北海道旅行記 2004 その8


一日遅れの嵐

 8月3日、4時半に目が覚めた。テントを打つ、雨の音はしていない。どうやら、大荒れの天気ではないらしい。ひょっとしたら、嵐の前の静けさというやつかもしれないと思い、テントの外に出てみると、すでに隣の住人は空を見上げていた。

 空は微妙だった。しかし、曇ってはいるが、雲は高く、しかも薄く、大荒れになるとは思えなかった。雨は降るかもしれないが、小雨程度と僕は判断した。
「微妙だね」と老サイクリストは言った。出発しようか、どうしようか迷っている雰囲気だった。僕は自分の予想を言った。
「たぶん、降りませんよ。雲も高いし、たとえ降ったとしても小雨程度じゃないですか?」
その予想は彼の予想とそんなに大差はなかったようだけど、あまり走るのに気が乗らないようであった。
「う〜ん、確かに天気予報ははずれたようだけど、でも、降りそうだよな…」と言い、天気予報を聞いて見たいと言ってラジオを点けた。しかし、いつまで待っても、それは放送されない。彼は
「あなた、携帯電話持ってないの?」と僕に訊いてきた。携帯電話など、持っているはずもない。ちょっと話が飛んでしまうけど、この旅行中、携帯電話というものがやけに気になった。

 たとえば、苫小牧に向かうフェリー上でも携帯電話で、‘今、北海道行きのフェリーに乗っているんだ’とか‘フェリーが動き出した’とか話している人が結構いた。北海道に来てからも、キャンプ場で隣にいるキャンパーより、携帯電話で遠くの友達と話している人も多い。それで、旅情というものが出るのだろうか?旅というのは非日常の世界であり、そこに日常の付合いを持ち込むのは野暮も甚だしい。携帯電話など持っていては、ほんとの旅心などわからないように思う。

「持ってませんよ。ラジオすら持って来ていないんですから」と僕は言った。ラジオを持ってくる多くの人は天気予報などの情報が知りたいということと、長い夜の暇つぶしのためだろう。だけど、僕はそれにも反対なのだ。暇などつぶさない方がいい。暇を暇として受け入れないと、旅の深みは出ないように思う。長い退屈な時間は貴重だ。日常では、その貴重な時間をTVが潰してしまう。旅に出たときくらいは、それをじっくりと味わいたい。それに天気予報など、はずれたりもする。自分で空の雲を読み、それで行動すればいい。台風とかの重要な情報は、そんなものなくても入ってくるものだ。

 ラジオからも情報が得られないと思った彼は、目の前を通り過ぎる人誰彼かまわず、今日の天気を訊いた。だけど、それに対して彼を満足させるような情報は得られなかった。そうこうしているうちに、地元の古老が朝の浜辺に散歩に来た。
「今日の天気どうでしょうね」と彼は挨拶もせず、いきなり訊いた。
「う〜ん、大丈夫だと思うけどね」と古老はやや明るさが増した空を見上げていった。
「ちょっと、怪しい雲行きじゃないですか?」
「そういや、ちっと怪しいな」
「雨は大丈夫でしょうかね?ちょっとは降るんじゃないですか?」
「う〜ん、ちっとは降るかもしれないな」
とただ訊かれたことを返すだけで、一向に要領を得ない。確かに雨は降るかもしれないが、どうみても走りに影響するほどになるとは思えない。やはり、昨日の僕の見立ては正しく、彼は雨を理由にゆっくり休みたいのだと思った。しかし、彼は疲れたと言えない。常に疲れた疲れたと言っている僕とは、明かに違うタイプなのだ。

 まだ朝早いというのに、駐車場には車が次々と入って来た、それを見て、彼は
「これだけ次々と泳ぎに来るっていうことは、天気は持つのかもしれない。悪い予報が出ていたら来ないでしょ。大丈夫なのかもしれないな」
と言い、出発することを決心したようで、テントの撤収にかかった。僕はコーヒーを入れるお湯を沸かしながら、それを見ていた。
「もし、雨が降ったらどうするんです」
「とりあえず、余市の道の駅スペースアップルよいちに行ってみるよ。ここは屋根もあるし、もし雨が強く降ってくるようだったら、そこにテント張ってもいいし」と彼は言った。そして、5時半過ぎ、余市に向かって出発して行った。彼に付合い長い時間テントの外にいたため、足はかなりブヨに刺され、かなり痒かった。

