北海道旅行記 2001 その3


室蘭上陸

 7月30日午後6時30分、フェリーは室蘭港に着岸した。天候は雨、気温15度というアナウンスが船内に流れ、ちょっとどよめきが起こった。雨ということと15度という低い気温への驚きだろう。フェリーが着岸してから下船までにはかなり時間がかかった。というのも乗船はバイクが一番先だが、下船では逆に一番後になってしまう。下船した時は7時近くになっていた。雨はそれ程激しくはないが、間断なく降り続いている。始めはキャンプにする予定だったがこの雨のため、宿に泊まることにした。

 去年と同じ駅前のビジネスホテルに泊まった。ここは1泊4000円とまあまあ安い。夕食はフェリーの中でとった為、あとは明日の朝食を買い込めばいいだろう。宿に荷物を置き、近くのコンビニまで夜につまむお菓子類と翌日の朝食べるパンと缶コーヒーを買った。去年は500円余分に払って窓のある部屋に泊まったのだが、今年はどうせ1泊だしと思い、窓のない4000円の部屋にした。しかし圧迫感がすごい。窓がないため何か落ち着かない。これだったらたとえ1泊でも500円余分に払って窓のある部屋に泊まった方がよかったと後悔した。とにかく早く寝てしまうことだ。でも、朝日が差し込まないし、外の様子もわからない。

 昨日は割合とよく眠れた。普通1泊目だと僕はなかなか寝つけないことが多い。昨日買っておいたパンと缶コーヒーを食べてから出発した。幸いにして雨は上がっていたが、雨は昨日の夜遅くまで降っていたようで路面はかなり濡れている。そのため下だけカッパを着ることにした。今日はメル友のMさんと夕張にある‘幸せの黄色いハンカチ広場’で会うことになっている。待ち合わせの時間は10時だから余裕で間に合うと思った。

 雨は降っていないがどんよりと雲っていて気温も低めだ。今年の北海道は寒くなるのだろうか?R36からR234に入り苫小牧、早来を経由して千歳から道々462号に入った。時間を見るともう10時近くになっている。10時の待ち合わせに間に合わないのは確実だ。でも、できるだけ早く着かなくてはと気持だけは焦る。道々から再び国道にのり、R274からR452に入りいよいよ夕張に入った。もう時間は10時を過ぎている。道々38号に入り、幸福の黄色いハンカチ思いで広場を目差すが、場所がよくわからず、一回は行き過ぎてしまった。そういえば映画の中でも細い曲りくねった道を赤い車が登っていったっけ。

 地図で広場への入り口を見つけその道に入った。確かに細い、路地のような感じだ。広場に着いた時、時計はもう10時30分だった。Mさんの車を探したがどれがそれだかわからない。というのも今日はレンタカーで来ているはずだ。それらしい車はいくつかあるが人が乗っていなかった。たぶん僕が来るのが遅れているので一人で映画のセットを見学に行ったのだろうと思って、僕もセットの見学をすることにした。セットは古い炭坑で働く人の住居が再現されていて、武田鉄也が映画の中で乗っていた赤い車も展示されていた。住居の中はその車と天井には訪れた人が書いたメッセージがびっしりと貼られていた。それに健さんと倍賞さんの人形が部屋の中にいた。だが肝心のMさんの姿が何処にも見えない。外に出ると黄色いハンカチが映画のラストと同じようにポールになびいていた。空も晴れ間が広がり雲の切れ間から陽が差し始めた。

 駐車場で見つけたMさんのらしい車は違う人のものだった。確かマーチとかの小さい車を借りると言っていたけど…。ちょっと開けた広場になっているところにあるベンチに座って空を見上げた。晴れ間は先程より広がり、さらに陽が落ちてきた。室蘭を出るときにはいたカッパのズボンを脱いだ。これだけ陽が差していると内側から蒸れてくる。それにしてもMさんはどうしたのだろう。駐車場に戻って辺りを見回してみる。それらしい人影も車も見えない。僕のバイクの横に観光バスが止まっていた。ひょっとしたらという気がした。バスの反対側に回ってみるとヴィッツが止まっていて、その中にMさんがいた。このバスは前から駐車していたからその影になってしまって見えなかったのだ。約1年ぶりの再会だ。とはいっても毎日のようにメール交換しているから、あらたまった雰囲気はない。

