北海道旅行記 2004 その7


トンネルを抜けると

 8月2日、朝5時前に目が覚めた。今年は暑い北海道のせいか、ほんとに夜はよく眠れる。東京のように、昼が暑くても、夜も暑いということはなく、ちょうど眠るにはいい気温になっている。これが昼寒いと、夜はもっと寒くなり、なかなか眠れなくなってしまうのだ。夜10時くらいに眠りにつくと、ほとんど朝まで目が覚めることはない。

 テントから出ると、辺りは霧に包まれていた。今日は長い距離走らないといけないので、早めにテントの撤収にかかった。このツーリング、予定らしい予定はないのだけど、ただ1つ、札幌の友人Mさんと3日に会う約束になっている。その会う場所を自分の中で積丹に設定しているので、そこまで何とか辿りつかないといけない。昨日は疲れがあったため、あまり長い距離を走らなかったが、地図で積丹までに道を確認して、ちょっと後悔に似たものを感じた。

 テントの撤収が終わった後、雨具を着ようか迷った。今は雨も降っていないし、路面も濡れていない。だけど、この霧、さらに空も怪しい…、どうしよう。だけど、雨具を着たらほんとに雨が降ってくるような気がして、着るのを止めた。

 国道336号で広尾方面に向かった。大樹町でバイクにガソリンを入れるついでに、ジュースの空き缶にも、ガソリンを入れてもらう。今度は落さないようで、しっかりとゴム紐に結んだ。国道336号にするか国道236号にするか迷った。えりも岬によっていたら、積丹まできつくなりそうだし、どうせ濃霧に覆われているだろうと思い、時間が短縮できる国道236号を選んだ。しかし、この国道に入ってすぐに、心配した雨が落ちてきたのである。今日は一昨日のようなことにならないため、早めに雨具を着た。

 天馬街道と呼ばれる国道236号は、思ったように山深い中を走る。両側に木々が生い茂った山が迫り、人を寄せつけない。この街道だけが、人間が通行を許された道なのだ。この天馬街道の峠には道内最長の野塚トンネルがある。この長さが4232mもあるトンネルを抜けると、何と反対側はきれいに晴れているではないか。僕はトンネルを抜けるとすぐにある翠明橋公園に入った。

 ここはトイレもあり、湧水もあるきれいな公園だった。ベンチに座り、雨具を脱いで広げ、乾かした。陽に当っていると幸せな気分になってきた。トンネルに入る前は、雨が降っていて寒いくらいの陽気だったのだから、当然かもしれない。北海道はトンネルの入口と出口で、天気がまったく反対になるということがよくあるが、これほど鮮やかに変わるというもの珍しいと思った。雨具が乾くまで、この公園で風と陽の感触を楽しんだ。

 しかし、国道236号を浦河方面に下るにつれ、また天気が怪しくなった。雨こそ降っていなかったが、いつ降ってもおかしくない感じだ。時間はすでに11時近くなっていて、こんなことなら昨日もっと走っておけばとさらに思った。

 浦川から国道235号で苫小牧方面に向かった。この区間はあまり北海道らしさがない、シーサイドラインである。小さな街が続いているせいかもしれない。苫小牧の少し手前の鵡川で昼食をとった。漁火丼というイクラ、ホタテ、シャケ、イカなどの刺身がのった丼で、やはり海のものはいいなと思った。魚介類が好きな人にとって、北海道は天国のような場所だ。

 どうやって積丹まで行こうかと考えたが、最短距離を行くことにして、苫小牧から国道36号にのり、札幌を目指した。この国道は車が多いが、車線も片側3車線あるので、以外と流れはいい。混み出したのは、札幌に入ったからで、この北の大都会を抜けるのにかなりの時間がかかってしまい、小樽に向かう国道5号にのったときには陽は大きく西に傾いていた。

 小樽から国道229号に乗り、積丹に向かった。西に傾いた陽が、正面から顔に当った。道営野塚野営場についたときは5時を回っていた。しかし、海岸にあるこのキャンプ場には多くのキャンパーがすでにテントを張っていて、スペースがほとんどなかった。唯一見つけたところは、駐車場からの階段のすぐ近くだった。まあ、炊事場にも近いし、明日適当な場所が空いたら移動しようと思い、ここにテントを張ることにした。後から考えればこの場所が、残り物には福があるという形になったのだ。

 しばらくすると60代と思われるサイクリストがやってきた。
「隣にテント、張ってもいいですか?」と訊かれたので
「もちろんです。こんな辺鄙な場所で寂しく思っていたところです。誰かきてくれないかなと思っていたところです」と応えたら、笑った。
「いや、いや、ここは最高の場所ですよ」とその人は言った。
「今日はどちらからですか」
「岩内から」
「というと、距離はどのくらいでしょう?かなりあるんじゃないですか?」
「140Kmほどでしょうか」
僕は驚いた。先日話しを聞いたサイクリストといい、この老サイクリストといい僕たちの時よりはるかに長い距離を走っている。これは自転車が進化して、長い距離を走っても疲労が少なくなったのだろうかと真面目に考えた。
「それはすごいじゃないですか?僕も昔、北海道を自転車で旅したことがあったけど、最長で120Kmくらいでしたよ」
「いや、いや、何にも見ていませんから」とテントを設営しながら、彼は笑っていった。

 僕は、そろそろいい時間になってきたので彼にことわり、入浴に行くことにした。始めはこの野営場の目の前にあるホテルしゃこたんで入浴しようとしたのだけど、改装のため営業していなかったので、バイクに乗り、2Kmくらいのところにある岬の湯しゃこたんに行った。

