北海道旅行記 2002 その2


8月3日 苫小牧上陸、だけどさぶい…

 久しぶりに飲んだ酔い止めの薬が効いたせいか、よく眠ることができたが朝起きてもまだ頭がすっきりしない。前に量を間違えて飲んだ時にひどく効いて困ったことがあった。体調はあまりよくないようだ。昨日から下痢になってしまったが、今日になってもそれが続いている。ここのところ冷たいものばかり飲んでいたから胃腸が疲れているのかもしれない。こんな時、朝飯は抜いて寝ているほうがいいと思い、またベッドに横になって体を休めるようにした。そのうち昼飯の時間が近づいてきた。フェリーの食事はイマイチおいしくないので北海道に上陸してからとも考えたが、そうすると走る時間が短くなってしまうのでフェリーで取ることにした。

 11時30分からレストランが開くがそれよりちょっと前に行って並んだ。昼食は一律800円のようでメニューはビーフカレー、中華丼、ピラフ、スパゲッティの中から選ぶようだ。それに味噌汁とコーヒーまたはお茶がついてサラダもあるようだ。僕はとりあえず一番無難そうなビーフカレーを選び、サラダはすきなだけ自分でとれるのでお皿いっぱいに盛りつけた。それにしてもレストランもかなり安っぽくなってしまった。今までも味はそんなにおいしいと思ったことはないが、レストランっぽい雰囲気はあった。特に釧路行きの近海郵船はそうだった。これも時の流れなんだろうか?

 フェリーは午後1時30分に苫小牧に着いた。バイクは乗るときは最初だけど、下りるときは最後になってしまう。それに今までは船が完全に着岸する前から車両甲板に降りていたけど、今回からは完全に止まってさらに安全が確認されてアナウンスがあるまで船室にいないといけないようになったようだ。だから、今までと比べると船が止まってからかなり長い時間船室でゆっくりしていた。ちょうど1つ隣の人もバイクのようだったので話をした。
「今日は富良野くらいまで行きたいと思っているんですがどうでしょう?」
と聞いてみると
「余裕でしょう」
という答えが返ってきた。彼も富良野かまたはニセコを予定していたようだ。そしてニセコに向うことにしたようだった。僕は富良野まではちょっときついかな?と思っていただけにあまりにも彼が自信を持って言ったのでちょっと以外だった。これは乗っているバイクの違いかもしれない。彼のヘルメットから推測するとオンロードバイクらしい。僕のバイクはセロー…、その差なのか?それとも根性?彼に何時くらいまで走るのかを訊いてみると6時という答えが返ってきた。どうやら時間の差らしい。僕は6時まで走るつもりはないから。2時から走り始めて5時としても3時間。途中での休憩を考えると2時間ちょっとかもしれない。まあ、とにかく焦らない事だ。

 下船したのは2時ちょっと前だった。想像通り、涼しいという感覚を通り越して寒い。まだ雨が降っていないだけましかもしれないが、空はどんよりと曇っていていつ雨が降り出してもおかしくない天気だ。フェリー埠頭を出てすぐに道を間違えて反対方向に名走ってしまった。始めから今回の旅を暗示させるようなことだ。すぐに間違いに気づき国道235号で門別に向った。それにしても苫小牧は本当に殺風景な感じの街だ。工場の高い煙突が何本も立ち、あまり生物の匂いが感じられない。何もないという表現がぴったりだ。

 日高自動車道という無料の自動車専用道路に何時の間にか乗っていた。ここは流れも速くその上、片側1車線なのでセローだと後からのプレッシャーがきつい。後から車が迫って来ると安全な場所で左側によりやり過ごす。とてものんびりできる気分ではない。それでも苫小牧から離れるにつれ、車の数は少なくなってきた。それにしても苫小牧周辺は殺風景な風景が続く。門別から国道237号で平取向う。それにしても肌寒い。猛暑だった東京からこの寒さの中に入ったら体はなかなか順応できない。せめて青空が少しでも顔を出していたら少しは気分もよくなっていたかもしれないが、どんよりと曇って寒いためだんだんと考えも狭く暗くなってくる。