 この後、2人でまた‘幸福の黄色いハンカチ’のセットを見学した。Mさんは僕が来るまで見学もしないで車の中で待っていたようだ。見学が終った後は広場のベンチに座っていろいろ話をした。旅に行った先で逢える友人がいるというのは幸せなことだと思う。そして車とバイクでのツーリングが始まった。行き先は僕の行きたい場所に合わせてくれた。始めは万字炭坑森林公園という場所だ。あまり人が行きそうな場所ではないが、地図に炭坑遺跡があると書いてある。これが僕の心を誘った。

 万字炭坑森林公園は本当に誰もいなかった。広い未舗装の駐車場には僕のバイクとMさんの車しか止まっていない。それにこれから人が来そうな雰囲気もない。炭坑遺跡を探して小山を登ったが何処にも見当たらなかった。どうもこの場所ではないようだ。となるとこの場所の目玉は何もないということになり、実際にそうだった。775段の階段を登った小山の頂上からの景色はそれなりにきれいだったが、息を飲むようなものではないし、森林浴はできるだろうがそれも中途半端な感じだ。この公園はようするに何の目的で造成されたのかさっぱりわからなかった。ただ静かな雰囲気を求めるにはいいかもしれない。まず人は来ないだろうから…。

 来た道を戻りこれからは富良野に向った。距離的には山を越えた反対側にあるのだが、その山は芦別岳でこれを横断する道はない。その麓を迂回しないといけない。途中にちょっと雨が降ったりしたが幸いにそんなに大降りにはならなかった。よく考えてみるとまだ昼食もとっていないのだ。早く富良野の入って富良野牛のステーキでも食べたいと思ったが、意外に距離がありなかなか着かない。もう何回も北海道に来ているのに甘く見過ぎていたようだ。いや、何回もきているせいかもしれない。始めてきたときは距離的な心配からキロ数を計って計画を経てていたが、最近ではそんなことはなくなった。独りだったらそっちの方がたぶんいいだろうが、誰かといっしょの時には無計画はよくないかもしれない。相棒も僕と同じように時間を気にしない境遇にあればいいが、今日はそうではないし…。旅はこんなところも人生に似ていると思った。

 結局、目的の富良野山部にある太陽の里ゆうふれキャンプ場に着いたのは4時くらいだった。本当だったらお昼くらいに着いてテントを設営してからMさんとゆっくり富良野を回る予定だったが…。
「テント立ててから食事にする?」
とMさんに訊かれたがテントを設営していたら時間がなくなってしまいそうだった。Mさんは用事があり7時までには札幌に帰らないといけない。
「すぐに何処かに食べに行こうよ。テントは戻って来てから立てればいいからね」
「じゃー、入り口のところにあった食堂にする?」
「そんなのあった?」
「うん、あった」
かなり遅れた昼食をキャンプ場の近くにある食堂でとった。僕はジンギスカン定食でMさんは焼肉定食。もっといっしょにいる時間を長くしたかったが仕方がない。この食事が僕にとってもMさんにとっても昼食兼夕食となった。
「それ何だかわかる?」
とMさんが焼肉定食に付いてきている漬物について訊かれた。
「いや、わからないな。何?」
「メロンの漬物」
と言ってMさんは笑った。
「食べていいよ。私はいつでも食べられるから」
と言ってその漬物をすすめてくれた。メロンといっても味は普通の漬物と大差はなかった。ふと僕のジンギスカン定食の横をみるとそれにもメロンの漬物がついていた。
「僕のにも付いてたよ」
と言ったらMさんがおかしそうに笑った。どうも僕は少し抜けているところがあるようだ。勘定はMさんが全部払ってしまった。僕が自分の分を出しても受けとってくれなかった。別れ際に携帯カイロを貰った。この時はわからなかったが、このカイロが後々非常に役だったのだ。

 Mさんが帰った5時過ぎ、テントの設営をした。このキャンプ場は広くて清潔だし無料だった。それに山部の町までバイクで走れば5分くらいで行けるのも便利だ。テント設営の後、夜食を明日の朝食を町まで買いに行った。キャンプをしている人もそれ程多くなくのんびりできそうだ。陽が暮れるまでキャンプ場の中を散策した。ちょっと小高くなった丘の上に東屋のようなものがあって山部の町方面の眺望がよかった。明日はここで朝食をとろう思った。(つづく)


TOP INDEX BACK