来た道を下りながら、時計を見るともう3時を過ぎている。朝におにぎりを食べただけだから、お腹の空くのも当たり前だ。全ての拝観を終え、日光山の下り道に運良く食事処があったので入る。時間が時間だけに客は誰もおらず、大きな犬が一匹、床に寝そべっていた。その横を僕と妻は通って奥の窓際に席に座った。 日光は湯葉が名物のようなので僕は湯葉そばを妻は焼きうどんを注文した。妻は僕の湯葉そばを見ると、何故、自分もそれを注文しなかったのかと悔やんでいた。妻はペルー人であるが日本語も上手く、漢字などもある程度読めるので、知らぬ間に僕も日本人のように扱っていた。 このときはそのことを深く考えなかったが、例えば自分が外国でレストランに入り、その国の言語で書かれたメニューを出されたときてきぱきと自分の食べたい物を注文できるだろうか?後から思えば、僕は妻に対してその配慮がなかったのである。 食事を終え、妻がコレクションしている観光地のカップを併設されていたお土産物屋で買ってから、大谷川沿いにある化け地蔵に向かった。本町辺りは今でも江戸時代に整備されたという水道施設が残っていて、各家の前に井戸のような設備があり、その栓を抜くと水がほとばしる。ここでおじさんが野菜などを洗っていた。試しに僕たちも栓を抜いて水で手を洗ったが、冷たくて気持ちよかった。 大谷川を渡り、少し歩くと人家も途切れ、原っぱのような場所に出る。そこをしばらく歩いて行くと慈雲寺と書かれた木造の小さな門があり、この先に化け地蔵が並んでいる。本来は並び地蔵というようであるが、行きと帰りとお地蔵さんの数を数えるとそれが一致しないところから化け地蔵と呼ばれている。 そのことを妻に言い、数を数えてもらった。自分でも数えればいいのだけど、面倒臭い気がしたので妻に任せたのだ。地蔵は壊れているのもあるので、赤い頭巾をかぶったものだけを数えることにした。片側に大谷川が流れ、片側の斜面からせり出した木々の下に地蔵はほとんど一列に並んでいる。妻は地蔵の数を数えることに没頭し、86体と言った。そして帰りである。こんどは僕も数えることにした。結果は僕が83体、妻が84体だった。合計で3回数えて、3回とも違ってしまったわけである。妻は「どうして?」と不思議がっていた。 確かに不思議である。しかし、これは数え方が悪いというよりも心理的なものかもしれないと思った。数える人はこの地蔵群が化け地蔵と呼ばれ、何回数えても数が一致しないと刷り込まれている。また、心の奥では、「一致しない方が面白い」という気持ちがあるように思う。それが、無意識のうちに数の数え違いを起こすのではないだろうか? 化け地蔵を後にすると、曇ってきたせいもあるが辺りは薄暗くなっていた。時計を見ると時刻は5時を回っている。夕暮れ時の大谷川に沿って駅に向かい歩いた。そよ風が水面を駆け抜け、涼しい。夕暮れから夜にかけて、川辺を歩くのは気持ちいい。
東部日光駅に着き、今日の宿泊先の情報を得ようと構内を歩いて回ると、いくつかのホテル名が書かれた地図があったので、目ぼしいもの(安そうなホテル)2つ3つ手帳に書き写した。外観を見て決めたいところだが、これからまた探し歩くも億劫になってきて、駅の案内所でこちらの予算を言って紹介してもらうことにした。 日光にはビジネスホテルのような宿泊施設はないのだろうか?この案内所では紹介していないだけかもしれないと思い、手帳に書き写しておいたホテルに電話をしてみたが、1つは満室と断られ、もう1つはいくら待っても誰も出てくれなかった。 仕方ないので日光で泊まることを諦めて、宇都宮まで引き返した。宇都宮まで引き返せば宿を見つけるのは難しくない。昨日泊まった東急インでもよかったが、妻が別のところを見てみたいというので、市内を歩いていたら目に止まった宇都宮ステーションホテルにした。 ここの料金は東急インより少し安いが、朝食はついていない。それをつけると、割高になってしまうので、素泊まりにすることした。東急インに比べると部屋は狭く、また古いためそれほどきれいではなく、妻は「東急インの方がよかったね」と言ったが、もう後の祭りだ。 ふとテーブルの上を見ると手書きされた手紙のようなものがあり、「当ホテルに宿泊していただきましてありがとうございました」というようなことが丁寧な文章で書かれていた。この手書きの手紙で妻の機嫌も直ったようだった。 しばらく部屋で休みながらテレビを見ていると、今朝の地震がとんでもないことになっていた。朝の時点ではそれほどの被害もなかったように感じられたのだけど、山間部が震源地だったということもなり、時間の経過と共に被害の大きさがわかってきたようだった。しばらくテレビに見入った。 7時半くらいに夕食をとりに外に出た。ホテルの部屋のおいてあったガイドを頼りに店を探すことにした。昨日と同様にギョウザとラーネンだけでなく、中華料理も食べられる店に行くことにしたのだけど、思っていたよりも遠く、着いたときには店はもう閉まっていた。ガイドに載っていた閉店時間にはまだ間があったから、食材がなくなってしまったのか、或いは店主の気分だったのか、早目に店仕舞いしてしまったようだ。 結局、ギョーザではなくラーメン中心の店に入った。僕はヒマラヤの岩塩を使っているという塩ラーメン、妻は四川ラーメン、そして野菜ギョーザを注文した。宇都宮はどこの店でもギョーザは美味しい。夕食がラーメンというもの心もとない気がしていたが、美味しかったので満足した。(2008.8.10) ―つづく― |