 今の会社を9月末で退社することにしたが、それがとんでもない間違いだったのじゃないかとも思いが頭に浮かんでくる。会社を辞めて果たしてどうなるのだろう?社会にもう参加できなくなるんじゃないだろうか?また働くことができるのだろうか?いい仕事が見つからないのじゃないか?というような消極的な考えが頭には浮かんでは消える。これも寒さと天候の悪さと体調のせいなのかもしれない。

 平取では二風谷のアイヌ文化資料館による予定だったが、中に入って見学する気になれなかったので、二風谷湖の辺でぼんやりしていた。‘自然のすべてが神’というアイヌの思想には共感を覚える。日本人はもともと‘自然と共に生きる’という思想が強かったはずだが、西洋のように‘自然を征服する’という考えが強くなってしまったような気がする。ぼくは自然と共生するような生き方をしたい。湖を見ながらそんなことを考えていた。

 何処からかテクノ系の音楽が微かに聞こえて来る。近くで小さなコンサートでも行なわれているのかもしれない。天気のせいもあるだろうが、あまり人を見かけなかった。それにまだ旅行の予定もほとんど決まっていない。とりあえず最北端の稚内までは行ってみたい。フェリーの中で考えた結果、まず稚内に直線的に向う方がいいのではないと思った。したがって富良野から旭川、士別、名寄、音威子府、豊富と行くルートだ。そしてオホーツク海側にでて浜頓別、紋別、網走と南下する。しかし、稚内に行くまでがあまり面白くないような気もする。予定も定まらず天気もよくなくさらに体調も悪いため、走りにも張りがなく予定の富良野まではとても行けない状況になっていた。

 結局、富良野のはるか手前の日高にある沙流川キャンプ場でキャンプすることになった。カラマツキャンプ場の方が静かそうな気がしたので探したのだが見つけることができなかった。今はなくなっているのかもしれない。それにここは稚内までのルートを時計回りにするか反時計回りにするかも分岐点でもある。ここにキャンプするということはぼくの迷いが端的に現われた結果だと思った。それにここには沙流川温泉もあり、ひだか高原荘で入浴もできる。寒いときはやっぱり温泉にかぎる。

 キャンプ場にテントを張り、すぐに徒歩でひだか高原荘に入浴しに行った。ひだか高原荘のお風呂は日高石を配した大きな浴場だった。冷え切った体には温泉が気持ちいい。お湯の身を静め、ゆっくりと入浴した。入浴を終え、外に出ると小雨が間断なく降っていた。ついに降って来たかという感じだ。これから街まで食事と買い物に行かなくてはならないのに…。傘を持って来ていないため、あまりぶらぶらはできない。ただ、ひだか高原荘の外に電話ボックスがあった。Aさんにも連絡がとりやすい。去年などはキャンプ場から30分くらい歩いて電話を掛けに行ったこともあった。

 食事をとりに街の方に向って歩いた。近いと思っていたがなかなか国道まで出ない。せっかく温泉で温まってもこれではあまり意味がなかった。国道に出ると道の駅があったのでここで何か食べようと思い寄ってみると蕎麦屋さんあったので入ることにした。そばだとすぐにお腹が減ってしまいそうなので天丼セットを頼んだ。これにはおそばも付いていた。天丼には天ぷらが山盛り乗っていて味もまあまあよかった。料理人はしっかりしたおじさんだったが店員は高校生のアルバイトのようだった。あまり接客に慣れていない感じだ。あとは明日の朝食のパンと飲み物を買っておきたかったが、道の駅にはなかった。街の中を探せば見つかるだろうが、この雨の中あまり歩きたくなかった。とりあえず道の駅にあった売店で電池を買ってテントに戻った。

 テントに戻ると雨と汗で濡れた体をタオルで拭いた。時刻はまだ7時を少し過ぎたところだ。早くAさんと連絡をとりたかったが今の時間帯だと夕飯時の可能性が高いので8時過ぎまで待つことにした。その間に地図を見てだいたいの予定を立てた。8月7日くらいに稚内に着きそうだ。Aさんは8月4日までは中標津、その後、上湧別に移動するようだ。この予定だと8月10日くらいに上湧別を通過しそうだ。何となく予定が立ったので少しほっとした。

