果たしてその道は国道19号で、ここまでくれば後は持ってきたガイドを見ればよく、やっと一安心することができた。 国道19号を中津川方面に引き返し、落合のバス停から落合宿に入った。落合宿は明治天皇が休憩された本陣井口家や島崎藤村著‘夜明け前’の稲葉屋のモデルになった鈴木家など古い家並みも残っているが、いたって普通の田舎の通りである。観光客もほとんどおらず、静かな雰囲気がいい。 Jさんにとっては初めて見るものばかりのようで、いろいろなことを訊いてくる。「この畑の植えられている物は何?」「何でタマネギ干している?」「この家は何でこういう造りしている?」等々。しかし、それらにほとんど僕はまともに応えられない。情けない限りである。 木曽路口のバス停を下の細い道に下っていく。昨日の雨模様からは一転、空からは陽の光が眩いばかりに落ちて来る。歩くにはちょっと暑いくらいだ。ただ、木蔭に入るとやはり真夏とは違い、秋の匂いがしてくる。 落合川を渡ると、辺りは山道といった雰囲気が強くなる。竹林を抜け、さらに登りは続き山中薬師に着いた頃はもう12時を回っていた。予定よりかなり遅れていて、果たして妻籠に着けるのかと不安になる。少し休憩した後、再び旧中山道を歩き出す。
初めて見る山村の風景にJさんはしきりに しばらく歩くと木立に囲まれた中に十曲峠の石畳が現れた。石畳の道に入ると登りはさらにきつくなり、僕はJさんの手を握り引っ張り上げるようにして1歩1歩踏み出していく。ただ、道の両脇は木々に覆われているため、空気はひんやりとしていて心地よい。 十曲峠はその名の通り、くねくねと曲がりくねった坂道でいつまで続くのかと息も上がるくらいだったが、やっと登り終えることができた。道端にあった東屋で休んでいると汗でTシャツがびっしょりになっていることに気づいた。Jさんが買っておいてくれたチョコレートのお菓子をそれぞれひとつ、ふたつと頬張りまた歩き出した。
正岡子規の句碑辺りは稲がその穂を垂れていて黄金色の絨毯が広がり、その背景に竹林が広がっていた。Jさんは稲を初めて間近で見たようで 十曲峠は越えたが、道はゆるやかに登っているようで、暑いこともあり、なかなか歩は進まず、馬籠に着いたときはもう2時に近かった。これまでの道中、ほとんど人に会うことはなかったが、馬籠宿は観光客でごった返していた。この坂の宿場町は木曽路の中でも最も俗化されている。昔の街並みは再現されているが、その中身は現代的であり、古い衣装を被っているだけという印象は否めない。 馬籠宿入口近くにある食堂に入り、僕はきのこうどんをJさんはかけうどんを食べた。先を急がなくてはならないが、Jさんはおみやげ物屋などに入っていろいろと物色している。ちょっといらいらしてしまったが、まあなるようになるさと気楽に考えることにした。
水車塚などで休憩をとり、馬籠峠に着いた時にはもう3時を回っていた。峠には茶屋があるが、団体で来た観光客に占領されていた。 陽もだんだんと暮れていき、寂しい感じの道が続いたが、僕の心はとても穏やかになっていった。一石栃の番所辺りにあった水桶で顔を洗ったり手にかけたりして、熱くなった体を冷やした。Jさんは近くの民家の軒下にあった腰掛けに座っている。そんな光景が僕の心を安らかにしてくれた。 男滝・女滝を過ぎ、大妻籠に入る辺りで二匹の美しいアゲハチョウが花の周りを楽しげに舞っていた。僕たちは立ち止まり、カメラに収めようとすると二匹のアゲハチョウはふたり寄り沿いながら空の中に見えなくなった。僕とJさんは手を繋いで、彼らのようにまた歩き出した。 妻籠宿に着いた時は5時30分を超えていた。いろいろと見たいものはあるが、まずは宿を決めないといけないと思い観光案内所に向かったが、着いた時にはもう閉まっていた。困ったことになった。どうやって宿を見つけよう。僕の手元にあるのはもう15年以上も前のガイドブックだけである。それに頼るしかない。 幸い、このガイドブックには妻籠の旅館や民宿の電話番号も載っている。民宿の方から電話を掛け始めたが、早速心配の通りになってしまった。電話を掛けても誰も出なかったり、今はもう営業していないと断られたりした。部屋の空いている旅館もあったが、料金が高く、折り合いがつかない。
こうなったらもう片っ端から掛けるしかないと思いさらに電話を続けたが、たまにやっている民宿にかかっても断られたりした。これはいよいよだめかと諦めかけたが、8軒目の宿、民宿S屋に電話を掛けた。公衆電話の受話器に中で呼び出しのベルが鳴り始めると、それと呼応するように何処からか電話の呼び出し音が聞えてきた。 |