ウチの斜め右前のあるNさんの家の解体工事が始まった。Nさんは70代後半の男性で僕たちが今の所に引っ越して来たとき、最初に仲良くなったご近所さんだった。引っ越しを終えた翌日、向こう三軒両隣に挨拶に行った。そのとき一番気さくな感じがしたのがNさんだった。人懐っこい感じで話しやすかった。外見は日本人離れをしていて、アメリカの俳優ウィリアム・デフォーに似た雰囲気だった。奥さんは体の調子があまりよくないということだったが、玄関先まで出てきてくれた。小柄な人で、旦那さんとは違い、質素な感じの昔ながらの女性という感じだった。僕が奥さんを見たのはこの時を含めて数回しかない。それというのも、その後、奥さんは入院してしまったのである。 外出をするときなどにNさんとはよく顔を合わせた。休日に顔を合わせると「何処行くの?」と声をかけてくれた。うちの会社は、土曜日や祝日に出勤することがあったので「仕事です」というと「えー!」と驚かれた。そんなことが何回続き、日曜日などに競馬に行くときに出会っても「仕事?」と声をかけられるようになった。「いや、今日は遊びです」と答えるとほっとしたような表情をみせた。 外出するときにときによく顔があったのは、Nさんの外にいることが多かったからである。春先や秋口などの気候のいいときには玄関先に椅子を持ち出して、本を読んでいることがあった。誰もいない家の中で一人読書をするより、風の運んでくる花や緑の香りを感じながら、時折通りかかる人と話をするのが楽しかったのだろうと思う。そのうち月に数回だが、朝だけでなく、仕事帰りのバスでも顔を合わせるようになった。これはNさんの奥さんが入院したためだった。奥さんの見舞った帰りだったのである。 玄関先で本を読んでいる時、Nさんに「何を読んでいるんですか?」と声をかけようと思ったことがあった。僕も本は好きだし、Nさんがどのようなものを読んでいるか興味があった。しかし、ただ通り一遍の話だけをして、その場を立ち去っていた。そこで本に関する質問をすれば、或いはもっと深い付き合いになったかもしれない。僕はそれを避けてしまった。 本を読んでいるNさんと会うのはだいたいが休日で遊びにいくときだった。だから、時間はある程度融通できたはずだった。しかし、必要以上に距離を縮めるのを躊躇していた。親しくなることによって、面倒なことも出てくるように思ってしまったのである。しかし、よく考えるとそんなことは全くの杞憂であり、僕はただ単に自分の用事を優先させていただけだった。 帰りのバスでも顔を合わせていたNさんだったが、いつしかそれがなくなった。入院していたNさんの奥さんが亡くなったのである。子供もすでに独立し、Nさんは独り暮らしになった。玄関前に出て植木の手入れをしているNさんに声をかけると「よかったら、どれでもいいから持っていきなよ」といわれた。しかし、家にも多くの鉢植えがあり、それだけでも手入れが追い付かない状態なので遠慮した。何故、植木を処分しようとしているのか気にかかった。そして、徐々にNさんと顔を合わせることも少なくなっていった。 昨年の11月、Nさんが家に訪ねてきた。話は子供さんと同居することになったので、町内会を脱会したいということだった。その年、僕は町内会の組長をしていたのである。家は売りに出すというが、まだ、片付けが残っているのでたまには帰ってきますよといった。自宅でとれた柚子と新しい連絡先の書かれた用紙をもらった。 年末、骨折した妻が退院し、病院からタクシーで帰ってくるとNさんが自宅の前でウチの前の家に住んでいるIさんの奥さんと談笑していた。妻の退院したことをいうと喜んでくれた。妻の入院した病院はここら辺りではあまり評判はよくないらしく、少し心配していたようだ。久しぶりに会ったNさんは頭にやや白いものが増え、少し痩せたようだったが健康そうだった。 家を売り出すというのでいくらかということが気にかかり、年明けにネットの不動産サイトをみるとNさん邸の情報が載っていた。うちの価格と比較すると約5割ばかり高く、これで買う人がいるのだろうかと余計な心配をしてしまった。Nさん邸は僕の家よりも築年数は古い。ただ敷地面積は広いようで、さらに前面の道路に直接面している。それでその価格なのかなと思ったりした。注釈には「かなりきれいにお使いになっています」という文言があった。 しかし、僕の心配が現実になり、Nさん邸は売れなかった。内見に来る人を見かけたこともなかった。僕の家を買った5年前は若い人が古い物件を安い価格で手に入れて、リノベーションするというパターンがあった。月々の住宅ローンの支払いが家賃よりも少なければ、家を買う選択肢は魅力的である。実際に5年前の僕たちが最初にみた家は20代の独身男性も見に来ていたと担当者がいっていた。Nさん邸ももう少し価格を下げれば需要があったのだろうが、或いは長引くコロナの影響で市場の状況も変化したのかもしれない。 そして先週、Nさんに久しぶりに会った。夏休みをとり、妻と三浦半島へ出かけようと家をでるとNさんが自宅の前に立っていた。家の前には軽トラが駐車しており、二人の若者が荷物を運び出していた。「片付けですか?」と声をかけると、業者を雇って家の中にある荷物を運び出しているといった。ほとんど白髪になった伸びた髪を後ろで束ね、ポニーテールになっていた。 「何、これから仕事?」と訊かれた。平日だったので、そう思ったようだった。「いえ、いえ、遊びです」というと、にっこり笑って「気を付けてね」といった。翌週の月曜日、解体業者からNさん邸解体のお知らせがポストに投函されていた。(2021.10.17) |