北海道旅行記 2005


倶知安

 7月27日、朝5時に目が覚めた。昨晩は蒸し暑く、寝苦しい夜だったが、いつのまにか眠りに落ちていたようだ。激しく降っていた雨もかなり小降りになっている。嵐の前の静けさというやつだろうか?

 TVと窓の外を交互に見ながら、ぼーっと時を過ごした。外の雨は7時過ぎにほとんど止み、歩いている人の傘はたたまれている。だけど、台風はこれから関東に上陸か最接近するようで、明日の夜、北海道にやってくるらしい。

 困ったことになった。台風の進路が道東方面になりそうなのだ。今日は静内まで行って、しばらくそこでのんびりして、そのあと霧多布を目指して東に行こうと思っていた。それだと自ら台風に向って行くことになる。

 台風から遠ざかるには西に向わなくては…。地図を見て、どうしようかと考える。いい場所が見つかった。倶知安の旭ヶ丘公園キャンプ場、街もに近いし、温泉も近くにあるし、ニセコにも近く、さらにこの苫小牧からも近い。半日で着くだろう。

 9時ちょっと前、小雨の中を出発した。7時頃には止んでいた雨が、また少し降り出していた。僕以外のバイクはまだ駐車場に置かれたままで、みんな様子を伺っているらしい。

 初めは小降りだった雨も支笏湖辺りでは、ほとんど土砂降りになっていた。すれ違うバイクは全くない。いよいよ台風の影響かと思っていると、倶知安が近づくにつれ小降りになり、キャンプ場に着いた頃には、ほとんど止んでしまった。キャンプ場には5〜6張、テントが張られていた。人影は誰も見えないが、バイクが数台止まっているところところをみると、テントの中でくつろいでいる人もいるようだ。時計を見るとまだお昼前だった。

 しかし、台風は接近中なのだ。いつまた雨が激しくなるかわからない。急いでテントを設営していると、
「お、がんばっているのがいるな。お、ここにもうひとり」という声が外から聞えた。ほとんど設営を終えたテントの中から顔を出してみると、50代前半くらいのTシャツに半ズボンの人懐っこそうな男性が笑ってこちらを見ていた。

 僕はみんな連泊しているものと思っていたのだけど、僕の隣の人も今日、雨をついてやって来たらしい。
「おにいちゃん、何処から?」
「今日、小樽から。今朝フェリーで着いたばかりです」
「そっちのおにいちゃんは?」
「苫小牧から。僕は昨日のフェリーで」
「そう、がんばるね」と言って、その人はキャンプ場の外に歩いて行ってしまった。ちょうど昼時だから、街まで昼食をとりにいったのだろう。このキャンプ場は無料で、街に歩いていけるし、そして温泉にも歩いていける。

 僕の隣にテントを張った人は大阪から来たそうだ。やはり台風の影響を考えて、走るのを早目に切り上げたらしい。長い髪を後で結んでいる鼻筋の通った凛々しい顔をした男性だった。少し話した後、彼はバイクで食材を買いに行った。

 僕も街に昼食をとりに行った。倶知安は飲食店の多い街だった。風情のある飲み屋横丁もあり、ドイツ人っぽい男性が野菜をいっぱい抱えて無国籍風の店舗の中に入って行ったりしていた。殺風景なラーメン屋さんに小さな洋食の店、街を歩き回り、お腹が極限まで空いていた僕は、表示橙だけが鮮やかな薄暗い丼物の店に入った。

 店内に入ると、「いらっしゃいませ」と機械的な女性の声が出迎えた。出入り口にセンサーがあり、それによって録音されている合成音の声が流れるようになっているようだ。一番奥の席に座ると、恰幅のいい中年の女性がメニューを持ってきて、
「お決まりになりましたら、食券をお買い求めください」と言って、出入り口近くにある券売機の方に顔を向けた。食券か…やや味気ない気持ちになったが、仕方ない。席を立ち、お金を入れ、カツ丼のボタンを押した。そして、それをその女性に渡すと、「注文入りましたよ」と奥の方に持っていった。

 しばらくして、カツ丼が出てきた。味噌汁と沢庵の漬物が付いていた。カツ丼といっても、馴染みのあるものとは少し違っている。普通カツ丼というと、カツを甘辛い出しで煮てタマネギや三つ葉といっしょに卵で閉じるものだけど、ここのカツ丼はごはんの上にまずそのままのカツを乗せて、その上から閉じた卵を乗せたものだった。味は可もなく不可もなくといった感じだ。

 昼食を終え、外に出てみると台風が接近しているのが嘘のように陽がさし、いい天気になっていた。気分がよくなり、街をまたぶらぶらと歩いた。知らない街を、自分の勘だけを頼りに歩くのは楽しい。何でもないものが、美しく見えたりして、小さな刺激が次々とある。

