8月6日、キャンプ生活を続けていると、自然と早起きになっている。早起きといっても都会生活の早起きとはレベルが違う。都会では、6時に起きれば早起きということになるのだろうが、この旅行期間中、僕はほとんど5時前後には目が覚めている。そして、それは今日も同じだった。 朝、起きると気持ちいいくらいいい天気だったので、キャンプ場の近くを散歩した。まずは展望台と小さなお土産物屋さんがあるところまで行ってみた。当然、朝早いので店は開いていなかったが、廃れ方からもう店を閉じてしまったのかもしれない。展望台も、コンクリートが崩れ、鉄筋が剥き出しになったり、塗装がはげて錆びが浮かんでいたりと老朽化している。 しかし、その周りには力強く、生き生きと草花が生茂っていて、そんな光景をベンチに座ってぼんやり見ていると、心の中が不思議と温かくなってきた。変わるものと、変わらないもの、そのコントラストが美しい。 ぼーっと海を見つめていると、急にカラスが騒ぎ出した。異様な泣き声で、何かを訴えているように思ったら、茂みからキタキツネがひょっこりと顔を出した。キタキツネは僕の方をしばらく見ていたが、何も与えてくれないと察知したのか、トコトコ歩いてまた茂みの中に姿を隠した。 僕もキタキツネにつられるように、海沿いをぶらぶらと歩いた。岬のキャンプ場側の海、琵琶瀬湾は薄い霧の白い膜に閉じられていた。その白い膜の下には、幾艘もの漁船が波を切り裂き、白い軌跡を描いていた。昆布漁の船だ。 それらの船は勢いよく直線的に動いていた。いつしか霧の膜は薄くなって、太陽が海を、そして船を輝かせた。気づくと、僕以外にも多くのキャンパーが、ただ海をぼんやりと眺めている。一日の始まりだ。 テントに戻り、じゃがいもを茹で、紅茶を沸かし、昨日買ったプラムといっしょにとった。海を見ながらの簡素だけど、贅沢な朝食…。 9時過ぎ、テントはキャンプ場に張ったまま、出発した。まず、霧多布湿原の四番沢パーキングに行った。まだ、朝、早いため誰もいなかったが、別の角度から見る霧多布湿原は新鮮だった。この後、茶内駅を過ぎ、国道44号線で糸魚沢まで行き、郵便局のわきから、糸魚沢林道に入った。この旅、初めての本格的なダート走である。 よく整備されて走りやすい道だが、久しぶりのダートのため恐怖感が強く、途中で胃が痛くなったりした。入口と出口がやや勾配がきつい以外は平坦だった。抜けたところは火散布沼の近くで、近くにあったお店の前にバイクを止め、自動販売機でジュースを買って飲んだ。 ここで休憩していると、この辺りには他に清涼飲料水の自販機はないようで、いろいろな人が立ち寄ってくる。何となく、居辛くなりふらふらと裏手の方に歩いて行くと、幾つもの民家があり、さらに石がひかれた広い空間があり、家族総出でそこに昆布を干している光景が続いていた。 訝しげな視線を受けながらも、僕はかなり長い時間、ただその光景を見ていた。人の仕事、生活などが身近に感じられ、そこから離れ難い気持ちになっていたのだ。できれば、自分のあの中のひとりとなり、昆布を引っ張ってみたい。そんなことを思った。 さて、この後どうしよう…そんなことを考えた。家族総出の昆布干しの作業を見た後では、何をしても空々しいような感じがして、途方に暮れてしまったのである。 太平洋沿いの道を厚岸方面に向った。途中、涙岬に寄ったが、台風の影響か、岬までの道が危険な状態になっているようで、立入り禁止になっていた。その次に寄ったあやめが原でも気持ちはあまり乗らない。厚岸駅前にある食堂で、カキ丼を食べた後、国道に周り霧多布方面に向った。 それにしても、やけに暑い。北海道とは思えないような暑さだ。途中コンビニに入り、その軒先で買ったコーヒーゼリーを食べながら涼んだ。中からは、部活の帰りなのだろう、「暑い、暑い」とみんなでわいわいやっている高校生たちが、アイスクリームなどを手に持ちながら出てきた。 茶内の駅前から国道を離れ、琵琶瀬展望台に行った。ここからは霧多布湿原と蛇行して流れる琵琶瀬川を見ることができる。川の周辺には民家が建ち並んでいて、また開発が進んだようだ。 キャンプ場に戻ったときは、まだ2時を少し回った頃だった。炊事棟に、キャンプ場への帰り際に市内のスーパーで買った葡萄を持っていき、水で冷やしながら食べた後、霧多布岬まで徒歩で行ってみた。ここは前に来たときとあまり変わっていない。荒々しい絶壁とその上を覆う草原の対比がきれいだ。 3時過ぎに温泉に向ったが、その前にその近くにあるアゼチ岬に寄ってみた。太陽は西に傾き、人気のない岬は寂しかったが、とても穏やかに気持ちになった。ここも霧多布岬と同じに海鳥の繁殖地であるらしく、ウミネコが横からの陽を受けて舞っていた。 僕は突端にあるベンチに座り、ただ海とウミネコを眺め続けた…。 僕はこういう静かで何処か寂しい美しい場所が、とても好きだ。ただ、佇んでいるだけで、心が溶けていく。観光地化されていない素敵な場所、そんなところをこれからもたくさん訪れ、多くの時間を過ごしたいと思った。(2005.10.5) |