 老サイクリストが出発してしまうと、話し相手もいなくなり、時間を持て余してしまった。Mさんが来るのは、早くて10時くらいだ。ということは、まだ4時間以上もある。まだ、朝も早いし、もう一眠りしようと思いテントに入ったが、陽が出て来たため、中はかなり蒸して暑い。

 せっかく、海に来ているのだ。天気もよくなってきたことだし、日光浴でもしようかしらと思ったけど、独りで砂浜に寝そべるのも気恥ずかしい。そこで、浜辺を散歩することにした。今まで、早朝は必ずといっていいほど散歩をしてきたのだ。

 テントの外に出ると涼しい風が吹いていて、気持ちよかった。その中をそぞろ歩いた。まだ、朝早いのに、もう泳いでいる人がいる。岩場で魚や貝を探している子供もいる。僕はただぶらぶらと浜辺を歩き、疲れたら日陰のある場所で一休み。まるで監視員のようであった。そんな、こんなしているうちに10時が近づいてきたので、自分のテントに戻ると、そこにMさんが来ていた。僕のテントは駐車場からキャンプ場に通じる階段のすぐ近くに張られていたため、僕のバイクを見つけ階段を降りてきたら、ちょうどそこに僕が帰って来たという形になったのだ。

 Mさんとは2年振りの再会だった。僕がタンクトップに半ズボンという格好で現われたのでちょっと驚いたようであった。挨拶をして、テントの中で着替えながら、これまでの旅の話などをした。
「それで、今日どこに行く?」とMさんが訊いてきたので
「まず、積丹岬に行こうよ。あそこには遊歩道があるし、その後ウニ丼でも食べて、時間があったら神威岬にも行ってみたいけど。黒松内のブナ林まではちょっと遠いかな?」と自分の希望を言った。
「黒松内は遠くてダメだよ」
「じゃー、それはなし」ということで、一日の予定はあっさりと決まり、Mさんの車で積丹岬に向かった。積丹岬には島武意海岸という全国の渚100選にも選ばれている景観もあるが、ほとんどの人がここだけ訪れて、積丹岬から続く遊歩道の方には行かない。せっかく自然の中を歩けるのだから、もったいないように僕は思うのだけど、それは札幌に住んでいてよく積丹を訪れるというMさんも同じで、これまで島武意海岸と積丹岬までしか行ったことがないという。それで、今回はその遊歩道を歩いて見ようということになった。しかし、その前に島武意海岸に行かないわけにはいかない。

 売店でアイスクリームをMさんに買ってもらい、岸壁を繰りぬいたトンネルを通り海岸に出た。島武意海岸は断崖の海岸である。その断崖と積丹の青い海との対比が美しい景観を創っている。ここからさらに、海岸に下りる階段が続いているのだけど、ここはふたりとも降りたことがあるので止めた。

 しばらく景観を眺めながらMさんと話し、アイスクリームを舐めていたのだが、どうも北海道のは溶けやすいようで、手のほうにクリームが流れてきたので、食べる速度を上げた。

 アイスクリームを食べ終えた後、トンネルを戻り、積丹岬に向かった。ここは登り坂になっていて、息が切れた。積丹岬は断崖であり、草に覆われている。展望台があり、積丹独特の青い海と荒々しい岸壁の海岸線を一望できる。ここからさらに遊歩道が出ていて、哀しい伝説がある女郎子岩に行くことができる。その先も遊歩道は続いているのだけど、今日はそこまで行こうということになった。

