北海道旅行記 2001 その4


キャンプ場の朝

 寒さのため、目が覚めた。外はぼんやりと明るくなっている。時計を見るとまだ5時だ。もう少し寝ようと思い、シュラフに深く入った。しかし、もう寝つくことができなかった。いつもキャンプ初日はなかなか寝られないのだが、今年は5時まででも眠れただけよかったかもしれない。さすがにまだ起きるのは早いのでシュラフの中に包まりぼんやりとした時間を過ごした。6時くらいになり朝食をとろうと思い、昨日目をつけていた場所にパンと缶コーヒーを持って行った。朝の空気はひんやりとしていて、体を丸めて歩いた。気が引き締まる感じがする。昨日の夜は雨が降っていたが、今は何とか上がっている。キャンプで一番好きな時間はこの朝の時間だ、すべてが静かで自然の中で向える朝はある種の安らぎを与えてくれる。透明な時間がゆっくりと流れている。

 丘の上の東屋に行ってみるとそこにはちょっと驚く光景があった。何とこの寒さの中、地面のシュラフを引いて、そのまま寝ている人がいたのだ。よくこんな寒さの中、よく、外で眠れるものだと感心してしまう。シュラフの回りにはビールの空き缶が散乱していた。アルコールで体を温め、そのまま寝入ってしまったのだろう。僕は彼(彼女ではないだろう)を起こさないように注意しながら丸太でできたベンチに腰掛けパンを食べ、缶コーヒーを飲んだ。だたの缶コーヒーがとてもおいしく感じる。ささやかな朝食をとった後は彼を起こさないように静かにその場を立ち去った。

 テントをたたみ、8時にキャンプ場を出発した。幸いにして雨は降っていないが今にも降り出しそうで雲が低く垂れ込めている。国道38号で南富良野から新得を目差した。南富良野と新得との境に狩勝峠というのがあるが、この峠を登って行くとだんだんと霧が出てきた。標高が高くなるにつれ霧はどんどんと濃くなり、視界が狭まってくる。峠付近ではもう前方50mのところも見えないくらいになった。さらにヘルメットに細かい水滴が付き、目の前もほとんど見なくなってしまった。このまま走りつづけるのは危険と判断して峠を越えた辺りで路肩にバイクを止め、ヘルメットの水滴をタオルで拭った。また走り出したが今度は体が冷え切ってしまい震え出した。とにかく早く標高の低いところに下りたかった。

 下ってくると霧も晴れてきて視界がよくなってきたが、体の冷えは辛くなってきた。かなり下がったところにパーキングがあったので反対側だがそこにバイクを止めしばし休憩することにした。運良くこのパーキングにはトイレもあり、暖かいコーヒーもあった。北海道とはいえ真夏のこの時期は暖かい飲み物を自動販売機で売っているところはなかなかない。その缶コーヒーを両手で大事そうに包んで手を温めた。ある程度手が温まったらタブを開けて飲んだ。今度の旅は寒さとの闘いかもしれない…そんな気がした。

 そしていよいよ今日のハイライト、パンケニコロベツ林道だ。この林道は新得町とトムラウシ温泉を結ぶ47Kmにもおよぶロング林道だ。このような林道を関東で走ることはできない。前に朝早い時刻に進入した時に鹿の親子を見れたこともあった。今回で三回目の走行だ。しかし林道の入り口まで来ると通行止めの看板が出ていた。ある程度は行けそうだが通り抜けはできないようだ。僕が立ち止まって看板を見ていると1人のライダーが進入して行った。僕も行けるところまで行ってみようと思った。上手く行けば工事中のところを通行できるかもしれない。

 道は前に走ったときよりさらに整備されていて走り易くなっていた。パンケニコロベツ川に沿って走るこの林道は本当にすばらしい。木々から発散される新鮮な酸素を吸いながら走った。昨日の雨で木々も活き活きとしているような気がする。10Kmくらい走ると先に進入したライダーが戻って来て通り抜けは不可能だと教えてくれた。トムラウシ方面だったらペンケニコロベツ林道から回り込まないといけないとのことだったが、そのペンケニコロベツ林道が分からない。ただこのまま引き返してしまうのは心残りだったので途中にある支線に進入した。この支線はたぶん何処かで行き止まりになってしまうのだろうが、そこまで行ってみようという気分になった。でも走って行くとだんだんと道も荒れてきて、変な動物の鳴き声もする。気味悪くなってきたので引き返すことにした。こうしてもとの林道の入り口に戻って来た時はもう11時を回っていた。

 お腹も減ったがバイクのガソリンも減ったため新得町のホクレンに入った。「レギュラー満タン」と言って手を擦り合わせていたらガソリンスタンドのおじさんが「寒かったらストーブあたっていきなよ」と声をかけてくれた。こんなところにも北海道の人の暖かさを感じてしまう。それ程寒くはなかったので「大丈夫です」と断り、そのおじさんといろいろ話をした。その話によるとやはり最近は気温が高くなっているとのことだった。
「そのうち米が取れるようになるだろう」と言っていた。
「夏は30℃、冬はマイナス30℃。気温差が60℃にもなる土地で暮しているんだ」
と誇らしげに語っていた。夏の30℃は東京に住んでいればいくらでも経験できるが、マイナス30℃は全く想像のできない世界だ。おじさんにそのことを言ったら
「鼻毛が凍るよ」
と笑った。

