北海道旅行記 2004 その10


雨で始まり、雨で終わる

 8月5日、最終日。朝5時少し前に目が覚めた。この旅の期間、目が覚めるのはだいたい4〜5時の間で、6時過ぎまで寝ていたということはない。では、よく眠れていなかったかというと、そんなことはなく、一度寝てしまえば、だいたい朝までぐっすりだった。北海道旅行最終日、23時59分発のフェリーで八戸に渡る。だから、苫小牧には9時頃までに着いていればいい。テントの中で、虚空をぼんやりと見ていた。

 しばらく経つと、外ではテントを撤収する音が、聞こえて来る。みんな今日の行動を開始している。ゆっくりできるせいもあるけど、何か物憂く気だるい気分だ。すぐ近くでも、さかんに物を動かす音が聞こえて来る。たぶん、大阪のライダーだろう。昨日のこともあり、彼の出発は見送ってあげたいと思い、外に出ると、すでにテントの撤収を終え、バイクに荷物をつけている最中だった。「おはよう」と挨拶をして、その作業を見守った。

 昨日のことを感謝され、「今日は積丹の方に行きます」といって出発していった。次々とライダーたちは次に目的地に出発して行き、キャンプ場に残っているのは、セロー2台だけになった。朝食にと最後に残っていたコーヒーを入れ、飲んでいるとカップルの女性の方がテントから出てきた。
「みんないなくなってしまいました」と僕が言うと
「早いですね」とにっこりと笑った。そのうち男性の方もテントから、出てきたので、しばらく立ち話をした。
「去年、会社を辞めて3ヶ月間、北海道を周っていたんです」とその男性は言った。
「会社を辞めないとできませんから」とも言った。それに、僕は同意した。
「今回はどのくらいの予定なんです」と僕が訊くと
「あと3週間くらい北海道にいようと思ってます。連れは来週から仕事が始まるので、札幌で下ろして、それからはひとりで」と彼は言った。僕はてっきり、ふたりは夫婦だと思っていたのだけど、違ったようだ。さらに意外なことに男性は僕と同じ東京在住なのだった。東北をキャンプしながら北上して、この北の大地に入ったそうだ。東京と札幌…、いったいどういう繋がりなのか、何処でどうやって知り合ったのか聞きたかったが、それはあまりにも私的なことなので止めた。

 それにしても、3週間いやそれ以上の休みがとれるとは、どのような仕事をしているのだろうか。そのことを男性に訊くと
「いや、何にもしていません。無職です」と応えが返ってきた。北海道では会社を辞めて旅をしているという人によく会う。しかし、自分が無職というとき、それを自然に言える人はあまりいない。何処か後ろめたそうだったり、逆に力が入り過ぎたりしていたり。しかし、この男性は何の気取りも、影もなく、自然に言った。

 よく考えてみれば、仕事は生活の一部でしかない。現代はその一部が肥大化して、全体を覆い尽くしている。だけど、彼はその一部を肥大化させず、むしろ縮小しているように思え、僕は何だか気持ちが軽くなったような気がした。出発するとき、炊事棟でふたり寄り添い朝食を作っている姿を見て、こういうのもいいものだなと思った。

 どのコースを辿って苫小牧に出ようかと悩んだ。一時は昨日のコースがあまりにもすばらしかったものだから、逆走してみようかとも思ったのだけど、それも気が引け、国道277号で八雲市街まで行き、そこから国道5号で北上することにした。

 国道5号で長万部まで行ったけど、このコースは北海道でも最悪に近い。交通量が多い上に、ドライバーのマナーは最悪、さらにみんな狂ったように飛ばしている。苫小牧周辺の道も酷いけど、ここはそれ以上かもしれないと思った。

 長万部から国道37号で噴火湾沿いに洞爺湖まで行く予定だったが、ふと標識を見ると黒松内という地名が目に止まった。黒松内といえば歌才のブナ林だ。ここは行って見たかったところのひとつで、Mさんに提案して脚下になってしまった。ちょっと距離はあるけど寄って行こうと思い、横道に入った。

 黒松内までの道は、長閑な田舎道だった。セローは、こんな田舎道をのんびりと走る姿が似合うと思った。僕はまた昨日のような幸福感に酔っていた。いつかこのような田舎道と山村を巡る旅がしたいと思った。

 歌才のブナ林は日本最北限で、公園のようになった駐車場のところから遊歩道が延びている。そこから林の中に入っていった、いきなり、ブナ林が始まるわけでなく、この遊歩道をかなりの距離歩いた先にある。ブナ林の入口には氏名、入林時刻を記帳するノートがあった。このノートを見ると、連日4〜5人の人がここを訪れているようだ。僕も名前を記載して、いざ出発と思ったが、遊歩道の案内板を見ると、いきなりきつい登りがあるようで、止めてしまった。これではMさんのことをとやかく言えないなと思った。しかし、ここに来るまでかなりの距離歩いているし、この続きはまた今度。

 再び国道に戻る途中で、朝から泣き出しそうだった空から、ついに雨が落ちて来た。それほどの雨量ではなかったが、バイクを止めて雨具を着た。そして走り出すと、雨が激しくなった。

