7月25日午前4時、デルタ航空の飛行機は約5時間遅れでペルーの首都リマにあるホルヘチャベス国際空港に着陸した。入国審査を終え、税関のボタンを押すと緑色のランプが点灯して荷物検査なしに到着ロビーへ出ることができた。「このボタンはどういう仕掛けになっているの?」とJさんに訊くと、ランダムに赤が点灯するようになっているらしく、もしそうなると荷物を全てバッグから出して検査を受けることになるそうである。 到着ロビーは出迎えの人たちで溢れていて、円形の人垣が幾重にもできていた。白い紙に黒のマジックで名前の書かれたいくつものボードが前に後ろに踊っていて、今がとても午前4時とは思えないような熱気がある。この中からJさんの家族を探すのは容易ではないなと思っていたら、最前列に見覚えのある太った男性の顔があった。以前に写真で見せてもらったJさんの弟、キョウジだった。 僕とJさんは3つのトランクを転がしながら、幾重にもできた人垣の中にできたわずかな裂け目に入っていった。「TAXI?」人垣の外に出てから、キョウジと合流するまで何人かの人に声を掛けられた。雑然とした雰囲気、外国に来たのだという実感が急に胸の中に広がる。 出迎えは恭二だけでなく、次女のヒロミ、そしてJさんのお母さんも来ていた。空港から外に出ても頻繁に「TAXI?」「TAXI?」と声を掛けられる。外も客待ちのタクシーや警備員などでごったがえしていて、時差で時間がわからなくなっていることもあって、今が夕方くらいの気がしてくる。日本では現在午後6時くらいのはずだから、外部の影響よりも体が記憶している時刻の感覚なのかもしれない。日本は真夏であるが、日本のほとんど反対側にあるこの国は今、冬だ。しかし、日本の冬ほど寒さは厳しくないようだ。「そんなに寒くないね」と言うと、「ノー、サムイヨ」とキョウジに言われた。 空港の駐車場にはヒロミとキョウジの2台の車が止まっていた。どちらも古い日本車で、特にキョウジの車はかなり傷んでいる。日本でこれほどまでにボロボロになった車を見かけることはほとんどないが、ペルーでは逆でバスやタクシーも含めてほとんどが古い車で新車を見ることはなかった。キョウジの車に荷物を乗せ、ヒロミの車にお母さんと僕とJさんが乗り込み、Jさんの実家に向かった。
夜のリマの街は殺伐としていて、日本とは全く違う街並みに目が離せなくなる。レンガを積み重ねただけの壊れかかったような家があるかと思えば、庭付きの豪邸が連なっていたりするところもあり、‘格差’などという言葉では表現できないものを感じる。 Jさんの実家は空港から車で30分くらいのところにあった。片側2車線の大通りに面して建っている鉄筋の3階建てで、一階にパンやケーキを販売する店舗があり、その奥にそれらを製造する工房がある。リマの中心街から近いスルキーオという地域だ。昔、周りは畑ばかりだったらしく、フジモリ元大統領も比較的近くに住んでいたという。この20年の間に都市化が進み、現在は周りに緑は全くなく、治安も悪化したということだった。 Jさんの実家に着き、荷物を運び入れて時計を見ると、もう5時ちょっと前になっていた。午前5時!全く時間の感覚がなくなっている。店を現在ひとりで切り盛りしている長女のサチコが迎えてくれた。とりあえず何か食べてということで、パンにバターとジャム、メロン、サボテンの実、マンゴ、リンゴなどのフルーツ盛り合わせ、それにコーヒーの朝食が出された。パンは焼きたてということで、とりわけおいしかった。
食べ終えて、一眠りしようということになった。アトランタからリマまでの機内で眠れればよかったのだけど、緊張と不安と興奮でとてもそれどころではなかったのだ。 普段はヒロミが使っている部屋が僕とJさんの寝室になった。そこにはシングルのベッドが2つ置かれ、白にライトグリーンの格子状のカバーとそれとお揃いの掛け布団と枕カバーが爽やかだった。冬のため、それに茶色の毛布が一枚入っていた。シャワーを浴び、歯を磨いてベッドに潜り込むとあっという間に眠りに落ちてしまったようだ。僕の後にシャワーを使ったJさんの気配というものを全く感じなかった…。
部屋の中が何となくザワザワしているような感じで目が覚めた。窓から入ってくる陽は弱く、ふと足元の方に目をやると、その光でJさんが荷物の整理をしていた。 ―つづく― |