 ふとガソリンスタンドがある道の反対側を見ると1軒の食堂があった。小さな食堂で古い感じだがまあまあこぎれいだったので入ることにした。入り口が何処にあるのかよくわからず、営業をしているのかどうかもちょっと疑問だったが、中に2人くらい客らしい人が見えた。入り口も店と家との区別がなかなかつかなかったが、どうにかわかった。

 中に入ると果たして二人の中年の女性がテーブルに向かい合って話していた。まだ営業していないのかちょっと不安になったので「食事できますか?」と聞くと大丈夫とのことだった。店は60代前半のくらいの感じの夫婦で切り盛りしている。メニューを見ると豚丼というのがあったのでそれを注文した。関東ではなじみのないメニューだ。聞くところによると帯広のある店が日本で最初に始めたらしい。ガイドに載っていたのでチャンスがあったら食べてみたかったのだ。ここも帯広に近いのでメニューにあるのだろう。

 豚丼は焼き鳥に使うような甘辛いタレを焼いた豚に絡めたものだった。とてもおいしかった。つけ合わせに出された漬物もいいアクセントになったし、味噌汁は冷え切っていた体を温めてくれた。店の主人も給仕をしてくれたおかみさんも物静かだが、暖かさが伝わってくるような感じの人だった。何気に入った店がいい店だとうれしくなってしまう。昨日のジンギスカンといい今日の豚丼といい今年の北海道旅行の食生活はリッチだ。

 食堂を出て腕時計を見るとまだ1時にもなっていなかった。パンケニコロベツ林道が通行止めになっていたためかなりの時間が空いてしまった。今日の予定は上士幌までなので真直ぐ行けば2時過ぎには着いてしまうだろう。まあ、早く着いたらそれはそれでいい。地図を見ていると十勝牧場展望台というのがある。そうだここにも寄りたかったのだ。最近、僕は広くて人が少なく開放感を感じさせてくれるような場所が好きだということがわかってきた。そういった場所では心から落ち着くことができる。この展望台もそういった気分を味わえるかもしれない。それにやけに寒い。そこで大休止というのもいいかもしれないと思った。

 始めは十勝牧場の入り口が分からず行き過ぎてしまったが、引き返し何とかわかった。白樺並木のダートできれいな道だった。右折・左折を何回も繰り返しやっと小高くなった展望台に着いた。そこには誰もいなくて僕だけだった。展望台は整備されていてきれいだった。それ程展望がいいというわけではなかったが、のんびりするにはいい場所だ。ただ、今日は雲っているため、展望はいまいちだったのかもしれない。

 僕は一番落ち着けそうなベンチに腰掛け、靴を脱ぎさらに濡れた靴下まで脱いでベンチの上で乾かした。まあ、天気がよくなったのでそんなによく乾きはしなかったけど…。しばらくボーっとしていると1台のオフロードバイクがダートの坂道を駆け上がってきた。広い駐車場に愛車のDJBELを止めると、辺りを見回していたが、やがてSEROWの乗り主である僕を見つけるとやってきた。「こんにちは」と挨拶を交わし彼は僕の座っている右横のベンチに腰をかけた。
「いい場所ですね」
「いい場所です」
彼は短く刈り上げた頭であごにはうっすらとヒゲを生やしている。たぶん20代後半だろう。
「キャンプしたらよさそうですね」
「僕もちょっと考えました」
「水場がないから、水を持ってないとダメだろうけど、禁止の看板もないし。今度来た時は考えようかな?」
「昨日はどちらから?」
彼は帯広の近くのとほ宿と呼ばれている基本的に相部屋の料金が安い宿に泊まっていた。ここのところ寒い日が続いているからキャンプでは辛くなったようだ。富良野付近はまだ多少はいいが、この帯広周辺はかなりの低温に見まわれていた。彼はその宿の紹介カードというのをくれた。それには‘ワインの国&森の学校’と書かれていた。このカードを持っていくと特典があるようだ。紹介した人には抽選で十勝ワイン3本、宿泊した人にはステーキ50g増量またはグラスワイン1杯のようだ。そんなにいい肉ではないと言っていたが、ありがたい。

 僕は上士幌に向う予定なので逆方向になってしまう。ただ、帰りに寄る可能性があるのでカードはありがたく貰うことにした。彼とはしばらく話をしたが、彼はこれから釧路まで走るということで出発していった。僕は靴下の乾き具合を見ていたがなかなか乾かない。彼が行ってしまった後はもう誰も来なかった。靴下はまだ乾いていないが僕もそろそろ上士幌に向って出発することにしよう。(つづく)


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