北海道旅行記 2005


稚内

 7月31日、雨は夜半に上がり、雲の間から薄日が差していた。日本最北の街へ出発するにはいい日だ。稚内までは、約100キロ。北海道では大した距離ではない。

 8時30分頃キャンプ場を出発、まずは遠別の遠別川河川公園に寄ってみた。ここは数年前にキャンプをしたことがあり、懐かしい気持ちが起きたのだ。僕がキャンプしたときは、設備は最低限のものしかなく殺風景だったが、今はずいぶんといろいろなものができていて、利用者も増えたようだ。素朴な風景が好きな僕としては、ちょっと寂しい気持ちになってしまった。

 天塩に向けて北上していると、歩道を麦藁帽子に大きな紺のリックを背負い白い手袋をしてやはり天塩方面に歩いている女性が見えた。何処かで見たような気がするなと思い、考えていると、彼女を追い越してしばらく経ってから、初山別のキャンプ場下の海岸で会った女性だと思い出した。彼女は歩いて旅をしているのだろうか?一瞬、引き返して話しをしようかと思ったのだけど、それも何かおかしい気がして、止めてしまった。こういうところが自分のダメなところだと思う。

 初めは雲の多い天気だったけど、天塩の道の駅に着いた頃には、ほとんど快晴になっていた。建物の前にバイクを止めると、携帯電話を使っている中年の男性が、僕のナンバーを見て、通話先の相手に「品川ナンバーも来たよ」と言っている声が聞えた。一体この人は何なんだと思いながら、トイレに行き、その帰りに缶コーヒーを買って出て来ると話しかけられた。

 彼は地元のライダーで、天気があまりにもいいので仲間を募ってツーリングに行こうと思ったらしい。先程の電話は、その呼び出しだったようだ。全部で5〜6人集るという。走るコースを訊くと、僕とほとんど同じだった。後から追い抜かれることを覚悟して先に出発した。

 しばらくすると国道40号を走っているのに気づいた。オロロンラインを走るつもりだったに、どうでどう間違ったのだろうとバイクを止め地図を見た。オロロンラインを走るには、天塩から海沿いに出ないといけなかったのだ。よく考えてみると、このルートを北上するのはほとんど初めてのような気もする。仕方ないと思い、南下沼からオロロンラインに出ることにしたのだけど、この道の途中にサロベツ原野ビジターセンターというのがあったので寄ってみることにした。

 サロベツ原野の中に作られた木道を歩いた。背の低い木々と草花に覆われた緑の世界の上に、青い空が何処までも広がっている。何処までも続く緑と青の世界。ほんとに美しく、心がやさしくなる。

 この木道は長沼からパンケ沼まで続いていて、片道約3Kmだ。パンケ沼は、何故か好きな場所で、近くを通るときは必ずといっていいほど立ち寄っている。3Kmはちょっと長いけど、僕は歩いた。

 途中で男性の旅行者とすれ違った。彼はパンケ沼のところにバイクを止めて歩いてきたらしい。40分も歩くと、パンケ沼に出た。駐車場に彼のオンロードバイクが止められていた。一息ついて、またもと来た道を引き返す。

 団体さんがゾロゾロを歩いてくる。しばらく歩くと、またバイクの彼とすれ違った。
「まだ、まだ来ますよ」と彼は笑って言った。彼の言葉通り、バス一台分の人々が次々とこちらに向ってくる。こういう場所は、独り静かに…と行きたかったのだけど。

 稚咲内でホタテラーメンを食べた後、さらにオロロンラインを北上し、稚内に着いたのは午後2時頃だった。稚内森林公園にテントを張り、ちょっときつかったけど、徒歩で市内に向った。やはり街中は徒歩でないと、いろいろな発見はできない。

 稚内はいたるところにロシア語の表示があり、アーケードの下を歩いているロシア人を見たりすると、最果ての街まできてしまったなという感慨が胸に広がった。稚内の駅前にある土産物屋さんで、絵葉書を買った。最果ての街から大切な人に葉書を送る。このロマンチックな考えは、僕を捕らえた。

