リリアの帰国

 義姉カズエの友人でメキシコ人のリリアという女性がいる。現在、80歳を超えているが元気である。しかし、昨年は腰を悪くしてしばらく入院していた。そのリリアが1月の中旬に生まれ故郷のメキシコに帰国する。36歳のときに来日したというので、40年以上振りである。もう日本に戻っては来ないという。

 リリアは現在甥っ子の家に住んでいる。しかし、甥っ子との折り合いはよくないようでそれが帰国する原因となったようだ。今までは特に部屋代は払っていなかったそうだが、ここ数か月はお金を支払っている。何故、帰国間近になってそのような状況になったのかリリアは何もいわないのでわからない。

 リリアは独身のため、子供はおらず、メキシコに住んでいる姪のところに行く予定だというけど全く初めての土地で姪以外の知り合いは誰もいないという。80歳を過ぎてそのような土地へ引っ越すというのはどうなのだろうと妻は心配している。それに引っ越しといっても日本からメキシコのため、40年間日本で暮らした荷物をどの程度持っていけるのか想像がつかない。

 毎年クリスマスのときにリリアは義姉の家に来ていたため、今年も会えるかと思っていたが、夜中に出歩くのは不安のようで今年は来なかった。新年の集まりをするにあたって「もう会えないよ」とカズエがいったそうで、元旦には行くと約束をしたようだ。元旦の4時過ぎ、義姉の家に行くとまだ誰も来ていなかった。しばらく3人で話していると義姉の携帯に着信があり、リリアからだった。これから歩いて向かうという。腰を悪くして入院していたが、よくなったようだ。

 しばらくして外で車のエンジンの音がして、アユミの実家にいっていたタカシとアユミが帰ってきた。昼食をアユミの実家で取った後、すぐに戻ってくるといっていたらしいが、食べてすぐに帰るというわけにもいかなかったのだろう。カズエはすぐに戻って来なかったのが不満だったようで、「すぐに戻ってくるといったのに…」と小言を繰り返していた。

 一方、これから行くと電話してきたリリアはなかなか現れない。歩いて来られる距離だから、そんなに時間のかかるとは思えないが、もう連絡があってから小一時間くらい経っている。腰を悪くしているから、それが原因かなと思ったりしていると呼び鈴がなり、玄関にいくとリリアが入ってきた。顔色もよく、考えていたよりもずっと健康そうだった。

 ペルー式の挨拶をした後、「歩いて何分くらい?」と訊くと「15分くらいかな?」という。それにしては時間がかかったなと思ったが、僕の疑問を感じたのかもしれない「出かけに友達から電話がかかってきて、話し込んじゃった」といった。リリアは来日後、会社員として働き、定年退職した後はスペイン語の先生をしていた。40年という年月のため、多くの友人・知人がいる。送別会もいろいろなグループがそれぞれ計画していて十数回に及ぶらしい、カズエは「全部には参加できないよ」と笑っていた。

 ベリーショートで小柄なリリアは言葉もはっきりしていて、80歳を超えているようにはみえない。同じスペイン語圏の国の出身で家も近かったため、カズエと親しくなり、頻繁に行き来する友人になった。初めて会うアユミには「タカシとの結婚式に出席できないのが残念ね」と言葉をかけていた。ただ、まだ結婚までを考えていないらしい二人は少し困惑した顔をしていた。

 「Hさん元気でしたか?」と数回しか会っていない僕の顔をリリアは覚えていてくれた。鶏の丸焼き、豚足と大根の煮物、沖縄そば、そして妻が作って持っていったパパラワンカイーナなど沖縄とペルー料理のご馳走が次々と出された。鶏の丸焼きをみて「日本ではこんなのでないでしょう」とアユミに話しかけると笑った。

 「クリスマスには七面鳥の丸焼きがでるよ」とリリアが懐かしそうにいった。リリアが七面鳥の丸焼きをクリスマスに食べたのは40年以上前になる。40年間メキシコに帰らなかったのは何故なのかは訊かなかった。

 「荷物の準備は済んだ?」と妻が訊くと「まだ、日にちがあるから」とリリアは微笑んだ。「日にちって、もう二週間後だよ」とカズエがいうと何も言わずにまた微笑んだ。(2023.1.8)




皆さんのご意見・ご感想をお待ちしています。joshua@xvb.biglobe.ne.jp

TOP INDEX BACK NEXT