 国道に戻り、礼文華峠のトンネル辺りではもう本降りになっていた。雨宿りと昼食をかねて、国道沿いのドライブインに入った。雨が降ると、バイクはほんとに辛い。店に入るのも雨具を脱がないといけない。

 この店はトラックのドライバーがよく立ち寄る店のようで、鮭フライ定食を注文したのだけど、鮭が2切れも付いていて、お腹がいっぱいになった。外に出るとあいも変わらず雨が降っていた。また、雨具を着込んで出発した。

 洞爺駅から洞爺湖方面に向かった。途中に有珠山西山火口群という標識が見えたが、何のことかよくわからず、洞爺湖の方に進んだが、展望台のような場所があったので寄って見ると、遠くに潰れた家などが見え、さらに人々がそこを歩いているではないか。あの、有珠山西山火口群という方向に行けば、間近で見学できるのかと思い、すぐに元来た道を引き返し、有珠山西山火口群に向かった。

 駐車場でお金を払うと「バイクは道路に止めておいてもいいよ」と言われ、その好意を受けることにした。そして、雨具を着たまま見に行った。ここは2000年3月、有珠山の噴火によって新しくできた火口群だ。その噴火による火山弾や火山礫で破壊された建物や車、断層のよって大きく隆起したり陥没してしまった道路や電信柱がそのまま残され、それが観光地化されて見学することができるようになっている。

 このツーリング期間中、ほとんど唯一の観光だったが、大きくうねった道路や、穴のあいた壁や割れた窓ガラス、曲がり波打つ建造物、地中深く落ち込んでしまった電信柱や隆起しせり出した排水溝など、ものすごい迫力で、地球のエネルギーの凄さに衝撃を受けた。また、今でも地熱があり、歩いているだけで、汗びっしょりになってしまう。外国の人も歩いており、学術的な価値も高いようである。

 僕の前に大型バスで乗り付けた団体が歩いていた。子供からお年寄りまで、みんなお揃いのヘルメットを被り、ガイドの男性の説明に熱心に聞き入っていた。つまらなそうに歩いている子供もいたが、勉強熱心な団体でどういう集りなのか気になった。散策路を頂上まで歩き、「それではこれから自由行動とします。えーと」とガイドの男性は時計を見て「今、14時ですので、14時30分までにバスにお戻りください」と言った。頂上付近にはいくつかの火口があり、それらと結ぶ木道が巡らされていた。

 僕は先程の熱心な態度から、みんな喜々として散策路を歩きだすのではないかと思ったのだけど、実際に見学に向かった人はわずかふたりだけ。後の人はすべて、ガイドの男性の話しが終わると、バスの方にぞろぞろと帰り出した。これにはガイドの男性も苦笑していた。僕はますますこの団体がどのような集りなのか気になった。

 火口群を一通り見学して、バイクのところに戻った。ここに着いたときから雨は上がっていたが、雨具を着たままだったので、脱ぐことにした。またいつ降り出してもおかしくないような空模様だけど、自分で勝手にもう雨は降らないと決めてしまったのだ。便宜をはかってくれた駐車場の係員さんに挨拶して出発した。

 洞爺湖温泉から洞爺湖の南岸を通り、国道453号で蟠渓温泉に向かった。国道453号は山村を結ぶ田舎道といった雰囲気だ。途中で雨がぽつぽつと落ちて来たりしたが、「まだ大丈夫、まだ大丈夫」と自分にいい聞かせて雨具を着なかった。その願いが天に通じたのか、雨はそれほど強くはならなかった。

 蟠渓ふれあいセンターに着いたのは、3時半くらいだった。まだフェリーの時間までには、かなりの余裕がある。ここでゆっくりしていこうと思った。蟠渓ふれあいセンターは、地元の人たちの社交場のような場所のようだ。地味だし、あまり旅行者は来ないのかもしれない。中に入ると、僕がバイクで入ってくるのを見ていた職員の人が「東京からせっかく来ていただいたのに、天気が悪く」とすまなそうに言った。

 浴室は小さく、4人入ればいっぱいになってしまうくらいで、あまりのんびりできない。たまたまいっしょになった地元の初老の男性も普通に入浴して、出ていってしまった。湯の温度も高く、上せそうになったので、僕も体を洗いすぐに出た。外の自動販売機でジュースを買い、休憩室で飲み、しばらく横になると、旅の疲れがずっしりと感じられた。

 4時を少し回った頃、出発した。美笛峠を越え支笏湖南岸に出た。苔の洞門でも見学していうかしらと思ったが、駐車場がすでに閉鎖されていて、それもできなかった。このまま国道276号で苫小牧に入るのも味気ないと思い、途中にダートがある道道141号で苫小牧に向かった。

 ここのダートはしまっていて大変走りやすかった。樽前山の方にいってみようかとも思ったが、すでに暗くなりかかっているので止めた。交通量はほとんどゼロで、のんびり気分で走っていたら、後から暴走車が来て、ひやっとした。後は苫小牧まで、見るところもない。午後6時過ぎ、フェリー埠頭に着き、今年の北海道ツーリングが終わった。つづく…


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