それらしい方向に数歩歩いただろうか。するとS屋という暖簾が見える。まさかここが…と思い、ガイドブックに載っている写真と見比べると正にそこがさっき電話をかけた民宿だったのだ。偶然にも公衆電話のすぐ横にある民宿に予約の電話を入れていたのである
「電話のベルの音が聞えていたよ」とJさんと大笑いをしてしまった。
宿は木曽の代表的な家屋で間口が狭く、奥行きの長い造りになっていた。
「先ほど電話したHですけど」と間口のところで声をかけると奥から声が聞えて、50代前半くらいのずんぐりとした体型の愛想のいい男性が玄関に現れ
「さ、さ、奥に」と僕たちに声をかけた。僕とJさんは彼にしたがって土間を通って奥に向かったが、なかなか玄関に着かない。途中で部屋に上がろうとすると
「いや、もうひとつ奥です」と言われた。どうやら客間は民宿の一番奥にあるようだった。TVとちゃぶ台がある居間のような部屋の横を抜けるとやっと
「靴を脱いで、ここから上がってください」と言われた。
部屋は狭い階段を上った2階にあった。階段を挿んで反対側はこの家の人たちの居住場所らしくガラス戸で仕切られている。僕たちはニ間続いた広い部屋に通された。宿の主人がお茶と宿帳を持ってきて、どうぞを僕らの前に置いた。
「この辺で食事できるところってありますか?」と僕が訊くと
「この辺は、ありません」とちょっと困ったような表情になり、
「歩いて15分くらい行ったところに食堂があるだけです」と宿の主人は言った。
「そこは必ずやってます?」
「やってますよ」
「じゃー、一休みしたら、そこまで行こうか?」とJさんに言うと、彼女も同意した。
「何でしたら、家族のものといっしょにうどんでも食べますか?」と宿の主人が言ってきた。遠い場所まで歩かせるのは悪いと思ったのだろう。
「いや、街も歩いてみたいですし、ぶらぶら歩いてきます」と僕が言うと
「そうですね。わかりました」と下がっていった。
僕とJさんはお茶をいれ、体を畳の上に思いきり伸ばして寝転んだ。15Kmくらい歩いたためかなり疲労しているが、畳の感触は心地よく日本の家屋のありがたさを感じた。
しばらくすると、また宿の主人が現れ
「あのー、夕食なんですけど、妻籠の入口あたりにあるA屋さんという屋号の店でうどんなら用意できるということですけど、どうします?」と言った。
それはありがたい。また15分も歩くのはちょっと大変だと思っていたところだったので
「それではお願いします」と言った。
「わかりました。それじゃー、30分以内に行くということでいいですね。場所は…」と教えてくれた。
6時ちょっと過ぎた頃、JさんとふたりA屋に向かった。辺りはかなり薄暗くなっていて観光客もまばらだった。A屋は妻籠宿の外れにあった。赤い提灯が暗くなった風景に映えていた。
「こんばんは、S屋さんから言われて来たものですけど」というと
「さ、どうぞ。好きな席に座ってね」と中年の痩せぎすの女性が案内してくれた。
店内はコンクリートの床にパイプ椅子、机だけが立派な造りだった。客は僕たちふたりだけだった。食堂は食堂なのだろうけど…と思っていると、後から地元の人と思われる男性がふたり入って来てビールなどを注文した。どうも、飲み屋であるらしかったが、ずいぶんと殺風景な店である。しかし、そんな雰囲気をJさんはすっかりと気に入ったようで
「床がコンクリートね」とはしゃいでいた。
「おまたせしました」と出て来てものは、大盛りのうどんにマイタケが入った焼きおにぎり、切干大根にハンペンやニンジン・シイタケの煮物などだった。Jさんはほとんど初めて食べる日本食らしい日本食に感動しているようで
「焼きおにぎりね、そう?」と僕に愉しそうに訊いて来たりした。
食べ終わり外に出ると、もうすっかりと陽が落ちて辺りは真っ暗になっていた。そう、文字通り真っ暗だったのだ。この妻籠というところ、街灯というものが一切なく、また各家から漏れる灯火も規制しているのだ。そのため、屋号を示した行灯以外の灯りはないのである。
空には月が輝き、街道沿いにぼーと光る行灯だけ。あまりの美しさにしばし自分を忘れ見とれてしまう。
「きれいね!」とJさんもこの幻想的な風景に心を奪われている。どちらからともなく手を繋いでゆっくりとこの夢の世界を歩いた。道を歩いている人は僕たちふたりだけで、別世界に降り立ったような感覚になった。僕の人生の中で最もロマンチックな時だった。
あまりの美しさとロマンチックさに僕たちは泊まっている宿の前を素通りし、妻籠宿の反対側の端まで行った。
「きれいね!」「きれいだね」何回となく、この言葉が行き来した。つづく…(2006.10.6)
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