 しかし、こういった想いとは別に、切羽詰った問題としてガソリンを入れるボトルを手に入れないといけない。使っている飲料専用のボトルの栓が、日に日にガソリンに溶け出しているような気がする。炎の燃え方に、明らかに不純物が含まれているような感じが出て来ていたのだ。

 僕は稚内駅から南稚内駅まで歩き回って探した。しかし、キャンプ用品を売っているような店は終に見つけることができなかった。仕方なく稚内駅前のアーケード街にあるスポーツ用品店に入り、訊いてみた。すると、サニータウンというホームセンターならあるかもしれないという。場所を教えてくれたけど、ちょっと距離があるようだ。歩き回ってくたくたになっていたため、また明日行くことにして夕食をとってからキャンプ場に戻ろうと思った。

 洋食の店に入り、オムライスセットというのを注文した。オムライスにナポリタン、サラダ、味噌汁などが付く。食後にコーヒーを飲んで、稚内公園入口の近くにあるスーパーで安売りしていたプラムを買って、キャンプ場まで続く急な坂道を登った。

 やはり徒歩は辛い。途中のベンチで稚内の街並みを見ながら休憩した。暮れゆく街並みは旅情を呼び起こす。僕はひとり、自分の世界に入っていた。


 8月1日、昨日の夜は一時雨が降っていたようだけど、その名残は草の上の露だけだった。その草の上をしばらく散歩した。この稚内公園キャンプ場は思ったより広く、かなり奥行きがある。さらに、丘の頂上へと繋がる道もついているのだけど、疲れていたので途中で引き返した。

 8時に今日はバイクで出発した。郵便局で50円切手を買い、昨日の夜、テントの中で書いた絵葉書に貼り付け、投函した後、北防波堤ドームに行った。全長427m、高さ13.2mの半アーチ状の建造物だ。倶知安の旭ヶ丘キャンプ場で会った72歳のライダーは、このドームの下はキャンプ禁止になってしまったと言っていたけど、数人キャンプしている人がいた。半アーチ状のドームの下に入ると、涼しい静寂に包まれ、不思議と気持ちが落ち着いてくる。

 さて、次は溜まった洗濯物を洗うためポートサービスセンターに行った。ここは観光客や港湾労働者のための施設でシャワー、コインランドリー、休憩室などが利用できる。着くと、駐車場にはバイクが一台と自転車が一台止まっていた。僕もバイクを止め、中に入ろうとすると、まだドアは閉まっていて9時開館となっている。今はまだ8時50分くらいだ。

 10分くらい待っていようと思い、バイクの方に向うと、僕に気づいたらしい中年女性が入れと合図した。
「9時になると、港の人たちが来て混むから」と言った。そして、コインランドリーの使い方を説明してくれた。自転車とバイクの人たちはシャワーを使っていたようで、しばらくすると若い男性がシャワー室から出て、そのまま外に行ってしまった。また、しばらくすると今度は若い女性が出て来て、彼女はシャワーだけでなく、洗濯をするため、僕の隣のコインランドリーを使い始めた。

 係員のおばさんとその女性の話しを何気なしに聞いていたら、彼女は昨日もここで洗濯し、シャワーを使ったようだ。まだ、若いのに旅慣れている。洗濯が終わり、外に出てバイクを動かそうとすると彼女が隣にやってきた。止まっていたバイクは彼女のだったのだ。
「トリッカーですか?」と僕は彼女に話しかけた。「実は、去年セローからトリッカーに買い換えることバイク屋にすすめられまして。どうです?」
「扱い易いですよ。でも、タンクが…。6リットルしか入らないのでツーリングにはちょっと不便ね。私も実はセローにしようかと迷ったんですよ」
「そうですか?」
「ね、利尻と礼文とどちらがいいと思います?」彼女はこれからフェリーに乗り、そのどちらか一方に行こうと思っているのだけど、なかなか決められないらしい。
「難しいですね…。どっちも行くというわけには行かないの?」
「日程的に無理なんです」
「そうだな…。どちらか一方と言われたら、利尻かな」
「人それぞれですね…。もうちょっと考えてみるね」どうも彼女の気持ちは礼文にあったようだ。僕が「礼文」と言えば、あっさりと答えは決まったかもしれなかった。

