妻の退院

 入院から二日後の木曜日、携帯電話に妻から「明日、退院になりそう」とメールが来た。「退院になりそう」というのは微妙な表現で、本当に退院できるのかどうか早く知りたいと思った。退院ということになれば仕事を休んで病院に行かなくてはならない。早速、妻に「退院決まったの?」とメールすると「痛みが出なく、血液検査の結果がよければ」という条件のついているらしいことが分かった。

 血液検査で膵臓の炎症を示す値が若干高かったらしい。これは内視鏡によるERCPを行うと上がることがあるようだ。昼休みにもう一度確認すると退院になるようだと返信が来たので会社に有給休暇の届け出を提出した。「退院にならなくても、まあ休んじゃえ」というような気持ちもあった。夕方になって妻から「明日、10時30分退院になりました」とメールが来て胸を撫で下ろしたのだった。

 翌日、8時20分に家を出て妻の入院している病院へ向かった。前日は三月というのに雪が降り、車や屋根に薄っすらと積もっている。子供の頃は四月に雪の降ったこともあり、地球温暖化なのかはわからないが関東南部の三月の雪は珍しい現象になった。当日も寒く、妻からは「ダウンジャケットを一着持って来て」とメールが来ていた。病院の最寄り駅の桜木町に着くと病院に行くバスがすでに止まっていた。急いで乗り込み空いていた最後部の席に座った。病院までは約15分、寒々とした風景を車窓からぼっーと眺めていた。

 病院でバスの乗客の約半数が降り、僕も彼らに続いた。一度来ているから迷わず面会の窓口に行けた。その窓口にいた女性に退院のつきそいで来たと伝えると患者の名前と病室の部屋番号を訊かれた。それを伝えると書類を渡されて記入するように言われた。項目をみるとほとんどが新型コロナに関するもので、未だにこんなことをやっているのかと思ったが、一つ一つ考えながらチェックを入れていると窓口の女性に「特に問題がなければずっと右側にチェックを入れてくれればいいです」といわれ、僕はその通りにした。

 受付の女性に面会用のバッジをもらって妻の入院している7階のフロアのナースステーションに向かった。壁や廊下に表示された矢印を辿ってナースステーションに行き、そこにいた事務員の女性に要件を伝えると「病室わかります?」と訊かれたので「わかります」と答えると「担当の看護婦が行くので病室で待っていてください」といわれた。

 妻の病室はフロアの一番端だったのでわかると思ったが行ってみるとみつからない。たまたま通りかかった看護師さんに尋ねると「残念でした。一つ向こうの通路です」といわれた。お礼を言って一本奥の通路にいき奥の方へ歩いていくと妻の名前の書かれたプレートのある部屋の前に出た。部屋の中に入り、左奥の窓際のベッドのところへいくとすでに妻は着替えていた。

 妻の隣に入院していた中年女性も退院のようですでに着替えて看護師さんの来るのを待っていた。まずはその女性の担当の看護婦さんが来て、支払いの手続きが完了したと告げた。付き添いはなく一人で小さめのバッグを持ち、病室を後にした。「確か入院のとき2泊3日と言っていた気がしたけど?」と妻に言うといっしょに入院した女性は予定通り退院し、今の女性は昨日入院したばかりだったといった。検査入院だったようでそれだったら付き添いのいないことも納得した。

 しばらくして妻の担当看護師さんがノートパソコンを手押しの台の上に乗せてきた。「準備はできましたか?」と妻に訊き、妻が「できています。お世話になりました」というと「忘れ物がないか確認しましょう」といってベッド横に備え付けられた棚などを確認した。「大丈夫そうですね」と看護師さんは言ってノートパソコンを見た。「支払いの清算も完了しました」と看護師さんがいった。「支払いは一階の窓口ですね?」と訊くと「精算機がありますので、それに診察券を入れてもらえば自動的にできますよ」と看護師さんは言い、僕たちは看護師さんにお礼を言い、病室を後にした。

 一階に降り、自動精算機に並んで支払いを済ませた。妻が足を骨折した時に入院したT病院では支払い専用の個室で順番を待って支払いを済ませたことを思うとあまりにも効率的でスムーズに済んだ。病院の外に出ると何とも言えない開放感を覚えた。

 病院の敷地内にあるバス停からバスに乗り、桜木町駅に向かった。雪はもう残っていなかったが、空は曇り空だった。妻は中華街で降りて何か食べていこうといったが、まだ10時半くらいだし二日前に内視鏡手術をしたのだから、家に直行した方がいいと思い断った。しかし、妻は退院したばかりだというのに元気で車内でずっとしゃべり続けていた。

 妻が思いの外、元気だったので、入院の塞いでいた気分を発散させた方がいいような気もして「少し散歩して帰ろうか?」と妻に言うと「いいよ」というので久しぶりに汽車道に向かった。平日のため、人も少なく気持ちよく歩けた。妻の調子も良さそうなので赤レンガ倉庫までいくことにした。

 まだ11時前のため、赤レンガ倉庫は開いていなかったが、数分待てば開くので中に入っていろいろと見て、軽く何か食べて帰ろうかと思った。元気とはいっても、胆石を除去したばかりなのでこってりとした食べ物は止めた方がいいと思ったが、寒かったため妻は温かいものが食べたいといい、結局ラーメンになった。

 僕はサンマーメン、妻は醤油ラーメンを注文し、ゆっくりと食べた。油っこいモノはできるだけ控えてくださいといわれたようだが、何処までが油っこいのかというのは難しい。油で揚げたもの、天ぷら、とんかつ、から揚げなどは油っこいモノに含まれるのだろうけどラーメンはどうなのだろう?とんこつは油っこいといえるかもしれないが、醤油ラーメンならスープをあまり飲まなければ大丈夫のような気もした。

 ラーメンを食べた後、赤レンガ倉庫内のショップを回った。外に出ると陽が差してきて暖かくなってきた。妻ももう少しぶらぶらしたいというので大さん橋まで行くことにした。象の鼻パークを通って大さん橋に向かった。天気はよくなり、歩いていると暑いくらいになってきた。

 平日のため、大さん橋は閑散としていた。それはいいのだけど、休日なら営業しているウッドデッキ上のコーヒーショップはやっていなかった。ここでコーヒーを買ってウッドデッキで風に吹かれながら飲もうと思っていたのである。ただ、晴れてきたとはいえじっとしていると寒くなってくるので、一階にある喫茶店に入った。

 風を感じることはできないが、海を見ながらのんびりとコーヒーを飲んだ。妻も久しぶりの行楽を楽しんだ。こんなのんびりとした平和な日々が続いてくれたらいいなと思った。(2014.4.16)




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