妻の骨折 その6

 手術後、五週目に入り、松葉づえをついて歩く距離が長くなり、安定もしてきたとメールが来るようになった。数日後にはリハビリ室だけではなく、病院内も歩くようになった。ただ、妻がリハビリのどのステージにいるのかは、わからなかった。僕としてはリハビリをしていない時に足の指を反らせたり、足首を引き上げたりという地道な運動をしてというアドバイスを送るだけだった。ただ、骨折した他の人のブログを読むと必ずしも三分の一荷重、二分の一荷重と順を追って進むものでもなく、二分の一荷重から一気に全荷重の許可が出た人もいた。

 そんなある日、今日は杖一本での歩行訓練をして、リハビリ室だけではなく、病院の階段の上り下りもしたという妻からのメールが来た。その日は担当のリハビリの先生が休みで、いつもとは違う先生が担当したそうだ。妻の歩き具合を見て、松葉づえ一本でも大丈夫と判断し、さらに松葉づえでは歩きづらいからと短い杖に変えたという。そして、病院を出て周囲の道路も歩いたそうだ。

 いろいろなブログをみて退院の目安となるのは階段の上り下りの練習と病院外の歩行訓練らしいという感じを持っていたので、妻も最終段階の来たことを知った。そして骨折から一月半経った十二月中旬に来週退院という許可が出た。当初、四週間だった入院期間が倍以上の九週間に延びたのは妻が担当医に「リハビリに通うのは難しい」といったためだと思う。

 家から病院に通うには最寄りのバス停からバスに乗ればいいのだけど、家が高台にあるため、長い坂道を歩かなくてはならない。それは骨折後、松葉づえを使わなくてはならない人にとってはほとんど無理で、そうなるとタクシーということになるのだろうが、病院まで往復約3000円の出費はかなり厳しいものがある。そういうことを思って妻は担当医に訴えたのだと思う。

 街をみると松葉づえを二本使って歩いている人を見かけることもある。この前も松葉づえ二本を使って勢いよく歩いている高校生を駅でみかけた。しかし、松葉づえは使ってみると分かるのだけど、かなり難しいし、また疲れる。そこで担当医はある程度病院で回復してから、退院させようという判断になったのだろう。

 退院の日、妻はリハビリを受けてシャワーを浴びてから帰宅するという。この辺りは妻の希望を病院側が受け入れたのかもしれない。十一時半に向かいに来てというので、病院へ行き妻の入院している三階のナースステーションに向かった。ここで十二月分の請求書を渡され、妻の準備のできるのを待った。妻を待つ間、生命保険会社から届いた診断表をナースステーションにいた看護師に渡した。診断表の話は十一月の入院費を払う際に会計に話していたのだが、うまく伝わっていないようだった。

 しばらくすると、松葉杖をついた妻がやってきた。顔色もよく、足以外は健康そうで、杖は付いているが、しっかり歩けていたので安心した。看護師さんたちにお礼をいい、エレベーターで一階に降り、会計で入院費を払ってから病院を出た。

 病院の近くにケンタッキーフライドチキンの店があるので、そこで昼食を買ってから帰宅しようと思ったが、長蛇の列ができていたので止めて、病院前に戻りタクシーを呼んだ。退院した妻に会いに火曜日に来る予定だった妻の姉が来ることになった。約二か月振りに退院した妹の顔を一刻も早く見たかったのだと思う。 入院中は毎日リハビリをしていたので、家ではどのように過ごさせたらいいのかと考えた。基本的にはマッサージと一日二回くらい家の近所を歩くようにしようと思った。妻もリハビリの先生からリハビリのやり方をいろいろ聞いているようで、それらを組み合わせればそれほど心配しなくてもいいような気がした。三時前に妻の姉がやってきて、遅い昼食をいっしょにとった。

 妻から聞く病院内の話は面白かった。妻の入院した病院は八月にコロナのクラスターの発生したところだった。考え方によっては現在一番安全な病院といえるかもしれないが、ネットの口コミでの評判もあまりよくはなかった。妻の姉はそれを危惧していたが、妻の話によると全く問題はなかったという。三人いる整形外科の医師たちは連携もとれていて、女性の外科部長は気さくで妻の装具を調整してくれたりしたそうである。また看護師さんたちも、嫌な顔一つせず、患者さんの訴えを真摯に聞いてくれたと妻は感謝しきりだった。夜は遅いクリスマスということで、スーパーで買ってきた鶏肉の総菜を三人で食べた。

 退院翌日は日曜日だったので、足のマッサージをした後、家の近所を歩きに行った。歩みは遅かったが、足取りはしっかりしていて、変な歩き方はしていなかったので安心した。外を歩くときは松葉づえ一本だが、家の中では杖は使わず、装具をつけてそのまま歩くことが多かった。ただ、物を持つと不安定になるので、フライパンを使う料理などは自信がないといった。

 月曜日、今年最後の仕事にいった。妻はリハビリのため病院にいった。今年、リハビリは十二月二十八日までいくという。退院当初から杖なしで家の中では歩いたりしていたが、一日一日動けるようになっていき、徐々に歩き方も自然になっていった。ほとんどできなかった家事も、洗い物ができるようになり、料理も煮物ができるようになり、始めは躊躇していたプライパンを使った炒め物も年明けからやるようになった。

 あとはいつ会社に復帰するかである。家は高台にあるため、最寄りのバス停まで、それほど急ではないが長い坂道がある。退院後、正月休みを利用して、家の周囲を歩いたりしていたが、そのときに坂道の練習もした。始めはやや急な坂道はおっかなびっくりといった感じだったが、徐々に自然に歩けるようになっていった。だが、バス停までの坂道の長さを思うと、まだまだ時間がかかるなと覚悟していた。

 会社が始まってから最初の週末、妻からバス停までの坂道を歩いてみたいといわれた。バス停までの坂道は裏道があり、こちらは歩く距離は長くなってしまうが、傾斜はかなり緩いのでとりあえず裏道を三分の一くらい歩いて、本道へ戻り家に帰るルートを考えていた。しかし、実際に歩いてみると、妻はバス停まで行ってみたいという。大丈夫かなと思ったが、エスケープルートもあるので、歩けるところまでいこうと思った。

 結局、妻はバス停までいき、その後の坂の上りも歩きとおし、「これだったら、来週から会社行けるね」といった。しかし、仕事に行くとなると、いろいろと考えなくてはならないことがまだあり、もう一週間休んで、再来週から出勤としたほうがいいと思った。妻もそれほど次の週からの仕事復帰にこだわらなかったので、様子をみて次の週からということになった。(2021.4.10)




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