぶのだって、言葉ではなく、相手の仕草などから何となく意志の疎通を図っている。近くに通訳役のJさんかヒロミがいないと、それはかなり疲労を伴うことになる。シャワーを浴び、ベッドに潜り込んでから、先々のことを考え少し憂鬱になった。 ベッドには入ったが、なかなか寝つくことができなかった。それもそのはずで、13時間も寝た後なのだから、当たり前といえば当たり前なのだけど、何故か‘早く寝ないと’という強迫観念に駆られ、さらに目は冴えていった。結局、眠れたのは3時を回った頃だった。 そんな状態だから翌日もまた12時近くまで寝てしまい、朝ご飯を抜いた。しかし、家の窓から初めてみる昼のリマの風景に僕の眼は止まった。低く垂れこめた灰色の雲の下に日本では全く見かけなくなったボロボロの古い車が走りまわっている。中には日本語の会社名が書かれたままになっていたりするものもある。特にバスはいろいろな種類の車が走っていて、7〜8人乗ればいっぱいになってしまいそうなワンボックスからマイクロバスくらいのものまで、ひっきりなしにやってきて、道に立っている客を拾っていく。 これらバスの特徴は運転手の他にもうひとり乗務員がいることだ。彼らが道にいる人間に声をかけ、行き先を告げ、乗ってきた客から料金を徴収しているのだ。バス停があることはあるらしいが、何所でバスを待つかは乗客が決めているそうだ。わざわざ家から離れたバス停まで行くということはしないで、バスの走っている道まで出てそこで待つらしい。 しかし、これだけ多くの古い車が走っているということは、排気ガスの規制もないようなものだろうから、リマの空気は東京の空気が美味しく感じられるほど悪い。そして、けたたましいクラクションの音。昼間のリマは喧騒の中にあった。道の反対側の路地には屋台が並び、その一角に人々が集まっては散っていく。
ほとんどシステム化されてしまった日本の商店とは違い、小さな店がいくつも軒を並べて存在している。それは写真屋だったり、バイクの部品屋だったり、メガネ屋だったりする。道に緑や黄色のベストのようなものを着た人が徘徊しているのが見える。
「あの人たちは?」近くにいたサチコに訊いた。 外の喧騒を見ながら、昼食をとった。Jさんは少し前にヒロミといっしょに出かけたという。独りでいると、やはり心細い。それにやけに体がだるくて仕方ない。昨日、Tioチョウセイに言われたことが頭を過った。「ずいぶんと温かい手ですね」…。その時は、気にならなかったけど、今、考えてみると、その時から発熱していたのかもしれない。そして、今、明らかに体は熱っぽい。時差がきついと言って、少しベッドで休ませてもらうことにした。ベッドに入ると、すぐに睡魔がやって来た…。 Jさんに起こされた時、辺りはもう暗くなっていた。彼女に体温計を持ってきてくれるように頼んだ。それで体温を測ると37.5度だった。それほど高くはないが、旅の疲れもあって体を動かすのが辛い。そして、何処かに眠りに逃げ込みたいという気持ちもあったのだと思う。満足な夕食も取らず、そのまま寝込むような形になってしまった。夜遅くなって、心配したJさんのお母さんが解熱剤を持ってきてくれた。食欲はなかったが、果物を食べた後、その薬を飲んだ。 ほとんど午後から寝ていたせいか、翌日は朝早くに目が覚めた。この時、自分は発熱を利用しようとしているなということが実感された。これから訪ねて来るであろういろいろな人と会うのを回避するために…。旅に出る前、逃げずに格闘しようと思った決意がわずか2日で挫けてしまうとはあまりにも情けない。僕は早々にベッドから起き上がった。
「熱、下がったよ」と隣のベッドに寝ていたJさんに告げ、ふたりで昨日、僕のためにお母さんが作ってくれたお粥を食べた。お粥を食べていると、サチコがやってきた。 ―つづく― |