四年ぶりの夏祭り

 土曜日、あまりの暑さに4時半くらいに目が覚めた。トイレにいったついでに、洗濯物を洗濯機に入れて回した。妻がペルーに帰っているので、掃除、洗濯、炊事を一人でやらなくてはならないのである。また、ふとんに寝っ転がったのだけど、暑くてなかなか眠りにつけない。それでも、多少は眠れたみたいで、目を覚まして枕元にある目覚まし時計をみると7時半を少し回ったところだった。

まだ、起きるには早いので枕元に置いてあった本を何気なく読んでいたが、土曜日はプラごみの日だったのを思い出して、ゴミを集積所まで持っていった。空は雲ひとつない快晴で、本当ならとても気持ちいいはずなのだけど、げんなりした気分になった。

 家に戻ってふとんを干して、掃除を始めたら、すぐに汗がでてきた。室内にある温度計はすでに30℃近くになっている。掃除を終えた後は洗濯ものを干し、テレビを観たり、植木に水をあげたり、ソファでゴロゴロしたりした。

 昼食をとった後、二階に上がりビートルズのホワイトアルバムを聴いていたら、曲と曲の合間に祭ばやしのような音が外から聞こえてきた。そういえば、今年からコロナで中止の続いていた町内会のお祭りが復活したのだった。

 町内会のお祭りが中止になったのは初めての緊急事態宣言の発出された2020年からだった。緊急事態宣言の発出された日の東京の新規陽性者は87人だった。今から思えば、本当に緊急事態宣言は必要だったの?と疑問に感じるが、当時の感覚としては仕方なかったのかもしれない。しかし、検証は絶対に必要である。

 2020年、僕は持ち回りで町内会の組長になっていた。初会合のときに出席者から「いつまでやっているんですか?もう、早く止めましょうよ」と声が飛んだのを覚えている。翌月から、月一回の定例会は中止になり、決まった事項のプリントが配られることになった。もちろんいろいろな行事も中止になり、その中には当然、夏祭りも含まれていた。

 翌年、僕は青年部の役員になり、しかも部長という立場になってしまった。青年部というのは夏祭りの主幹部署なのである。いろいろと面倒臭そうだなと思っていたら、コロナ禍は続き夏祭りは2年連続で中止に決まった。夏祭りが中止になってしまったため、青年部は一年間何の活動もしなかった。予想されたこととはいえ、ほっとした記憶がある。一方で早く元の社会に戻していった方がいいという気持ちもあり、複雑な心境だった。

 次の年の青年部の引継ぎのときに「2年連続で夏祭りは中止になっているが、恐らく今年は開催されるだろうから、そのときは3年前の資料を参照してください」と偉そうに伝えた。しかし、僕の予想に反し、3年連続で夏祭りは中止になってしまった。去年の夏は確か行動制限のなくなっていた気がするが、日本人はやはり「慎重」なのだろう。

 コロナが5類になり、いろいろなイベントが開催されるようになり、町内会の夏祭りも復活となった。ただ、3年のブランクがあり、今年の青年部はかなり大変だったのではないかと思う。会場の飾りつけや屋台の飲食物の発注、執り行うイベント、今年は特に猛暑だか熱中症対策も考えないといけない。僕が引継ぎをした年には「僕はこういった地域の活動に興味があるんです」と目を輝かせていた若い男性がいたが、そういう人がいると大変助かるように思う。

 午後になり、盆踊りの音楽が流れてきた。会場は地区センター前の駐車場だから、アスファルトの照り返しが辛い場所である。盆踊りの音楽は止んでも、しばらく経つとまた流れるといった塩梅で休憩を挟んでリピートしているらしい。家から近いし、抽選会用の券をもらっていたので、ちょっと覗いてこようかなと一瞬思ったが、あまりの暑さに消えた。

 夜、墨田川花火大会がテレビ中継されていた。こちらも4年ぶりの開催である。翌日のニュースで103万人の人の集まったことを知った。(2023.8.3)




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