 積丹岬から草原に覆われた道を下っていく。海が近くに迫っているということが、信じられないような山中を歩いているような気分になる。途中には木々が生い茂った森のようになった場所もあり、変化に富んでいる。2年前にこの遊歩道を歩いたときは、あまり人に会わなかったのだけど、この日は反対側から来る人とぞくぞくとすれ違った。
「みんな歩いているんだね!」とMさんはびっくりしていた。遊歩道など、歩く人はいないと思い込んでいる彼女は、驚いたのである。しかし、これには僕も驚いた。僕はあれば遊歩道を必ず歩くタイプだけど、実際にあまり歩く人はいない。反対側から来る人をよく観察していると、みんな胸に同じようなバッジをつけているのに気づき、何となく理由がわかったけど、Mさんには言わないでおいた。
「そう、結構歩いているものだよ」とMさんの認識を改めさせるべく、教育的発言をしておいた。
「Hくんといっしょだと、いろいろなところに行けるね」とMさんは、やや皮肉を言った。数年前、支笏湖の近くにある樽前山を彼女と登ったことがある。この時、Mさんは疲れきり、「何でこんなところばかりに行きたがるの!」という顔をしていた。そして、また今日である。
「樽前山よりは、かなり楽だよ」というとMさんは、微かに笑った。実際にMさんは樽前山に登ったことを、店に来るお客さんに自慢気に話しているようで、客からも「あの山は標高はそれほどないけど、火山灰が積もったような地表だから滑って大変なんだ。よく登ったね」と言われ、さらに得意になっていた。

 岸壁と積丹の青い海が荒々しい風景を創っている笠泊海岸で一休みして、女郎子岩に向かった。女郎子岩は海に立っている女を思わせる巨大な岩のことで義経にまつわる伝説がある。義経が頼朝の追及を逃れてこの地まで来たとき、この地方の女と恋仲になった。しかし、義経は船に乗り大陸に渡ってしまった。女はいっしょに行きたいという願いも叶わず、海の中に立ち尽くしていた。それが、いつしか岩になったという伝説である。

 そんな伝説にふさわしい場所で、寂しく、Mさんと僕はしばらくベンチに腰掛け、ぼんやりとした。そのうち小雨が落ちてきたので、積丹岬に戻るため、来た道を引き返した。積丹岬に着いたときは、もう雨は止んでいて、僕も疲れて腰を下ろしたかったのだけど、近くにいた女の子の4人組みに
「あの〜、お疲れのところすいませんけど、シャッター押してくださいませんか?」と頼まれてしまった。Mさんはベンチに腰掛け、にやにや笑っている。断ることもできず、
「わかりました。これシャッターは何処?」と僕は、上がった息を整えながら言った。
「ここ押してもらうだけでいいです」と女の子はいい、積丹岬と書かれた看板の前でポーズをとった。
「じゃー、撮りますよ」と僕は声をかけ、シャッターを押し、カメラを彼女に戻した。
「あの〜、この遊歩道かなりきついですか?」と訊いてきたので、
「まあ、まあきついですよ」と応えた。「ありがとうございました」と4人は元気一杯、遊歩道に向かっていった。僕とMさんは疲れきり、それに空腹も重なり、とぼとぼと駐車場に向かった。そして、生ウニ丼を食べに向かった。

 積丹はウニの名産地である。道沿いにはウニ丼の店がずらりと並び、どの店に入ろうかと悩むほどだ。そんな中、元祖ウニ丼の店である岬に入った。この日は平日、さらにまだ一般的な夏休みには早いにもかかわらず、席は全て埋まり、立って待っている人もいるくらいだった。どうしようかと、僕たちは顔を見合わせたが、店の人が10分くらいで席が空きますからと言ったので待つことにした。僕は店内の雰囲気に圧倒された。これだけ、広い店内の席が全て埋まり、みんながウニを食べているのである。これはとてもひとりでは入れなかったなと、Mさんがいっしょだったことに感謝した。