 岬の湯しゃこたんは最近できたばかりの施設のようで、かなりきれいだった。露天風呂もあり、ここから積丹の海を一望できる。この日は行った時間が遅かったため、イカ釣り漁船の漁火が鮮やかに海の上に点っていた。

 ここの湯はかなり塩分が強いようで、肌がすべすべになる。美人の湯とか呼ばれる類のものだろう。露天風呂のほうは湯もぬるいので、長い時間入っていられるのでいい。休憩室も広くて開放感があり、長い時間居られるし、食事もできる。気がついたら1時間半も粘ってしまい、当りはもう完全に暗くなっていた。

 テントに戻ると、隣の住人は眠ってしまったのか、テントの中に入っていたが、僕が食事の準備を始めると出てきて、「見ていていいですか?」と訊いてきたので、「どうぞ」と応えた。今日はご飯だけ炊いて、それにレトルトのカレー、コンビニで買って来たパスタのサラダだ。飯炊きを始めると、彼は「米から炊いているの?」と訊いてきた。どうも最近は米から炊く人が少なくなったようで、彼もこの旅行で始めて見たと言われた。そういえば、僕も米から炊いている人を今年はまだ見ていない。「自分でおかずも作るの?」と訊かれ。「たまに」と応えると「えらいなぁ」と言われてしまった。

 しかし、じっと見ていられるとかなりのプレッシャーだ。この旅の間、米は3回炊いて、成功1回なのだ。しかも、失敗のうち1回はリカバリー不能な失敗だった。もし、失敗したら、僕はまずいご飯を我慢して、おいしそうに食べないといけない。これは、絶対に失敗はできないぞと思った。失敗する原因はほとんどが焦りなので、彼と話しをしながら、じっくりと時間をかけた。旅行の予定を訊くと
「海沿いに北海道一周するんですよ」と言った。
「何日の予定ですか?」と訊くと
「北海道一周は2300〜2500Kmって言われているんですよ。だから、1日100Kmとして25日って計算しているんですよ。今までずっと100Km以上走っているけど、雨で走れない日も出て来るだろうし」と言った。
「何処かに寄ったりだとか、しないんですか?」
「観光はいっさいしてません。ただ、海に沿って走るだけ。自分だって観光してないでしょ?」
「していないです」
「もう何回も来ているんでしょ?」
「ええ、十数回かな?」
「それだったら、わかるでしょ?僕も仕事でよく来ていて、数年前なんて、車で4000Km走ったんですよ。その時、自転車で旅行している人に会って、若い子だったけど、‘僕にもできるかな?’って訊いたら、‘やろうと思えば何でもできます’って言われて、それじゃやってみようって」

 彼は年の割にはかなり話し好きのようだった。この後、いろいろと今回の旅行で会ったことを話してくれた。それらはいかにも北海道らしい逸話で、僕は納得しながら聞いていた。そうこうしているうちに飯が炊き上がった。やや心配なところがあったが、コッフェルふたをとり、ご飯を摘んで食べてみると、これまでで最高といっていいような炊き上がりで、「これは大成功です」と言ったほどだった。カレーとサラダを食べながら、話しは続いた。

「こんばんは〜」と炊事棟から通りかかった男性が声をかけてきた。その男性の話によると、台風崩れの熱帯低気圧が来るとかで、明日は大荒れになるとのことだった。
「僕たちはもう連泊を決めました」と言った。この一言で老サイクリストはすっかり慌ててしまった。
「ここから一番近い店ってどのくらいの距離あります?」とその男性に訊いた。
「一番近いコンビニまで18Kmです」とその男性は応え、去っていった。
「そういえば、さっきラジオで言っていたんだよな。何処のことかわからんかったけど」と弱気に言った。
だけど、とても明日は大荒れになりそうな天気ではなく、風も波も穏やかだったので
「天気予報なんて、あてになりませんよ。明日になってみないとどうなるかわかりませんよ。そんなに荒れるとは思えないんですけど」
「いや、いや、そういうことじゃなくて、荒れたら大変でしょ」とテントのぺグを打ち直した。そして
「あなた、雨降っても走るの?」と訊いて来たので、
「う〜ん、状況次第ですけど、明日は友人と会う約束があるので、雨が降っても、降らなくても連泊しますけど」と言うと
「それだったら、もし雨が降ったら、コンビニまで行ってお弁当買ってきてくれないかな?何も食料持っていないんですよ」と頼まれてしまった。ちょっと迷惑に感じたけど、そう頼まれてしまっては仕方ない。気持ち良く「ええ、いいですよ」と言った。その後も彼はさかんに天気のことを気にしていた。それを聞いていると、どうも雨が降ってほしいと思っているような気がした。

 彼の言葉を信じれば、ここまで休みなしに120Km以上の距離を走っているのだ。疲れがたまらない方がおかしい。疲れたから休むということが、彼にはできないのかもしれない。もし、雨が降ってくれたら、それが自分を納得させる口実になる。僕はMさんと会うのだから、何とか天気は持ってほしいけど、彼の気持ちが何となくわかった。

 しかし、この後、急に彼は反省を始めた。
「僕は自立していないね」
「え、どうしてですか?」
「だって、あなたにお弁当頼んでいるし…。自転車だと余計な食べ物を持っていたくなくてね。これからは、考えないとね」
「まあ、世の中助け合いですから、あまり気にしなくても」と慰めた。僕だっていつ人の世話になるかわからない。彼とは10時近くまで話をして、お互いのテントに戻った。つづく…


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