 時刻が8時を回ったのでひだか高原荘の電話ボックスまで歩いて行った。まずAさんの携帯に電話をかけた。ちょっと緊張した。すぐにAさんが出て近況を聞いたり話したりした。どうも中標津もあまりいい天気ではないらしい。Aさんの予定を聞くと8月5日まで中標津にいて8月6日から上湧別に移動するという。8月10日くらいに上湧別を通る予定だからその時会えないかと訊いたら
「予定を変えたの?」と訊かれた。ちょっと怒っているのか怖い感じだ。会社では苫小牧から帯広方面に向うと話していた。反時計回りの予定が時計回りになってしまったのだから全く正反対になってしまったことになる。
「変えた」と伝えると、
「上湧別ではお世話になる牧場の手伝いも忙しいし、携帯も通じないから無理」との答えが返ってきた。中標津に戻ってくるのは8月11日くらいだそうだ。ぼくは8月12日のフェリーで苫小牧から帰る予定だから8月11日に中標津辺りをうろうろしているということはかなり危険というか、帰りのフェリーに乗ることは難しくなってしまう。
「じゃー、今回は会えないわね。話は会社に行ってからにしましょう」とほとんど一方的に電話を切られてしまった。その時は面食らったが予定を変えたことを怒っているのは確かだった。Aさんは中標津で8月5日に会うことを予定していたようだ。だから当初の予定を1日延ばしたのかもしれない。

 テントに戻りながらいろいろと考えてみると予定を元通りにすれば8月5日に中標津に行くことは難しくない。「そうだ元に戻せばいいんだ」と気づき、引き返してすぐにまたAさんの携帯に電話をしたが電源を切られてしまっていた。怒って切ってしまったのか、それとも子供でもお風呂に入れるため切ったのかわからなかったが、今日のうちには連絡をつけて起きたかった。お風呂だとすると1時間くらいは間を空けたほうがいいだろうと思いテントに戻った。

 9時過ぎにまた電話をかけにテントを出た。雨はやや強い降りになっている。今年もこのような天気が続くのだろうか?電話ボックスに入り、再びAさんに電話した。何かの用事で携帯の電源を切ったのならいいのだが、ぼくに腹を立てて電源を切ってしまったのなら繋がらない恐れもある。緊張しながらボタンを押す、ツッ・ツッ・ツッという音の後、呼び出しのベルが鳴った。繋がったことでほっとした。Aさんが出て
「何回も電話かけてきて…」と笑いながら言った。ぼくは
「8月5日だったら中標津に行けるけどそれだったら会えるかな?」と用件をすぐに言った。Aさんはすぐに
「8月5日だったら大丈夫だけど、予定を変えさせて悪いわね」と言った。だけどぼくには別に予定なんてあるようでないわけで重要なことではなかった。すぐに話はまとまり8月5日に開陽台で会うことになった。詳しい時間はぼくの到着時間に合わせてくれるようだ。

 気が楽になったので北海道のメル友、Mさんの携帯に電話をしたが話中で繋がらなかった。反時計回りになったため、Mさんの住んでいる札幌に寄れる可能性が出てきたのでそれを伝えておきたかった。たぶん札幌にはフェリーに乗る前日の8月11日に寄ることになりそうだ。札幌から苫小牧は近いし無理はない。何となく今回の旅行も目鼻がついてきた感じだが、問題は天気だった。雨はまたちょっと強くなったような気がした。

 テントに戻り明日の予定を練り直す。国道274号で日勝峠を越えて清水町に入り、帯広から国道38号で浦幌に出て後は釧路方面に向えばいいだろう。5日は早い時間に開陽台に着いておきたいから、釧路に出たら後は出来るだけ中標津の近くまで行っておきたい。摩周温泉くらいまでいければ大雨が降ったとしても問題なく5日に着けるだろう。そんなことを地図を見ながら考えていたがテントを打つ雨の音は強くなってきた。果たして明日は…。時計を見るとまだ10時ちょっと前だったが明日が晴れてくれることを願いつつ寝ることにした。つづく…


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