胆のう摘出手術

手術当日

 一時の面会時間に間に合うように十一時過ぎくらいに家を出た。YouTubeで胆のう摘出手術の動画をみた感じでは手術時間は4時間前後だった。手術の開始が8時50分だから13時には終わっている可能性が高いと思った。担当医の電話は病院への移動中に来る可能性が高いように思われ、携帯電話をジーンズの前ポケットに入れた。

 入院の日は大雨だったが、この日は快晴で気持ちよかった。いつ担当医から手術終了の電話がかかってくるかと待っていたが、結局、病院に着くまで携帯の揺れることはなかった。一時ちょっと前に病院に着き、面会の手続きをして7階の病棟に上がった。ナースステーションで「Jの夫ですけど、もう戻ってきてます?」と看護師さんに訊くと「まだ、手術中です」といわれた。

 「どうしようかな…。ラウンジで待っていればいいですか?」と訊き、ラウンジに向かった。ラウンジにはすでに数人の人たちがいた。僕は窓際のテーブルに腰を下ろした。中央の壁際に置かれたテレビではドジャースとジャイアンツの試合を放送していた。前の時は無音だったが、この日は音声も流れていた。しかし、メジャーリーグのゲームを楽しむ余裕はなかった。

 時間通りに手術が始まったとするともう4時間を過ぎていて、イヤなことばかり想像される。ただ、病棟は静かで落ち着いていて「何かあった」という感じはなく、できるだけ気持ちを落ち着けて待とうと思った。気持ちが落ち着いてくると周りがみえるようになった。

 僕の前のテーブルには若い男性が座っていた。入院患者ではなく、面会者のようだった。ただ、1人で座っているところをみると、僕と同じく手術の終了を待っているのかもしれない。その男性の座っている横のテーブルには初老の男女とその娘と思われる40代くらいの女性の3人が座っていた。初老の男性が入院患者で話をそれとなく聞いていると妻と同じく胆のう摘出手術のために入院しているらしい。

 他のテーブルにはいろいろな人たちが出入りを繰り返していた。その中でちょくちょく出入りしている若い夫婦が気になった。どうもこの夫婦のどちらかの父親が入院しているらしく、この日は手術前の検査をしているようだった。隣のテーブルから漏れ聞こえてきた看護師さんとの話だと明日の手術は9時から始まって17時までかかり、難しい手術になるので付き添いをお願いしたいということだった、シリアスな手術で担当医の許可があれば、手術の付き添いはできるらしいが、時間の長さがネックになっているようで夫妻はどうしようかと悩んでいた。確かにラウンジで8時間前後も過ごすことを思うと他人事ながら辛い気分になる。

 ドジャースとジャイアンツのゲームは延長戦に突入し、ランナー二塁のタイブレークで大谷選手が打席に立ったがあえなく三振した。しかし、後続の打者がヒットを打ちドジャースが勝った。気もそぞろでテレビの画面をみているとジーンズの前ポケットに入れたままになっていた携帯電話が鳴った。出ると女性の声がした。妻の手術を執刀した医師からで「手術は無事に終わりました」ということだった。時間をみると2時前だった。

 手術が無事に終わったというので、やっと少し安心することができた。親子と思われる三人組がテレビのリモコンを手に取り、チャンネルをミヤネ屋に切り替えた。前のテーブルに据わっている若い男性は僕に背中を向けたままスマホを見ている。ラウンジからの通路はエレベータホールに繋がっているので、妻が運ばれてくればみえるはずなので僕は台車の音のするたびに目を向けた。

 2時半を過ぎた頃、前後二人の看護師に押されストレッチャーに乗せられた患者がラウンジ前の通路を通り過ぎた。妻かどうかはわらかなかったが、どうもそんな感じがした。それなら、もうしばらく待てば面会になると少し気が急いてきた。しかし、なかなか名前を呼ばれない。ひょっとしたら忘れられているのではないかという気もしてきて、自分からナースステーションに訊きに行った。

