2008 日光旅行記


その2

 6月14日、7時に目が覚める。しかし、まだ妻は寝ている。僕自身も疲れているのでベッドの中でごろごろしていた。そうしているうちに8時を過ぎてしまったので、妻を起こして朝食をとりにロビーまで行った。東急インのいいところは朝食が無料なのだ。おにぎりと漬物と味噌汁、それにコーヒーだけなのだが、うれしい。おにぎりは3種類あって、1個はそれほど大きくなかったので僕はそれぞれひとつずつ取った。

 朝食を取り終え、食後のコーヒーを飲んでいるとき、体が揺れているような感じがした。しかし、それは自分の眩暈のような感覚であったため、妻には言わず、早く治まってくれればいいなあなどと思った。部屋に戻り、テレビをつけてそれが地震だったことを知った。妻も感じていたらしいが、全く僕と同じように思ったという。規模はかなり大きかったようだが、テレビで電話インタビューされていた宮城県の職員さんはのんびりした感じだったので、それほど大したことはなかったのだろうとこの時は思った。

 ホテルを9時過ぎにチェックアウトして駅に行き、日光線に乗った。日光線は2両編成のローカル線だった。運良く9時12分発に乗れたが、もしこれを逃していたら次は9時57分発だから45分も待つことになる。時間帯によっては1時間に1本しかでていない。

 車内はさすがに世界遺産に指定されている東照宮のある観光地らしく、外国人が多かった。僕のいる車両の乗客の3分の1くらいは中国の若者で占められていた。そういえば昨年マチュピチュに行ったときも中国人の団体さんに圧倒されたのだった。これも、ものすごい勢いで経済発展している国の象徴なのだろうかなどと思った。

 鶴田、鹿沼、文挟と過ぎていくうちに車窓から見える景色に緑が増えていき、まるで森の中を走っているような風景が続いた。止まる駅舎も古く味わいのあるものばかりで、旅情を掻き立てられる。10時ちょっと前に列車は日光駅に着いた。

 まず、構内でパンフレットの類を探す。英語で書かれたものが多く、改めて日光という土地を見直す思いだ。JR日光駅を出てみると土曜日というのに辺りに人気はあまりなく、閑散としていた。天気も快晴で広く交通量のほとんどない道路とも相まって開放感を覚えた。駅前から続く街並みにまるで昭和という時代に堕ち込んでしまったような感覚になった。

 妻と東照宮方面に向かって歩く。薬屋の看板、お土産物屋の前の電話ボックス、古く不気味な病院、懐かしいというより、愉しい気分にさせてくれる。昭和といっても僕の生まれる前の昭和なのだ。そんな中、時代の波からこぼれてしまった喫茶店や大型ホテルが静かに佇んでいる。

 しばらく歩くと左手に朱色に塗られた橋が見えてきた。神橋である。そのたもとまで行ってみるが、渡るにはお金が必要だった。300円は高い気もするが、古は将軍が二荒神社参拝に渡られたという橋を間近で見たいという気持ちもあり、見学料を払い近くにいってみる。もちろんこの橋は何回も修復されている。その様子がパネルになっていた。実際に近くで見ると、補強用の鉄骨が剥き出しになっていて、骨折してギブスで固定された足を見ているようで痛々しい気がした。橋を渡ることはできるが、対岸に抜けることはできず、また引き返さないといけないのも味気なかった。この橋は近くではなく、遠くから眺めていた方が風情はあるように思った。

 もと来た道に戻り、大谷川を現代の橋で渡り、輪王寺、東照宮、二荒山神社へと続く参道に入った。しばらく続く登り道に妻は早くも弱音を吐いていたが、彼女の方が僕よりもずっと体力はあり、一昨年、木曽路を旅した時も最終的には僕の方が参ってしまった。

 少し歩くと輪王寺三仏堂が見えてきた。ここで日光の二社一寺の共通拝観券を買い、まず、逍遥園と宝物殿を見学した。逍遥園は美しい日本庭園で途中には枯れた雰囲気の茶室などもあったが、見どころは宝物殿の方だった。狩野探幽筆の家康像や家康の手形など思わず足を止めて見入ってしまうものばかりだった。

 宝物殿を出た後は三仏堂を見学した。お坊さんがガイドしてくれるので、神仏関係に弱い僕は大変助かった。妻にいろいろと訊かれて、見当外れの答えをするのはみっともない。ここでいう三仏というのは千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音のことで高さ8.5mに及ぶこれらの仏像は圧巻だった。特に馬頭観音に深く頭を下げた。12支の仏像などもあり、拝観者は自身の干支の前でお祈りをしたりした。そして、次は日光東照宮だ。

 石鳥居をくぐると左手の鬱蒼とした木々の間から五重塔が見える。石段を上り、表門をくぐると辺りは人、人、人…。世界文化遺産に指定されているだけあって、老若男女、外国人から小学生の修学旅行生まで幅広い層の人たちが見学に訪れている。そういえば、僕も小学校の修学旅行は日光だった。

 社寺も見事であるが、それに施された彫刻が素晴らしかった。神厩舎の人間の一生を風刺しているという「見ざる・言わざる・聞かざる」はもとより、その正面に建っている上神庫の狩野探幽下絵の「想像の象」など、見入ってしまう。

 東照宮といえば陽明門である。鼓楼と鐘楼を左右に従えた、その絢爛たる姿に見とれてしまうが、近くでじっくりみるとここにも数多くの彫刻が施されている。龍、獅子、鳳凰などの他に鯉や龍や鳥に乗った仙人など人物の彫刻も数多くあり、独立した彫刻は508体に上るらしい。

 陽明門の左右に伸びる回廊にも極彩色の花鳥の彫刻があり、何処か外国にでも迷い込んでしまったような感覚になった。しばし陽明門を見入った後、本殿に上がると住職さんが話をされていたが、ちょうど入れ替えの時間に当たってしまったため、後半しか聞けなかった。しばらく待てば、次の回は始まるのだけど、内部を見学しただけで出てしまった。

 陽明門を出て右手にある本地堂に向かう。ここは泣き龍で知られたお堂で、靴を脱いで中に入ると天井に巨大な龍の絵が描かれている。住職さんがこの龍の頭の下で拍子木を打つと天井と床が共鳴して、鈴のような音が聞こえた。しかし、それ以外の場所では共鳴は起こらない。前は手を打って実演していたそうなのだけど、効果がいま一つだったので拍子木に変えたそうである。住職さんの説明の終わった後、龍の頭の下で手を打ってみると、拍子木に比べると小さいけれど確かに鳴き龍の鳴き声は聞こえた。

 日光東照宮の後、五重塔の横に伸びる上新道を通り、二荒山神社を参拝した。ここまでくると人もぐっと減って、開放感のある境内と合わせて一息ついた。最後は徳川三代将軍家光公の廟所、輪王寺・大猷院だ。仁王門、東照宮の陽明門を思わせる造りの二天門と夜叉門をくぐると大猷院の入口に当たる唐門がある。小振りながら美しい門で、鳳凰や唐草、白龍などの彫刻が余すところなく飾られている。唐門をくぐり、靴を脱いで本殿を参拝する。本殿の両側にある塀の羽目板にも多くの鳩の美しい彫刻がなされていて、ため息がでてしまう。(2008.8.2)

―つづく―


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