 店の人のいったように、10分くらいで席は空き、僕らはそろって生ウニ丼を注文した。出てきた生ウニ丼は、どんぶりの上に生ウニがたっぷりと乗った正に丼と表現していいものだった。実は数年前に別の店で生ウニ丼を食べたことがあるのだけど、それはとても丼といえないような小ぶりの器に入れられていて、ちょっと今回も心配していたのである。 生ウニはウニの名産地であるだけに、おいしく、この旅行というよりは今年食べた物の中でいちばんおいしいものだった。僕はできるだけ、ゆっくりと食し、Mさんにもそれを指示した。Mさんは、微かに笑い、
「そうだね、こんなに美味しい物一気に食べたらもったいないね」とその指示に従った。
 ウニ丼を食べ終えた後、神威岬に向かった。その昔はアイヌ民族の聖地で、女人禁制だった場所である。Mさんは何度も神威岬に行っているような話しをしていたのだが、岬に着き、よくよく訊いてみると何と岬の先端までは行ったことがないという。歩くの面倒臭くて、駐車場からちょっと歩いたところにある展望台まで歩いただけだったそうだ。神威岬に行って、先端まで行って神威岩を見ないとは刺身を注文してツマしか食べていないようなものである。あまり乗り気ではなかったようであるけど、先端まで行こうと説得した。

 展望台から神威岬の先端までは、細い一本の歩道が通じている。この道は崖の上を通っている細いもので、鉄製の心細い橋になっているところもあり、風の強い日は危険なため通行止めになる。この日は、徐々に風が強くなっていたが、何とか通行することができた。風は崖の下から吹き上げて来るような感じで、特に鉄製の橋になっているところは、足元の隙間から這い上がってくるので、体が持ち上げられそうな錯覚に陥る。

 Mさんは、始め乗り気ではなかったが、歩いているうちに「すごい!すごい!」と連発して、「ここは歩く価値があるね」などと言っていた。「岬の先端に何があるか知らないの?」と訊くと、「知らない」という。北海道に住んでいながら、まして札幌に近い積丹にもかかわらず、ずいぶんと迂闊な人だなと思った。細い歩道は人がすれ違うときは、お互いに体を横にしなければいけないほどだ。今は道が整備されているから誰でも岬の先端まで行けるが、その昔はかなり勇気に富んだ人でないと歩けなかったのではないかと想像した。

 岬の先端から海を見ると、昔から変わらぬ人の形をした巨大な神威岩が波間からそそり立っていた。女郎子岩は胸の前で手を合わせたような形をしていて女性的な感じがするが、神威岩は男性的で昔のアイヌ民族の衣装を着ているような形だ。Mさんは「すごい、すごい」と何枚も写真を撮っていた。

 この後、さんにキャンプ場まで送ってもらい別れた。神威岬に行ったくらいあたりから、風が強くなっていたが、ペグ打ちがいい加減だったため、テントに戻ると横倒しになっていた。テントを立て直し、ペグを石でしっかりと打ってしばらく休んでいたが、雨が落ち始めて来たため、岬の湯しゃこたんに行った。

 雨がぽつぽつと落ちているなかの露天風呂はなかなかよかった。上気した体にほどよい雨が気持ちよかった。入浴の後、今日はここで夕食をとろうと思い、カツカレーを食べた。昨日の夜で米がなくなり、残っている食材はスパゲッティが1食分とタマネギ半分、それとニンニクが2株だけになっていた。明日は何処でキャンプになるかわからず、とっておこうと思ったのだ。

 カツカレーを食べた後、休憩室で横になり、うとうとしていたが、だんだんと外の景色が荒れ気味になっていった。雨はそれほどでもなかったが、風がかなり強くなってきたようなので、テントに戻ることした。

 テントに戻り、地図で明日のコースをどうしようかと考えていると、風がさらに強くなり、テントの側面が押されるようになった。時折、突風のような風が来て、浜辺の方からは子供の叫び声が聞えるようになった。風は時間とともに激しさを増した。僕のテントは幸いにして、駐車場への階段のすぐ近くに張られていたため、風をまともに受ける場所ではなかったが、海辺に張った人達はテントを放棄して車に避難を始めた。僕のテントも風に激しく煽られ、おかしいなと思ったら、前室のポールが折れていた。風は外に出られないほどで、尿意をもようしたときは紙コップの中にして、外に棄てた。

 風の強さは軽い恐怖を覚えるくらいになった。僕のテントはもう10年以上前に買ったものだけに、ところどころに疲労がきていて、今度は本体のポールが曲がるのではないかと心配になった。風で押されて体の方に寄って来るテントの生地を寝袋に包まりながら、手で押さえポールにかかる負担を減らそうとした。しかし、睡魔には勝てず、いつしか眠りに落ちていた。つづく…


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