 洗濯物を片付けることと、もうひとつしないといけないことが僕にはあった。ガソリンを入れるボトルを手に入れることである。昨日、スポーツ洋品店で訊いたサニータウンに行ってみた。キャンプ用品はあったが、肝心のボトルはない。よく考えてみれば、このようなものはバイクや自転車でのキャンプ旅行では必要だけど、あまり需要があるとは思えない。代替品を考えた方がよさそうである。それに折角、稚内に来ているのだ。まだ、行ったことのない場所に行ってみようと思い、大沼までバイクを走らせた。

 大沼は殺風景な場所だった。バードウォッチング用の小屋があり、広い駐車場がその横に無造作にあった。大きな沼が目前に広がり、開放感がある場所であるが、来ている人は誰もいなかった。

 昼食は国道238号沿いにある小さな洋食の店に入った。コーヒーが美味しそうだったので、オムライスといっしょに頼んだ。旅先で飲むコーヒーというのは、何故か旅情を掻き立てられる。キャンプ場の帰りに、持ってきた文庫本を読み終わってしまったので、古本屋に入り適当に一冊買った。

 キャンプ場に向っていると、別のサニータウンがあった。入ってみると、ボトルはなかったものの1リットル入りのホワイトガソリンの缶があった。これで問題はほとんど解決である。

 キャンプ場に帰ってからは、ベンチに寝そべり、買って来た本を読んだ。適当に選んだ一冊だったけど、面白く長々と読んでしまった。昨日は、かなり汗をかいたのにお風呂に入らなかったので、今日は勇んで稚内の温泉施設、童夢に向ったが、何と定休日だった。北海道は月曜日に休む施設が多い。

 仕方ない、ノシャップ岬に周った。ほんとなら温泉に入った後、ここで夕陽でも眺めてからキャンプ場に戻ろうと思っていたのだけど、えらい早い時間になってしまった。

 ノシャップ岬は変わった。以前は木の看板だけがある風情のある場所だったけど、今はかなり醜悪になってしまった。周辺はコンクリートで固められ公園のようになってしまい、次から次へと観光客が押し寄せ、大型バスもそこいらじゅうに止まっていて、のんびりと佇むということができなくなってしまったのだ。地元の経済ということを考えると、大型の観光施設などもでき、よくなったかもしれないが、本来ここは利尻や礼文島がよく見えるだけで、何もないところだ。そういう場所には、それにふさわしい風景というものがあったはずなのだけど、それを壊してしまった。こうして趣きのある風景は失われていくのかもしれない。

 気持ちが落ち着かず、結局10分くらいいただけで、僕はキャンプ場に戻ってしまった。それにしても2日もお風呂に入れないと、気持ち悪くて仕方ないと思っていたら、隣にテントを張っている人が、
「風呂は3日おきくらいに入るのが気持ちいいんすよ。俺なんてあまり好きじゃないから、3〜4日入らないなんて当たり前っすよ」といって慰めてくれた。僕は、きれい好き、風呂好きなんだと心の中で思ったけど、彼の言分には大切なことが含まれているような気がした。

 最初にバイクで北海道に来たとき、層雲峡のキャンプ場で知り合った女性はお金を節約するため、風呂は2日おきと言っていた。そして、今日、ポートセンターで会ったトリッカーの女性は2日も100円のシャワーで済ましている。倶知安のキャンプ場にいた髭面の男性も、700円の倶知安温泉ではなく、380円の銭湯を使っていると言っていた。それに比べて僕は、ほとんど毎日、温泉に入っている。何だか、贅沢三昧の旅をしているような気分になってしまった。

 そんなにストイックに考える必要もないとは思うのだけど、しかし…なのである。何故、キャンプ旅行をしているかといえば、最大の目的はお金をかけず旅を安く上げるためだ。キャンプで宿泊費はほとんどゼロになっているのだから、このくらいは…と考えることもできるけど、少し心に引っかかるものは残る。

 残った野菜を入れたスパゲティと、コンビニで買ったインスタントのコーンスープの夕食をとった後、キャンプ場の端まで行って稚内の夜景を見た。ひとつ、ひとつの灯りが心に迫ってくる。いつか僕もひとつの灯りを持ちたいなと思った。つづく…(2005.9.7)


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