 ナースステーションに行くと一時に来た時に対応してくれた看護師さんがいたので「Jさん戻ってきました?」と訊くと「もどってきました」という。「面会にいって大丈夫ですか?」と訊くと「私もいっしょにいきますので」というので二人で病室に向かった。病室にいくと妻のベッドの周りにはカーテンが引かれていて中を見ることはできず、妻の手前のベッドに寝ている初老の男性の処置を二人の看護師がしていた。

 僕に付き添ってくれた看護師さんが二人に「Jさんの家族の方がみえてますが、面会ですますか?」と訊いてくれた。「まだ処置が終わっていないので、もうしばらくお持ちください。面会できるようになったらお呼びします」と一人が答え、僕はまたラウンジに戻った。

 20分くらい経った後、看護師さんが「面会できますよ」と明るい表情をして伝えに来た。二人で病室に向かう途中「まだ、意識は朦朧とした感じですか?」と訊くと「大丈夫ですよ」といわれた。病室に入ると「また、検温や血圧など計りに看護師が来るので、その時はラウンジでお待ちください」といい看護師さんは出ていった。

 カーテンを開けて妻と面会した。酸素マスクに左手には点滴、人差し指にはオキシメータが取り付けられていた。「元気?」と声をかけるまでもなく、疲れた表情をしていた。酸素マスクをつけていため、声がくぐもった感じで聞き取りづらい。また、声にも張りがなく弱弱しい。「具合はどう?傷口は痛む?」と訊くと「痛くない」という。痛み止めが効いているのかもしれない。

 「時間がかかったみたいだけど?」と訊くと「点滴を打つのに時間がかかった」という。妻は血管が細いようで針を打つのに何度もやり直し、それに時間がかかったらしい。麻酔から覚めると麻酔前とは違う箇所に点滴の針が刺さっていたというから、血管を探すのにかなり苦労したようだ。それにしても会社の健康検診で採血を行なっているが、そこまで苦労したという話は聞いたことがなく、基本的な技術に疑念が生じてしまう。

 妻と話していると二人の看護師さんが来て、「術後の処置を行いますので、また、ラウンジで待機していてください」といった。ラウンジに戻ると若い男性はそのままの姿で座っており、その横の親子三人組は陽気に話していた。体温と血圧を測るくらいだろうから、そんなに時間はかからないと思っていたが、なかなか声がかからなかった。

 三時半を過ぎた頃、「それじゃー、そろそろ行くね」といって三人組の母と娘は帰り、父親は病室に戻った。若い男性は座ったままで同じ姿勢でスマホを見続けている。20分を過ぎた頃、先ほど呼びに来てくれた看護師さんが妻の処置が終わり、面会できることを伝えてくれた。

 「結構、時間がかかったね」と妻にいうと「背中に入れたチューブの確認をしたりしていたから」といった。出血していないか調べていたらしい。話すのも辛そうなので手を握って、掌を指で押してマッサージをすると「気持ちいい。続けて」と妻が言った。「背中に入れている痛み止めはあまり使わない方がいいと思うよ」と妻に言った。これは以前に本で一流のアスリートがケガをして、やはり同じように痛み止めのチューブを入れていたがそのあまりの効きの良さに怖くなり早々に外してもらったという話を読んだ記憶があったからだ。

 「そう?」と妻がいうので、「ガマンできないくらい痛かったら使ってもいいと思うけど、ガマンできる程度だったら使わない方がいいような気がする」と答えた。我慢できる程度だったら、薬はあまり体に入れない方がいいと思った。とにかく、手術が無事に終わってほっどした。胆のう摘出手術はそれほど難しいものではないようだが、失敗した事例も0.5%程度はあるらしい。あとは順調に回復をしてくれることを願うだけである。

 「失礼します」と看護師さんがカーテンを開け「検温と血圧を測定しますので、またラウンジでお待ちください」といった。「いや、今日はこれで帰ります」と僕はいい、妻に「それじゃーね」と声をかけた。時間はもう4時半近くになっていて、面会終了時間の5時に近かったし、僕自身かなりの疲労を覚えていた。

「うん、またね。退院のときにね」とくぐもった声で妻はいった。(2024.6.15)




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