 3時過ぎくらいに、鉄道の陸橋を越え、倶知安温泉に行った。入浴料が700円とやや高いが、このくらいの贅沢はいいだろう。中は最近の北海道の定番で、露天風呂とサウナがあった。のんびりと体を休め、4時過ぎにキャンプ場に戻ると、昼に声をかけてくれたおじさんが、ベンチに座って本を読んでいた。髭面の男性と長身の若い男性が炊事場で、おしゃべりをしている。隣のテントの住人が
「ここ登るから、見ていてください」といい、キャンプ場の背後にある急な斜面を駆け上がっていった。かなりのハイペースで、元気があるなと思っていると、やがてその姿は見えなくなった。僕もそろそろ、夕飯の買い出しに行かないといけない。近くのスーパーまで行き、じゃがいも、トマト、ピーマン、たまねぎ、ニンニクといった野菜類と今日のメインとなる生姜焼きのタレ付き豚肉を買った。

 買い物から戻ると、隣のテントの住人はすでに急な斜面から降りてきていて、
「疲れました」と言った。
「かなりのハイペースだったではないですか?」と僕が言うと、うれしそうに笑ったが、
 「いやいや、もうだめです」といい、炊事場で夕餉の仕度を始めた。僕もそろそろと思い、彼の横に行き、じゃがいもの皮をむき始めた。長身の男性は何処かに行ってしまったが、髭面の男性はそこで、何かを煮ている。そして、僕を見て
「カレーライス?」と訊いてきたので、
「いえいえ、フライドポテト風にしようと思っているのです」と応えた。すると彼のコッヘルからいい匂いがしてきた。
「いい匂いが何処からしてくる」と隣のテントの住人が言ったので、僕は髭面の男性のコッヘルを指差して、
「あれ、カレーですよね?」と髭面の男性に訊くと
「いやいや、味噌汁だよ」と言われた。確かにカレーの匂いだと思ったのだけど、それはタマネギを茹でた匂いで、僕はそれを勘違いしてしまったらしい。

 髭面の男性は、タマネギが茹で上がった頃、味噌を入れ、それを丁寧に掻き回した。そして、それを食べるとさっさと後片付けをして、テントに戻った。僕は生姜焼きに添えるタマネギとピーマンを切り、まずはじゃがいもを茹で始めた。

 「吹いてるよ」気づくと、髭面の男性が僕の後に立っていた。
「いやいや、これはじゃがいもを茹でているのです。じゃがいもは失敗がないからいいです」と僕が言うと
「米は失敗があるからね」と言って笑った。ふと、彼の手に持っている物を見ると、歯ブラシだった。時刻はまだ6時を少し回ったくらいだ。
「もう、歯磨きですか?」と僕が訊くと、
「もう、寝る」と言って、歯を磨き、口を濯いで、テントに戻っていった。

 苦労して作った生姜焼きだったが、あまりうまくなかった。まず、米の炊き方がもうひとつだったし、野菜も多過ぎた。おいしく食べられたのは、フライドポテトくらいだった。

 8時過ぎ、僕も寝ることにした。テントの中でしばらく本を読んでいると、雨粒がフライシートに当る音がした。そして、それはだんだんと強くなっていった。


 7月28日、5時前に目が覚めた。雨の音は聞えない。台風は過ぎ去ったのであろうか?まだ、起き出すには早いと思い、寝袋の中でうだうだしていた。6時過ぎにトイレに起きると、もうほとんどの人が起きていた。よく考えれば、昨晩は8時過ぎにはみんな寝てしまったのだから、当然といえば当然かもしれない。

 「今度は僕が登ってみましょう」とバイクの整備をしていた隣の住人に声をかけ、急な斜面の階段をゆっくりと上った。すぐに展望台に出たが、その上にまだ階段は続いている。この斜面は使われなくなったジャンプ台のなれの果てだった。赤錆に覆われたジャンプ台の廃墟があったのだ。

 しばらく歩くとまた展望台に出て、しかしまだ階段は上に続いている。「もう、止めようか…」とも思ったが、隣の住人に声をかけてしまった手前、上まで行かないわけにはいかない。3つめの展望台を過ぎ、しばらく上ると頂上に着いたようで、もう階段はなかった。

 ほっとして辺りを見まわすと、○○少佐の銅像があり、説明が書かれたプレートがあったのだけど、疲れていた僕はちょっと目を通しただけだった。疲れ切って下に戻ると 「何かいたでしょう?」と隣の住人が声をかけて来た。
「なんとか少佐がいました」と僕がいうと、「そう、なんとか少佐」と言って彼も笑った。

 キャンプ場を見回すと、ほとんどの人が次の目的地に向うようで、あちらこちらでテントを撤収する姿が見える。髭面の男性は、もう少し滞在するのかなと思っていたのだけど、夕張方面に向うという。彼は北陸の出身で日本海を6月くらいからずっと北上して北海道に入ったそうだ。僕より4〜5歳上に見えるのだけど、いったいどのような仕事をされ、旅に出ていないときはどのように暮しているのだろうかと思った。

 しかし、それを訊くことはできなかった。それを聞けば、恐らく「今は無職」という応えが返って来るような気がした。あの、半ズボンの人懐っこいおじさんは、まだこのキャンプ場に滞在するらしく、オフロードバイクでニセコに向かって出発した。ジャケットを着ると、まるで別人のように締まるから不思議だ。

 連泊する僕はゆっくりと炊事場で朝食の準備をしていると、髭面の男性と昨日話していた長身の男性がやってきた。若い感じがしたが、そうでもなく30代半ばくらいに見えた。彼は北海道の人で、バイクではなく車にキャンプ道具を積んで周っているということだった。何でも、このキャンプ場で友人と合流するらしい。かなり冷めた見方をする人で、高いお金を出してウニ丼を食べるヤツの気が知れないと、僕のことを見透かしたようなことを言うのだった。

 隣の住人が出発するのを見送ってから、僕もニセコに向った。キャンプ場を出たときは薄日が差したりしていたのだけど、道道58号に入り、しばらくすると辺りは霧で包まれるようになった。そして小雨が降ってきた。雨具を着込み、また走り出したが霧と雨は酷くなる一方で五色温泉の辺りでは前方の視界が30mもないくらいになってしまった。

 しばらく走り標高がまた低くなると、小雨は相変わらずだったが、霧は晴れて来たのでニセコパノラマラインに入り、神仙沼の方に向った。しかし、標高が高くなるとまた濃霧の覆われ始め、危険を感じるくらいになり、僕は神仙沼に行くのを断念した。

 仕方なく、羊蹄山を一周して帰ろうと思い、南に下り始めると霧は晴れ、雨も止み、真狩村辺りでは空に青空が現れた。何という皮肉…。結局、一日ニセコで遊ぶ予定が、昼前にキャンプ場に戻ってきてしまった。

 前日に続き、倶知安の街まで昼食をとりに歩いて出かけた。昨日、倶知安に入るとき見かけたラーメン屋さんに行こうかと思っていたのだけど、途中で見かけた洋食屋さんが何となく可愛い雰囲気だったので引き寄せられてしまった。しかし、近くまで行くと、それはあまりにも可愛過ぎたため、初めの予定通りラーメン屋さんに行った。

 そのラーメン屋さんは、「おやじラーメン」という店なのだけど、実際にはおばさん二人と犬一匹で切り盛りしていた。少し不安ではあったが、出てきたしょう油ラーメンはおいしく、スープまで全て飲んでしまった。店内を見渡すと、何かの賞を受けているらしい。何だかとても得した気分になった。それにしても、倶知安の飲食店は食券の店が多いようで、ここもそうだった。

 さて、さて、僕には探さなければいけないものがあったのを思い出した。ガソリンを入れるボトルである。実は今朝、携帯コンロに白ガソリンを入れようとして、出発前に買ったボトルを開けようと思ったのだけど、これがなかなか開かない。一体どうしたのだろうと思っていると、ボトルの底に小さな取り扱い説明書が張り付けてあるのを発見した。それを読んでみると、「このボトルは飲料専用で、それ以外のものは入れないでください」とある。どうも、ガソリンがこのボトルの栓の部分を変形させてしまったらしい。

 強引にやったら何とか栓は抜けたが、今度は入らなくなってしまった。力を入れ、強引にねじ込んだら、とりあえず何とかなったが壊れるのは時間の問題のように思え、この倶知安で代替品を買おうと考えたのである。

 僕は倶知安の街を角から角までと言っていいほど歩いた。しかし、そのようなものは何処にも発見できなかった。余程、大きな街まで行かないと無理かもしれない。まあ、いつ壊れるかはわからないけど、今すぐというわけでもないし…と思い諦め、倶知安温泉に行った。

 温泉からキャンプ場に戻ってくると、新しい人たちが結構来ていた。しかし、今日は天気がよかったせいだろうか、普通のツーリングライダーといった感じの人が多いように思えた。スーパーで買って来たエリンギをメインにしたペペロンチーナを作って食していると、
「ここで食べていい?」と僕が座っていた向い側の席に、お爺さんといった感じの人がやってきた。
「ええ、いいですよ」
「えらいね、自分で作っているんだ。僕なんて面倒臭いから買ってきちゃう」とそのお爺さんはコンビニのお弁当を食べながら言った。このお爺さん、実はツーリングライダーなのである。釧路からこの倶知安まで一気にやってきたらしい。
「すごいですね!何キロくらいありました」と驚いている僕に
「460キロくらいだったかな?5時過ぎに出て、何処にも寄らなかったからね。それでもこんな時間」といって平然と応えた。年齢を訊いてさらに驚いた。何と72歳だったのだ。彼の話しを聞いていると、若い頃からバイクに乗っていたが、仕事が忙しく、なかなか夏にツーリングに行くことができなかった。定年退職したのをきっかけに、憧れていた北海道に毎年のように来ているという。夏になると血が騒ぎ、さらには奥さんも彼がいなくなるのを心待ちにしているようで恒例になってしまったらしい。

 僕は漠然といつまで自分はバイクに乗っていられるのだろうかと、‘自分の引退’を思い浮べたこともあったが、彼の出現でそんなこと考えなくてもいいやと思った。やれるうちはやればいい、ただそれだけだ。つづく…(2005.8.24)


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